花の手のひらが亜子の頬を包む。
そのまま、花の顔、身体が亜子のものと重なった。
自分ではない何かが脳内を支配する。
細胞の一つ一つが亜子のものでありながら、違うもののようだ。ポケットの中でリピート再生され続けるJeyの曲が、アップテンポになる。

「あれ?こんな曲調だっけ?」そう思った途端、意識が飛んだ。




カタカタカタ。

爪先に伝わる微細な振動が指の骨に響く。

「亜子、目をあけて」

まぶたを開くと、亜子はフェンスに爪を当てて優しくなぞっていた。
亜子の短く切り揃えられたすっぴん爪は、シルバーのグリッターネイルに変わっている。
真夏のものとは違う、少し白がかかった秋の空。
冷気を帯びた風が、キンモクセイの香りとグラウンドの砂を拾う。
どこかの教室から、アップテンポな『些細な愛うた』と生徒たちの笑い声がかすかに聞こえる。
校庭では、花と同じようなミニスカートを履いた女の子たちが、キャッキャと声をあげながら「第52回2000年川東高校文化祭」と書かれた大きな垂れ幕にペーパーフラワーを貼り付けていた。
太陽の光はまだまだ鋭く、半袖から伸びた褐色の腕をゆっくりと焦がす。
光に透けると黄金の稲穂のような色を放つ長い髪が、胸元で弾む。

そう、これは花の身体、そして記憶だ。
指先が唇に触れる。
粘度の高いグロスが中指の腹を濡らした。

「ごめん、待った?」

背後から男の声がした

「全然! ごめんね山田。授業中に」

鼓動が早まるのを感じる。

体中の血液がイッキに流れて背中に汗が伝う。

山田、と呼ばれた男子を視界に加えた途端、頬が熱気を帯びる。

第2ボタンまで開けられた白いシャツに、腰の低い位置まで下げられた黒のパンツ。

ところどころがプラチナメッシュに染められたまだらなキャメル色のスパイラルパーマ。

無造作ながらもきちんとワックスで束にされた長めの前髪の間からのぞく、たれ目気味で控えめな二重瞼。

山田は、左の指で顎をさする。

間違いない、山田は、山田哲司|《やまだてつじ》、ヤマテツだ。
ドッドッドッと心臓がフル稼働で身体中に血液を送り始めるが、それは亜子のものなのか、花のものか分からなくなる。

「花、お前授業サボっちゃダメだろ。受験前の大事な時期じゃん。こないだの模試、都ヶ丘教育大C判定だったんだろ?」

花が教育大志望なのも、先生がチャラついた高校生だったのも意外だった。