金券売り場は、一般人の列ができていた。会議室に入りきらず、廊下にまで列が伸びている。
 生徒たちは、前もって金券を買えるらしく、ここの学生の姿は見えなかった。生徒でも、足りなくなったら追加で買えるらしいけれど。少なくとも、今の時間はここの制服を着た人の姿はない。
 私は金券を買い求める列の最後尾に並んだ。

 椚君に手伝ってもらって、無事に金券をゲットした。
 団子屋は全種類制覇するつもりでいるから、金券は多めに買った。
 50円ずつ切れるみたいだけど、相場はどうなってるのだろう。
 栞をちゃんと見たら書いていたのかもしれない。ほとんど地図しか見ていなかったから、何をいくらで売っているのかよく分からない。

『それじゃあ行こうか』

 これだけ人が多いと、必然的に雑音が多くなる。あちらこちらで人の話し声があるせいで、音声入力アプリでの会話は難しい。
 椚君はメモアプリを立ち上げ、わざわざ手入力で会話してくれていた。

 迷子にならないようにと、椚君が手を差し出す。
 その手を握るのは気が引けて、代わりにブレザーの袖を掴んだ。
 椚君は小さく笑っただけだった。

 人波を縫うようにして、3年1組の教室を目指す。
 これだけ人がいるのに、静かなのが不思議だった。無音の世界には慣れているはずなのに。
 私は椚君を見失わないように、必死にブレザーの袖を掴んだ。

***

 チョコバナナパフェ、イチゴパフェ、さつまいもクレープ、ツナサラダクレープを食べ、ここで椚君が休憩を申し出て来た。

『お腹いっぱい……』

 椚君はブレザーの上から、お腹を押さえている。椚君はマロンパフェとさつまいもクレープしか食べていなかったはずだけど……。私はまだまだ余裕だけど、仕方ない。
 休憩がてら、次は飲食店じゃないクラスを見に行こうという話になった。
 だったら、お化け屋敷に行きたい。
 そう書こうとして、手を止めた。
 そう言えば、椚君は怖いのが苦手だった。
 自分たちで作ったものとは言え、行きたくないかもしれない。

『秋波?』

 ペンを持って固まっていた私の前に、椚君の心配そうな顔が近づいてきた。
 驚いてノートをお互いの顔の間に挟み、壁を作った。
 その状態のまま、『どこか行きたいとこある?』と書いて、ノートを反転させた。
 数秒して、ノートを上から押さえつけるように下げられた。
 椚君が微笑んでスマホを見せて来た。

『お化け屋敷行きたいって言ってたよね』
「でも……」

 自然と口が動いた。
 椚君は苦笑して、さらに何か打ち込み始めた。椚君の手元を見て待つ。

『秋波がいるから大丈夫。それにほら、自分のクラスのだし。行ける!』

 と言うわりには、その顔は少し強張っているように見える。
 本当に大丈夫だろうか。ムリして行くような場所でもないし、違うところを見に行ってもいいけど……。

「大丈夫」

 椚君は大きく口を動かしてそう言うと、歩き始めてしまった。
 私は慌てて椚君のブレザーの袖を掴み、置いていかれないように付いていくことしかできなかった。
 本当に大丈夫だろうか、と心配になったが、お化け屋敷が気になっていたのは事実。前を歩く椚君を引き止めることはできなかった。

***

 椚君は、自分の教室の前で気合を入れるように拳を握った。
 入り口に立っていた、頭に斧が刺さって血まみれになっている女子生徒に金券を渡す。

「……」

 血まみれの女子生徒が、にこやかに何かを言っている。
 教室に手を向けているところを見ると、どうぞ、的なことだろう。

 私は椚君と一緒に、血文字で「入り口」と書かれているドアから中に入った。
 お化け屋敷だし覚悟はしていたものの、やっぱり暗い。
 椚君のブレザーの袖を掴む手に、ギュッと力を入れた。

 時々、お化けに扮した生徒たちが驚かしに来る。
 その度に椚君がビクッと跳ねているのが、ブレザー越しに伝わってきた。

 椚君の表情はよく見えないけど、次に来るお化けに身構えているのは分かった。
 どの位置に誰が隠れているとか、全部把握しているはずだ。それなのに出てきたお化けに驚いている。
 作り物だって分かっているだろうに。
 お化けに扮したクラスメイトに驚く椚君に、クスッと笑ってしまった。

 お化け屋敷も終わりに近づいたころ、前を見ていなかった私は、突然右側から視界に入ってきた人影に驚いて後退った。
 暗かったせいで足元がよく見えず、自分の足に躓いてバランスを崩した。
 尻もちをついた私に、お化け役の人が慌てた様子で何か話しかけている。

「……?」

 何を言っているのか分からない。
 頭から血を流したおかっぱの少女は、心配そうに私の顔を覗き込んできた。
 この顔がゾンビじゃなくてよかった、と頭の片隅で思った。

「……、……」

 彼女はまだ何か話しかけてきていた。
 どうしよう。問題ないと伝えないと。そう思うのに教室の中は暗くて、文字を書ける環境ではない。
 困り果てていると、突然腕を掴まれた。
 焦った様子の椚君だった。

 椚君は私を立たせると、おかっぱ頭の子に何か言って、そのまま私の腕を引っ張って歩き出してしまった。
 心配してくれた彼女に何も言わないのも、と思って振り返ると、彼女は後ろから来ていた次のお客を驚かしているところだった。
 もしあのまま通路にいたら、通行の邪魔になってただろう。
 椚君に掴まれている手首を見ながら、私はお化け屋敷を抜けた。

 教室を出た椚君は、廊下の端のほうまで行くと、ズルズルとしゃがみ込んでしまった。
 私はその様子に狼狽えることしかできなかった。

 リュックの中からノートを出す。ノートを壁に押し付けるようにして、『ごめんなさい』と書いた。
 そのノートを見せるのと、椚君がスマホ画面を私に見せるのは同時だった。

『ケガしてない?』

 私のノートを見た椚君が、慌てたようにスマホに文字を入力し始めた。

『なんで秋波が謝んの!? むしろおれのほうがごめんだよ! 置いてっちゃってごめん。怖くて周り見えてなくてさ。教室の中、実は音楽鳴ってて、秋波がいなくなってたことに気付かなくて』

 そうなんだ、あの教室音楽鳴ってたんだ。
 お化け屋敷の中での椚君の反応を思い出すに、雰囲気を出すために、恐怖を煽るような音楽が流れていたのかもしれない。

『いないことに気付いたときは焦った。ほんとごめん! ……秋波は、なんで謝ったの?』
『あのお化け役の人、ずっと何か言ってた。でも私分からなくて。出るときに振り返ったら、次のお客さんいて。私邪魔なとこにいたなって……。それに、迷惑』

 その続きは書かせてもらえなかった。
 冷たい手を重ねてきた椚君を見ると、それ以上は言わせないというように首を横に振っていた。

『そんなことないから。大丈夫だから』

 椚君の真剣な顔に、自分が伝えるべき言葉を間違っていたことに気付いた。

『戻って来てくれて、ありがとう』
『どういたしまして』

 椚君はにっこりと笑ってくれた。
 今度はあっていたみたいだ。

『ケガしてない?』
『ないよ』

 さっき最初にしてくれた質問をもう一度見せてくる椚君に、短く答える。
 椚君はホッとしたように表情を和らげた。

『よかった。それにしても怖かった~! 秋波は楽しめた?』
『うん。みんなメイクすごかった』
『もしかしてずっとそこ見てたの?』
『椚君が作ったかもしれない大道具も見てたよ?』
『ありがとう』

 私はニコニコしてノートを見せると、椚君は可笑しそうに笑った。

『怖くなかった?』
『怖かったよ』
『本当に? 平気そうに見えたけど』
『本当に。あのまま私がおかっぱさんの仕事の邪魔をしていたらと思うと』

 椚君にまた手を止められた。ムスッとした顔で私を見ている。

『冗談。暗い場所だったから怖かった』

 椚君がハッとした顔になった。
 申し訳なさそうに眉尻を下げる椚君に、私は急いで『でも』と書き足した。

『でも、椚君が一緒だったから平気だったよ』

 椚君がいなかったら、私はあの場から動けなかったかもしれないし。
 私はお礼も込めてニコッと微笑んだ。