春の爽やかな空気を大きく吸って、肺を満たす。

 家まで続く山道は揺れる木漏れ日に照らされ、まだらな影をつくっている。この暖かみのある景色を結はゆっくりと見渡す。
 山は季節によって表情を変えてゆくのがいい。それを楽しみながらここで生活するのがまたいいのだ。
 結は、麓の街の茶屋、甘姫屋(あまひめや)で貰った菓子折を壊れものを扱うように持ち、帰路へと急ぐ。
 ただ、早く食べたくて仕方がない。

 結の家は元々、結の師が住んでいた廃神社である。
 結が弟子入りした時には、すでに高齢だった彼。しかし、結が弟子入りした約八年間、結に陰陽師としての技術や心得などを徹底的に叩き込んでくれた。それこそ、折檻のような時もあったが、毎日食事を与え、稽古をつけ、寝込んだ日は、一晩中看病をしてくれた、とても慈愛に溢れた人だった。
 二年ほど前に師が殉職してからも、この廃神社を家にして暮らしていた。
 もともと住んでいた家もあり、どちらに住むか迷ったが、師の墓をおいてはおけず、ここに住んでいる。
 そんな家に、どうやら来客がいるようだ。

「結! やっと帰ってきた! もうっ、ずっと待ってたわ」
 帰ってきて早々、春がこちらに走ってきた。
(僕が家にいない時点で、諦めて帰れば良いのに)と結は密かに思った。少なくも、自分ならそうしていると確信できる。
「はあ、君も大概暇なんだね」
「いやあ、冬結様がいなかったので、話し相手がいなくて」
 と笑う春。
「冬結、いないの?」
 ふとした疑問を尋ねる結。
 結の質問に、春は
「うん。少なくとも本堂にはいないみたいですし、帰りの山道にもいなくて‥‥」
 と困ったように目尻を下げて言った。本堂とは、先日あやめや睦月と会った神社の本堂のことだ。
「他の場所にいるんでしょうね〜。でも妖山も広いし、探してたら日が暮れちゃうもの!」
 だから自分に流れてきたのか‥‥だとしても結には迷惑な話だ。
「そんなことより! 結の手に持ってるのは何⁉︎ お菓子? お菓子なの⁉︎」
「思い込みがすごいね」
「だって、私の勘がお菓子だって言ってるんだもの!」
 濡羽色の目を輝かせ、口の端からわずかに涎を垂らしかけている春。
 結はため息を吐いた。しかし、呆れている様子はなかった。