「うん……」
明るくなってきた外に気づき、ゆっくりと瞼を開ける花。
いつもと違う天井が視界に入り、一瞬戸惑うがすぐに昨夜の出来事を思い出した。
(そうだ私、斎園寺様の屋敷で暮らすことになったんだ……)
身体を起こし部屋を見渡す。
今までの自室と違い、一人で使うには勿体ないほどのとても広くて綺麗な部屋だ。
布団もとてもふかふかで寝心地も良かった。
燈夜からこの部屋にある物は自由に使って良いと言われている。
(これだけの上等な物を揃えてもらったのだからそろそろ起きて朝食作りのお手伝いをしよう)
布団を畳み、寝間着から着物に着替え調理場へ向かうのだった。
調理場に着くとちょうど同じタイミングで燈夜のお世話係である千代子も来た。
準備をしている花を見て目を丸くしている。
「おはようございます、千代子さん」
「おはようございます……!ご令嬢である花様に準備をさせてしまって…」
慌てて割烹着に着替えながら申し訳なさそうに謝る千代子。
「いえ、昨夜は色々お世話をしていただいたのでお手伝いさせて下さい」
昨夜は急に斎園寺家に来たのに豪華な食事にお風呂、着替えの着物を用意してもらった。
今、花が着ている着物は燈夜の母親の物らしい。
見るからに上等な着物で最初は断ったが、母がこの場にいたら是非着て欲しいと言うはずだと燈夜に言われ受け取ることになった。
燈夜の両親は穏やかでとても優しいのだと千代子も言っていた。
「お身体は大丈夫なのですか?」
昨夜はかなり疲弊していた花を心配しているのだろう。
気遣うような視線を向けられ、安心させるように微笑む。
「はい、お陰様でだいぶ良くなりました」
千代子が用意してくれた美味しい食事と薬湯、ふわふわとした布団でほとんど疲れは取れていた。
花の言葉に安堵したように胸を撫で下ろす千代子。
「それは良かったです。でもご無理はなさらないで下さいね」
「はい、ありがとうございます」
燈夜も千代子も自分の体調を心配してくれている。
出会ったばかりなのにその温かい気持ちが寂しかった花の心に染みるように感じた。
「あの千代子さん、割烹着はありますか?」
着替え用で受け取った着物はどれも上等な物で汚したくは無かった。
「はい、ございますよ。今お持ちしますね」
「ありがとうございます」
こんな自分に優しくしてくれる二人に恩返しが出来るよう、花は朝食作りに励むのだった。
無事に朝食が作り終わり部屋まで千代子と共に運ぶ。
襖を開けると燈夜が待っていた。
「おはよう。花、千代子」
「おはようございます」
「おはようございます、燈夜様」
燈夜の前に食事を置いていると視線を感じる。
ふと顔を上げるとじっと花を見ていた。
真っ直ぐに向けられる瞳に胸がとくんと鳴るのが分かった。
「あの……?」
恥ずかしさを誤魔化すように視線の理由を問う。
「花も朝食を作ってくれたのか?」
「は、はい……」
花が頷くと頭を優しく撫でられる。
「ありがとう。嬉しいよ」
「昨日助けていただいたので何かお礼がしたくて……」
「そうか。花は優しいな。だが、まだ体調は万全ではないだろう。無理はしないように」
「はい……」
そっと燈夜の手が離れ少しだけホッとする花。
昨夜から燈夜はよく自分に触れてくるような気がすると花はこっそり思っていた。
こうして男性に触れられるのは初めてで照れてしまう気持ちが高まりどうにかなってしまいそうだったので助かった。
そんな二人のやり取りを見て温かく見守る千代子に花は気付かなかった。
お膳立てが終わり花と千代子も座る。
「いただきます」
燈夜の挨拶に合わせ花達も手を合わせる。
「いただきます」
燈夜が花が作った味噌汁を一口飲む。
美藤家では母達には料理人が作っていたが自分の分は自分で作らないといけなかった。
他人が自分の料理を口にするのは初めてなので緊張で思わずじっと燈夜を見つめてしまう。
「とても美味しいよ」
「ありがとうございます……!」
口にあったようでホッとする花。
もし美味しくなかったらどうしようかと心配していたが食べ進める燈夜を見て安堵する。
千代子も褒めてくれて少しだけ自信がつく花だった。
朝食を食べ終わり調理場で片付けていると燈夜が顔を出す。
「仕事に行って来る」
「かしこまりました。花様、ここは私がやりますので見送りをお願い出来ますか?」
「はい、分かりました」
濡れていた手を拭き、燈夜と共に玄関に向かう。
草履を履くと花に向き合う燈夜。
「遅くはならないから。困ったことがあれば千代子に言って」
「かしこまりました。お気を付けて」
「ありがとう。行ってくるよ」
穏やかに微笑むと燈夜は出掛けていった。
見送りをした後、片付けの為再び調理場へ戻る。
「戻りました」
「お見送りありがとうございます」
千代子は動かしていた手を止め、頭を下げる。
花もすぐに頭を下げて途中にしていた片付けを再開する。
食器を拭いていると千代子がこちらを見ていることに気が付いた。
「燈夜様にこんな素敵な想い人の方が現れたのは私もとても喜ばしいことですわ」
「そんな……」
急に褒められて照れてしまう。
斎園寺家の人々は沢山褒めてくれる。
褒められるのに慣れていない花はなんて言ったら良いのだろうと上手く返事が出来ない自分にモヤモヤしてしまう。
「燈夜様は斎園寺家の当主として他の異能の家系の取りまとめや異能軍の軍隊長として忙しく働いていらっしゃるので女性のお話は微塵もなくて心配だったのです」
少し俯き手の動きを止める千代子。
余程、燈夜のことを案じていたのだろう。
隣にいる花にもその気持ちが伝わってくる。
「ですが、あんなに笑顔でいらっしゃる燈夜様は久しぶりに見ました。花様と出会えて嬉しいのでしょうね」
笑みを浮かべる千代子。
美藤家にいた頃は邪魔者扱いにされていた。
しかし今は自分の存在が誰かを笑顔にしている。
ここには花を虐める人はいない。
(ここに居たら私は愛される……?)
急に変化した環境に戸惑いながらも少しの期待を感じて家事を進めるのだった。
「今帰った」
家事に夢中になっていて気が付けば太陽が沈む時間になっていた。
燈夜の声に慌てて野菜を切っていた手を止め、玄関に向かう。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、花」
駆け寄ってきた花に今朝と同様、笑顔を向ける燈夜。
「夕食の準備が間もなくご用意出来ます」
荷物を預かり羽織を脱がすのを手伝う。
今まで美藤家の人間にこんな風にしたことは無いが使用人がやっているの覚えていた。
内心、緊張しながら羽織を取る。
「ああ。ありがとう」
無事に羽織も預かることが出来てホッとする。
燈夜は歩き出した足を止め、花に振り向く。
「花、夕食の後少し時間いいか?」
「は、はい」
一体どのような話なのか少しの不安も生まれつつ頭の中で考えを巡らせながら燈夜の後に続いた。
夕食後。
燈夜は花と二人で話したいと千代子に言うとニコニコとしながらそそくさと部屋を出て行った。
部屋から出て行く時に夕食の片付けを任せてしまうことを謝ると首をブンブンと横に振りこちらは大丈夫ですからごゆっくりと言われた。
少し静まり返った部屋に燈夜と二人きり。
夕食の間もずっと何の話をされるのか考えていた。
結婚の話、それともやはりこの屋敷から出て行ってほしい……。
後者の方が可能性が高く感じて不安になってしまう。
そもそも花は生きることを諦めていたのでそうなることを覚悟している。
こうして美味しい食事をいただき、上等な着物を身に纏っている方が奇跡なのだ。
少し俯き、口を開く。
「あの、屋敷から出て行けと言われればすぐに出て行きます……」
言われるのが怖くてそれなら自分から話してしまおうと思った。
ぎゅっと目を瞑り燈夜の言葉を待つ。
「そんなこと俺は絶対言わない」
パッと顔を上げると真剣な眼差しを花に向けていた。
不思議と逸らすことは出来なくて見つめ返す形になってしまう。
「花には斎園寺家にずっと居てほしい。俺の妻として。だからそんな心配はするな」
ふっと柔らかい表情に戻る燈夜。
自分の思い違いだったのだと分かり恥ずかしさと安堵で顔に熱が集まるのが分かった。
「花、昨日何があったんだ?」
その言葉に体が硬直してしまう。
昨日の美藤家での出来事は燈夜にまだ話していない。
屋敷に置いてもらっている身なのにきちんと話さなくては失礼だと分かっている。
しかしあのやり取りと追われたことを思い出して声が出ない。
「あ、の……」
早く。
早く。
西園寺家の当主を待たせているのだから、あの場所にいた理由を話さないと。
焦れば焦るほど頭が混乱していく。
その時。
燈夜の手が花の手に重なった。
そっと顔を上げると燈夜が花の目の前に座っていた。
「焦らなくていいよ。もし今話せないようだったら後でもいいから」
(ああ……。私は斎園寺様の優しさにずっと助けられている)
こんな自分に良くしてくれた元使用人の静江以外で美藤家では優しさなんて誰からも感じなかった。
だけどここでは誰も虐げない。
逆にまるで真綿で包まれているようで心地良い。
恐怖心に支配されていた心が少し楽になる。
息を吐き、燈夜を見る。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。今お話します」
その言葉に燈夜が頷くと花は昨夜の出来事を全て話した。
「……ということなのです」
花の話に真剣に耳を傾け最後まで何も言わず聞いてくれた。
話し終わると気が付けば花は燈夜の腕の中にいた。
「斎園寺様……?」
「辛かったな。よく頑張った」
優しく頭を撫でられて堪えていた涙が零れる。
もうこの世に味方は現れないと未来に絶望していた自分に今は温かく包み込んでくれる人がいる。
頼っても甘えても良いのだと気持ちが解れていく。
涙がポロポロと零れる。
声を出して泣く花をさらに強く抱き締める。
花が泣き止むまで燈夜は傍を離れなかった。
「斎園寺様、ありがとうございます……」
涙が止まり顔をそっと上げようとすると燈夜の肩が涙で濡れていることに気が付く。
「あっ……!肩が濡れて……!申し訳ありません!」
何か拭き取る物を探さなくてはと辺りを見渡す。
しかしそっと顎を掬われ上を向かされる。
燈夜の顔がすぐ近くにあり胸が高まる。
「大丈夫だ。花の方こそ目が赤い。布を濡らして冷やした方が良い」
そっと目尻を撫でられる。
自分のことは後回しにして人を心配してくれる燈夜にそれ以上何も言えなくなる。
「話してくれてありがとう。これからはもう大丈夫だ。花のことは俺が守るよ」
昨日は燈夜の真っ直ぐな愛の言葉に戸惑っていた。
出会ったばかりの西園寺家の当主に突然求婚されたのだから。
しかも異端の子と呼ばれている自分に。
だけど何故か今は戸惑いより嬉しさと受け止められる気持ちがある。
きっとこの短時間で燈夜に闇に覆われた心を光で照らしてくれたのだろう。
燈夜の瞳にはしっかりと花が映っている。
「花、俺の婚約者になってほしい」
その言葉が胸にストンと落ちてくる。
この方の傍にいたいと今ならそんな望みも願える。
勇気を出して口を開く。
「はい……。宜しくお願い致します」
小さく微笑む花を燈夜は再び抱き締める。
その温もりが気持ち良くて花もそっと燈夜の背中に腕を回した。
花が燈夜の婚約者になったことを千代子に報告すると泣いて喜んでいた。
お祝いしなくてはと千代子が言うと明日の夕食は豪勢にしようと燈夜が提案した。
今までの食事でも十分豪華なのにさらにそれを超えるのだと思うと少しだけ怖い。
しかし誰かにお祝いされるのは残っている記憶の限り初めてだ。
明日に胸を高まらせその夜は床につくのだった。
翌日。
朝食を済ませ仕事は休みだが所用があり出掛けるという燈夜の見送りをする。
「昼頃には帰る。午後は夕食の買い出しに町へ行かないか」
「は、はい……!」
花は町へ行ったことが無かった。
憧れはあったが美藤家での仕事があった上に屋敷から外に出ることは許されなかったので今まで機会が無かった。
「あ、でも美藤家の使用人達が私を探しているはず……」
燈夜と出会ってから一度も外出をしていないので今のところは何も起こっていないがきっとまだ死に物狂いで探しているだろう。
先日は燈夜が助けてくれたおかげで無事だったが町で見つけられたら恐らく捕まるだろう。
そうなってしまったら燈夜にまで迷惑がかかってしまう。
やはり断ろうと口を開くと発する前に燈夜が話し出す。
「そいつらも花が俺の婚約者と知れば手は出してこないだろう。もし何かあっても必ず花を守るから安心しなさい」
確かに異能の家系の最高位である斎園寺家の当主の婚約者に手を出す者は命知らずだ。
異能者が発現する力は通常一つだが燈夜はいくつもの異能を使えるのだと花は千代子から聞いていた。
火や水、氷雪などどれも強力で右に出る者はいないと。
そんな信頼出来る燈夜が隣にいれば追っ手が現れても大丈夫だろう。
「では、お願い致します」
「ああ。午後が楽しみだな」
甘い笑顔を向ける燈夜に照れながらも小さく頷く花。
初めての町に胸を躍らせながら出掛ける燈夜を見送った。
その燈夜が向かった先は美藤家。
車が屋敷の門の前に止まり運転手が開ける。
庭の掃除をしていた使用人が車から降りてきた燈夜に気が付くと血相を変えて小走りで中へ向かった。
「これはこれは斎園寺様。どういったご用件でしょう?」
客間には燈夜と美藤家の当主、蓮太郎と花の母親の透緒子が座っている。
急に燈夜が美藤家に来たことに最初は驚いていたが今は落ち着いている。
「自分の子供が失踪しているのに随分と落ち着いているな」
美藤家の人間以外知らない事実を何故燈夜が知っているのか、そして向けられる冷酷な瞳に透緒子はビクッと一瞬、体を震わせる。
「……どうして西園寺様がご存知でいらっしゃるのですか?」
「あの日花を助けたのは俺だ。花は西園寺家で暮らすことになった」
「なっ……!何故花が!?」
蓮太郎と透緒子にとって衝撃の事実に動揺を隠せないようだった。
どれだけ探しても見つからない花を死んだか賊に襲われたのだろうと二人はこっそり思っていた。
「花は俺の婚約者になった。金輪際、花に一切手を出すことを許さない」
「婚約者……!?」
まさか『異端の子』と呼んで虐げていた自分の娘が格上の家系である当主の婚約者になったことに信じられない様子だ。
「もし花に何かしたら…その時は分かっているな?」
ギロリと睨まれた二人はその殺気を含んだ瞳に体が硬直し声が出ないようだった。
「用件は以上だ」
立ち上がり客間から出て行こうとする燈夜を慌てて蓮太郎が引き止める。
「私達が花に何もしなければ、斎園寺家と美藤家の繋がりは今のままでいられるということですか?」
蓮太郎の言葉に足を止め、ちらりと振り返る。
「花に対して謝罪の言葉が無ければ美藤家との繋がりも改める」
「そ、そんな……」
それだけ言うと燈夜は客間から出て行った。
部屋には呆然とする蓮太郎と拳にギリギリと力を込め、怒りに震えている透緒子だけが残っていた。
燈夜が斎園寺家の屋敷に帰宅し昼食をとった後、花と二人で町に来ていた。
花は千代子も誘ったが二人の時間を過ごしてほしいと言われ留守番をしてもらうことになった。
町は活気に溢れ多くの人で賑わっている。
初めての町に花は思わずキョロキョロと辺りを見渡してしまう。
(色々なお店があるのね……)
余所見をしてしまい、近くを通った人とぶつかりそうになってしまう。
(あ……!)
ぶつかる直前、燈夜が花の肩を抱き寄せた。
そのおかげで何事も無かった。
「ありがとうございます、斎園寺様」
「大丈夫だ。人も多くなってきたから俺の腕を掴んでいなさい」
腕を出され恥ずかしさに一瞬、戸惑ったがまたぶつかりそうになったら危ないと思い、そっと両手で燈夜の腕に触れた。
頬がが林檎のように赤く染まっている花を燈夜は愛おしそうに見つめながら歩みを進めた。
燈夜の提案により豪勢な夕食にすることになったので買い物をしたどの食材も高級な物ばかりで花は驚いていた。
申し訳なくなり一度、安い食材もきっと美味しいと勧めたが花が自分の婚約者になった祝いなのだから遠慮はしないでいいと言われてそれ以上言うのは辞めた。
買い物を一段落させて片腕で食材が入った袋を持つ燈夜に視線を向ける。
「あの、やはり私も持ちます」
花も買い物をするたび持つのを手伝おうとするが大丈夫だと優しく断られてしまっていた。
「これくらい大したことない」
「しかし斎園寺様だけに持っていただくのは……」
諦めない花を見て燈夜は少し考え込む。
ふと足を止めると花に視線を向ける。
「では俺の願いを聞いてくれるか?」
「は、はい!勿論です!」
様々な場面で燈夜に甘えてしまっていた花は頼られて嬉しい気持ちになりながら笑顔で頷く。
「俺のことを斎園寺では無く、燈夜と呼んでくれないか?」
「…え!?」
予想もしていなかったお願いに思わず大きな声を出してしまう。
普通の恋仲ならば名前で呼ぶことは十分にあり得るだろうが異能の家系の最高位である燈夜に名前で呼ぶのは難易度が高すぎる。
「し、しかし……」
「嫌か?」
「嫌じゃないです……!」
決してそんなことは思っていないとブンブンと首を横に振る。
そんな花に対して目線を合わせるように燈夜は軽く膝を曲げる。
「俺は花に名前で呼んでもらったらとても嬉しい」
燈夜は格上の存在ではなく、自分と対等になりたい思いがあることに気づく。
自分と立場の関係なく寄り添ってくれることに嬉しくなった。
戸惑いからその気持ちに答えたいと花は勇気を出して口を開く。
「と、燈夜様……」
小さい声になってしまったが何とか言うことが出来た。
照れながらも自分の名前を言ってくれた花を見て嬉しそうに微笑む燈夜。
「ありがとう」
再び腕を出されそっと掴む花。
そよ風が火照った頬を撫でて心地良い。
こんな穏やかな時間がずっと続いてほしいと願うのだった。
明るくなってきた外に気づき、ゆっくりと瞼を開ける花。
いつもと違う天井が視界に入り、一瞬戸惑うがすぐに昨夜の出来事を思い出した。
(そうだ私、斎園寺様の屋敷で暮らすことになったんだ……)
身体を起こし部屋を見渡す。
今までの自室と違い、一人で使うには勿体ないほどのとても広くて綺麗な部屋だ。
布団もとてもふかふかで寝心地も良かった。
燈夜からこの部屋にある物は自由に使って良いと言われている。
(これだけの上等な物を揃えてもらったのだからそろそろ起きて朝食作りのお手伝いをしよう)
布団を畳み、寝間着から着物に着替え調理場へ向かうのだった。
調理場に着くとちょうど同じタイミングで燈夜のお世話係である千代子も来た。
準備をしている花を見て目を丸くしている。
「おはようございます、千代子さん」
「おはようございます……!ご令嬢である花様に準備をさせてしまって…」
慌てて割烹着に着替えながら申し訳なさそうに謝る千代子。
「いえ、昨夜は色々お世話をしていただいたのでお手伝いさせて下さい」
昨夜は急に斎園寺家に来たのに豪華な食事にお風呂、着替えの着物を用意してもらった。
今、花が着ている着物は燈夜の母親の物らしい。
見るからに上等な着物で最初は断ったが、母がこの場にいたら是非着て欲しいと言うはずだと燈夜に言われ受け取ることになった。
燈夜の両親は穏やかでとても優しいのだと千代子も言っていた。
「お身体は大丈夫なのですか?」
昨夜はかなり疲弊していた花を心配しているのだろう。
気遣うような視線を向けられ、安心させるように微笑む。
「はい、お陰様でだいぶ良くなりました」
千代子が用意してくれた美味しい食事と薬湯、ふわふわとした布団でほとんど疲れは取れていた。
花の言葉に安堵したように胸を撫で下ろす千代子。
「それは良かったです。でもご無理はなさらないで下さいね」
「はい、ありがとうございます」
燈夜も千代子も自分の体調を心配してくれている。
出会ったばかりなのにその温かい気持ちが寂しかった花の心に染みるように感じた。
「あの千代子さん、割烹着はありますか?」
着替え用で受け取った着物はどれも上等な物で汚したくは無かった。
「はい、ございますよ。今お持ちしますね」
「ありがとうございます」
こんな自分に優しくしてくれる二人に恩返しが出来るよう、花は朝食作りに励むのだった。
無事に朝食が作り終わり部屋まで千代子と共に運ぶ。
襖を開けると燈夜が待っていた。
「おはよう。花、千代子」
「おはようございます」
「おはようございます、燈夜様」
燈夜の前に食事を置いていると視線を感じる。
ふと顔を上げるとじっと花を見ていた。
真っ直ぐに向けられる瞳に胸がとくんと鳴るのが分かった。
「あの……?」
恥ずかしさを誤魔化すように視線の理由を問う。
「花も朝食を作ってくれたのか?」
「は、はい……」
花が頷くと頭を優しく撫でられる。
「ありがとう。嬉しいよ」
「昨日助けていただいたので何かお礼がしたくて……」
「そうか。花は優しいな。だが、まだ体調は万全ではないだろう。無理はしないように」
「はい……」
そっと燈夜の手が離れ少しだけホッとする花。
昨夜から燈夜はよく自分に触れてくるような気がすると花はこっそり思っていた。
こうして男性に触れられるのは初めてで照れてしまう気持ちが高まりどうにかなってしまいそうだったので助かった。
そんな二人のやり取りを見て温かく見守る千代子に花は気付かなかった。
お膳立てが終わり花と千代子も座る。
「いただきます」
燈夜の挨拶に合わせ花達も手を合わせる。
「いただきます」
燈夜が花が作った味噌汁を一口飲む。
美藤家では母達には料理人が作っていたが自分の分は自分で作らないといけなかった。
他人が自分の料理を口にするのは初めてなので緊張で思わずじっと燈夜を見つめてしまう。
「とても美味しいよ」
「ありがとうございます……!」
口にあったようでホッとする花。
もし美味しくなかったらどうしようかと心配していたが食べ進める燈夜を見て安堵する。
千代子も褒めてくれて少しだけ自信がつく花だった。
朝食を食べ終わり調理場で片付けていると燈夜が顔を出す。
「仕事に行って来る」
「かしこまりました。花様、ここは私がやりますので見送りをお願い出来ますか?」
「はい、分かりました」
濡れていた手を拭き、燈夜と共に玄関に向かう。
草履を履くと花に向き合う燈夜。
「遅くはならないから。困ったことがあれば千代子に言って」
「かしこまりました。お気を付けて」
「ありがとう。行ってくるよ」
穏やかに微笑むと燈夜は出掛けていった。
見送りをした後、片付けの為再び調理場へ戻る。
「戻りました」
「お見送りありがとうございます」
千代子は動かしていた手を止め、頭を下げる。
花もすぐに頭を下げて途中にしていた片付けを再開する。
食器を拭いていると千代子がこちらを見ていることに気が付いた。
「燈夜様にこんな素敵な想い人の方が現れたのは私もとても喜ばしいことですわ」
「そんな……」
急に褒められて照れてしまう。
斎園寺家の人々は沢山褒めてくれる。
褒められるのに慣れていない花はなんて言ったら良いのだろうと上手く返事が出来ない自分にモヤモヤしてしまう。
「燈夜様は斎園寺家の当主として他の異能の家系の取りまとめや異能軍の軍隊長として忙しく働いていらっしゃるので女性のお話は微塵もなくて心配だったのです」
少し俯き手の動きを止める千代子。
余程、燈夜のことを案じていたのだろう。
隣にいる花にもその気持ちが伝わってくる。
「ですが、あんなに笑顔でいらっしゃる燈夜様は久しぶりに見ました。花様と出会えて嬉しいのでしょうね」
笑みを浮かべる千代子。
美藤家にいた頃は邪魔者扱いにされていた。
しかし今は自分の存在が誰かを笑顔にしている。
ここには花を虐める人はいない。
(ここに居たら私は愛される……?)
急に変化した環境に戸惑いながらも少しの期待を感じて家事を進めるのだった。
「今帰った」
家事に夢中になっていて気が付けば太陽が沈む時間になっていた。
燈夜の声に慌てて野菜を切っていた手を止め、玄関に向かう。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、花」
駆け寄ってきた花に今朝と同様、笑顔を向ける燈夜。
「夕食の準備が間もなくご用意出来ます」
荷物を預かり羽織を脱がすのを手伝う。
今まで美藤家の人間にこんな風にしたことは無いが使用人がやっているの覚えていた。
内心、緊張しながら羽織を取る。
「ああ。ありがとう」
無事に羽織も預かることが出来てホッとする。
燈夜は歩き出した足を止め、花に振り向く。
「花、夕食の後少し時間いいか?」
「は、はい」
一体どのような話なのか少しの不安も生まれつつ頭の中で考えを巡らせながら燈夜の後に続いた。
夕食後。
燈夜は花と二人で話したいと千代子に言うとニコニコとしながらそそくさと部屋を出て行った。
部屋から出て行く時に夕食の片付けを任せてしまうことを謝ると首をブンブンと横に振りこちらは大丈夫ですからごゆっくりと言われた。
少し静まり返った部屋に燈夜と二人きり。
夕食の間もずっと何の話をされるのか考えていた。
結婚の話、それともやはりこの屋敷から出て行ってほしい……。
後者の方が可能性が高く感じて不安になってしまう。
そもそも花は生きることを諦めていたのでそうなることを覚悟している。
こうして美味しい食事をいただき、上等な着物を身に纏っている方が奇跡なのだ。
少し俯き、口を開く。
「あの、屋敷から出て行けと言われればすぐに出て行きます……」
言われるのが怖くてそれなら自分から話してしまおうと思った。
ぎゅっと目を瞑り燈夜の言葉を待つ。
「そんなこと俺は絶対言わない」
パッと顔を上げると真剣な眼差しを花に向けていた。
不思議と逸らすことは出来なくて見つめ返す形になってしまう。
「花には斎園寺家にずっと居てほしい。俺の妻として。だからそんな心配はするな」
ふっと柔らかい表情に戻る燈夜。
自分の思い違いだったのだと分かり恥ずかしさと安堵で顔に熱が集まるのが分かった。
「花、昨日何があったんだ?」
その言葉に体が硬直してしまう。
昨日の美藤家での出来事は燈夜にまだ話していない。
屋敷に置いてもらっている身なのにきちんと話さなくては失礼だと分かっている。
しかしあのやり取りと追われたことを思い出して声が出ない。
「あ、の……」
早く。
早く。
西園寺家の当主を待たせているのだから、あの場所にいた理由を話さないと。
焦れば焦るほど頭が混乱していく。
その時。
燈夜の手が花の手に重なった。
そっと顔を上げると燈夜が花の目の前に座っていた。
「焦らなくていいよ。もし今話せないようだったら後でもいいから」
(ああ……。私は斎園寺様の優しさにずっと助けられている)
こんな自分に良くしてくれた元使用人の静江以外で美藤家では優しさなんて誰からも感じなかった。
だけどここでは誰も虐げない。
逆にまるで真綿で包まれているようで心地良い。
恐怖心に支配されていた心が少し楽になる。
息を吐き、燈夜を見る。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。今お話します」
その言葉に燈夜が頷くと花は昨夜の出来事を全て話した。
「……ということなのです」
花の話に真剣に耳を傾け最後まで何も言わず聞いてくれた。
話し終わると気が付けば花は燈夜の腕の中にいた。
「斎園寺様……?」
「辛かったな。よく頑張った」
優しく頭を撫でられて堪えていた涙が零れる。
もうこの世に味方は現れないと未来に絶望していた自分に今は温かく包み込んでくれる人がいる。
頼っても甘えても良いのだと気持ちが解れていく。
涙がポロポロと零れる。
声を出して泣く花をさらに強く抱き締める。
花が泣き止むまで燈夜は傍を離れなかった。
「斎園寺様、ありがとうございます……」
涙が止まり顔をそっと上げようとすると燈夜の肩が涙で濡れていることに気が付く。
「あっ……!肩が濡れて……!申し訳ありません!」
何か拭き取る物を探さなくてはと辺りを見渡す。
しかしそっと顎を掬われ上を向かされる。
燈夜の顔がすぐ近くにあり胸が高まる。
「大丈夫だ。花の方こそ目が赤い。布を濡らして冷やした方が良い」
そっと目尻を撫でられる。
自分のことは後回しにして人を心配してくれる燈夜にそれ以上何も言えなくなる。
「話してくれてありがとう。これからはもう大丈夫だ。花のことは俺が守るよ」
昨日は燈夜の真っ直ぐな愛の言葉に戸惑っていた。
出会ったばかりの西園寺家の当主に突然求婚されたのだから。
しかも異端の子と呼ばれている自分に。
だけど何故か今は戸惑いより嬉しさと受け止められる気持ちがある。
きっとこの短時間で燈夜に闇に覆われた心を光で照らしてくれたのだろう。
燈夜の瞳にはしっかりと花が映っている。
「花、俺の婚約者になってほしい」
その言葉が胸にストンと落ちてくる。
この方の傍にいたいと今ならそんな望みも願える。
勇気を出して口を開く。
「はい……。宜しくお願い致します」
小さく微笑む花を燈夜は再び抱き締める。
その温もりが気持ち良くて花もそっと燈夜の背中に腕を回した。
花が燈夜の婚約者になったことを千代子に報告すると泣いて喜んでいた。
お祝いしなくてはと千代子が言うと明日の夕食は豪勢にしようと燈夜が提案した。
今までの食事でも十分豪華なのにさらにそれを超えるのだと思うと少しだけ怖い。
しかし誰かにお祝いされるのは残っている記憶の限り初めてだ。
明日に胸を高まらせその夜は床につくのだった。
翌日。
朝食を済ませ仕事は休みだが所用があり出掛けるという燈夜の見送りをする。
「昼頃には帰る。午後は夕食の買い出しに町へ行かないか」
「は、はい……!」
花は町へ行ったことが無かった。
憧れはあったが美藤家での仕事があった上に屋敷から外に出ることは許されなかったので今まで機会が無かった。
「あ、でも美藤家の使用人達が私を探しているはず……」
燈夜と出会ってから一度も外出をしていないので今のところは何も起こっていないがきっとまだ死に物狂いで探しているだろう。
先日は燈夜が助けてくれたおかげで無事だったが町で見つけられたら恐らく捕まるだろう。
そうなってしまったら燈夜にまで迷惑がかかってしまう。
やはり断ろうと口を開くと発する前に燈夜が話し出す。
「そいつらも花が俺の婚約者と知れば手は出してこないだろう。もし何かあっても必ず花を守るから安心しなさい」
確かに異能の家系の最高位である斎園寺家の当主の婚約者に手を出す者は命知らずだ。
異能者が発現する力は通常一つだが燈夜はいくつもの異能を使えるのだと花は千代子から聞いていた。
火や水、氷雪などどれも強力で右に出る者はいないと。
そんな信頼出来る燈夜が隣にいれば追っ手が現れても大丈夫だろう。
「では、お願い致します」
「ああ。午後が楽しみだな」
甘い笑顔を向ける燈夜に照れながらも小さく頷く花。
初めての町に胸を躍らせながら出掛ける燈夜を見送った。
その燈夜が向かった先は美藤家。
車が屋敷の門の前に止まり運転手が開ける。
庭の掃除をしていた使用人が車から降りてきた燈夜に気が付くと血相を変えて小走りで中へ向かった。
「これはこれは斎園寺様。どういったご用件でしょう?」
客間には燈夜と美藤家の当主、蓮太郎と花の母親の透緒子が座っている。
急に燈夜が美藤家に来たことに最初は驚いていたが今は落ち着いている。
「自分の子供が失踪しているのに随分と落ち着いているな」
美藤家の人間以外知らない事実を何故燈夜が知っているのか、そして向けられる冷酷な瞳に透緒子はビクッと一瞬、体を震わせる。
「……どうして西園寺様がご存知でいらっしゃるのですか?」
「あの日花を助けたのは俺だ。花は西園寺家で暮らすことになった」
「なっ……!何故花が!?」
蓮太郎と透緒子にとって衝撃の事実に動揺を隠せないようだった。
どれだけ探しても見つからない花を死んだか賊に襲われたのだろうと二人はこっそり思っていた。
「花は俺の婚約者になった。金輪際、花に一切手を出すことを許さない」
「婚約者……!?」
まさか『異端の子』と呼んで虐げていた自分の娘が格上の家系である当主の婚約者になったことに信じられない様子だ。
「もし花に何かしたら…その時は分かっているな?」
ギロリと睨まれた二人はその殺気を含んだ瞳に体が硬直し声が出ないようだった。
「用件は以上だ」
立ち上がり客間から出て行こうとする燈夜を慌てて蓮太郎が引き止める。
「私達が花に何もしなければ、斎園寺家と美藤家の繋がりは今のままでいられるということですか?」
蓮太郎の言葉に足を止め、ちらりと振り返る。
「花に対して謝罪の言葉が無ければ美藤家との繋がりも改める」
「そ、そんな……」
それだけ言うと燈夜は客間から出て行った。
部屋には呆然とする蓮太郎と拳にギリギリと力を込め、怒りに震えている透緒子だけが残っていた。
燈夜が斎園寺家の屋敷に帰宅し昼食をとった後、花と二人で町に来ていた。
花は千代子も誘ったが二人の時間を過ごしてほしいと言われ留守番をしてもらうことになった。
町は活気に溢れ多くの人で賑わっている。
初めての町に花は思わずキョロキョロと辺りを見渡してしまう。
(色々なお店があるのね……)
余所見をしてしまい、近くを通った人とぶつかりそうになってしまう。
(あ……!)
ぶつかる直前、燈夜が花の肩を抱き寄せた。
そのおかげで何事も無かった。
「ありがとうございます、斎園寺様」
「大丈夫だ。人も多くなってきたから俺の腕を掴んでいなさい」
腕を出され恥ずかしさに一瞬、戸惑ったがまたぶつかりそうになったら危ないと思い、そっと両手で燈夜の腕に触れた。
頬がが林檎のように赤く染まっている花を燈夜は愛おしそうに見つめながら歩みを進めた。
燈夜の提案により豪勢な夕食にすることになったので買い物をしたどの食材も高級な物ばかりで花は驚いていた。
申し訳なくなり一度、安い食材もきっと美味しいと勧めたが花が自分の婚約者になった祝いなのだから遠慮はしないでいいと言われてそれ以上言うのは辞めた。
買い物を一段落させて片腕で食材が入った袋を持つ燈夜に視線を向ける。
「あの、やはり私も持ちます」
花も買い物をするたび持つのを手伝おうとするが大丈夫だと優しく断られてしまっていた。
「これくらい大したことない」
「しかし斎園寺様だけに持っていただくのは……」
諦めない花を見て燈夜は少し考え込む。
ふと足を止めると花に視線を向ける。
「では俺の願いを聞いてくれるか?」
「は、はい!勿論です!」
様々な場面で燈夜に甘えてしまっていた花は頼られて嬉しい気持ちになりながら笑顔で頷く。
「俺のことを斎園寺では無く、燈夜と呼んでくれないか?」
「…え!?」
予想もしていなかったお願いに思わず大きな声を出してしまう。
普通の恋仲ならば名前で呼ぶことは十分にあり得るだろうが異能の家系の最高位である燈夜に名前で呼ぶのは難易度が高すぎる。
「し、しかし……」
「嫌か?」
「嫌じゃないです……!」
決してそんなことは思っていないとブンブンと首を横に振る。
そんな花に対して目線を合わせるように燈夜は軽く膝を曲げる。
「俺は花に名前で呼んでもらったらとても嬉しい」
燈夜は格上の存在ではなく、自分と対等になりたい思いがあることに気づく。
自分と立場の関係なく寄り添ってくれることに嬉しくなった。
戸惑いからその気持ちに答えたいと花は勇気を出して口を開く。
「と、燈夜様……」
小さい声になってしまったが何とか言うことが出来た。
照れながらも自分の名前を言ってくれた花を見て嬉しそうに微笑む燈夜。
「ありがとう」
再び腕を出されそっと掴む花。
そよ風が火照った頬を撫でて心地良い。
こんな穏やかな時間がずっと続いてほしいと願うのだった。