マリスが辺境の魔女と呼ばれるのは、辺境伯であるシード家の三女という生まれは勿論だが、国家魔導師としてこの大陸最東部に位置するシード領内の5つの結界塔の管理を任されていることにも由来する。領全体を覆う規模の結界を有するのは辺境の領の特徴であり、それを管理しているのはマリスと、北のグリージス領の魔導師の二人だけだ。

 国家魔導師――国が選定した高魔力保持者で、その強い魔力を国家の為に使うことを誓った者に与えられた称号ではあるが、国家という名称が付く割にはその半数は各地に散らばっていて、マリスのように自分の生まれた領で国から任命された仕事を担っていた。

 領内に点在する5つの結界塔へは定期的に巡回し、塔から発せられている結界魔法に揺らぎ等の不具合が無いかを確認するのがマリスの主な仕事だった。塔の入口門に嵌め込まれた紫の魔石に手をかざすと、幾重にも重ねられた防犯用の結界が一気に解除されていく。
 それまでは他の誰が押しても微動だにしなかった扉は、マリスが軽く力を加えるだけですーっと内側へと開いた。ここから先は、辺境の魔女以外の立ち入りは許可されていない。お供に連れて来ていた護衛騎士をその場に残し、一人で中へと足を踏み入れる。

 マリスの曾祖父の時代に建てられたという石造りの塔は、歩く度にカツンという甲高い足音を響かせていた。螺旋状に伸びた長い階段を少しばかり息を切らせながら登り切れば、この塔では唯一の小部屋へと到達する。狭い空間の中央に置かれた台には、大人の掌サイズの黄色の魔石が複雑な魔法陣の刺繍を施されたベルベット調の布の上に鎮座していた。

「うん、まだ問題は無さそうね」

 台に近付き魔石に手を添えて、放出されている魔力に乱れが無いかを確認するとマリスは満足気に頷いた。これほどの大きさの魔石でさえ、十数年に一度は交換が必要になる。魔石は消耗品だ。
 塔の点検時には国から支給された交換用の石を携えて、必要とあらば新しい物を設置し直さないといけないのだが、マリスはまだ魔石の交換を経験したことはなかった。だから、そろそろ時期かもと楽しみにしているのだが、最近の石は意外ともつようになったのだろうか、ヒビ一つ入ってはいない。

 今度は両手を揃えてから石の上に乗せ直すと、目を閉じて魔石の中に己の力を流して魔力を補充していく。そして同時に、この塔と結ばれている二つの塔と結界魔法を繋ぐよう念じる。五つある塔はそれぞれが二拠点と結ばれ、それらが円を描いて領全体を囲むように結界が張られている。だから、塔の一つでも不具合を起こせば、シード領の結界は崩れ去り、結界の外に蔓延る魔獣の侵入を許してしまうことになるのだ。

 ――非常時の拠点の繋ぎ直しが自動で出来れば、もっと安心なのに……。

 自分の生まれ育った土地だからこそ、万全な守りを固めておきたい。マリスは今、結界塔が単独で崩壊した時を想定した新しい魔法システムを独自で研究しているところだ。

 ふぅっと一度だけ大きく息を吐き終えると、魔石から手を離す。調理場などで使われているような家庭用の小さな魔石とは違い、結界用の石への補充に必要とされる魔力は膨大だ。マリスの魔力量でさえ、一日に一拠点ずつしか点検に訪れることはできないほど。人によっては二日に分けて魔力補充していたとも聞くので、相当な量であるには違いない。

 魔石が置かれた小部屋には明かり取り用の小さな窓が一つだけあった。マリスの背ではギリギリ覗けるくらいの高い位置にあるそこから、背伸びしながら外の景色を眺めるのが好きだった。町の建物のどれよりも高い塔からは、普段見ることができない風景が広がっていた。断崖絶壁の向こうに広がる広い海、森の向こうにそびえる山脈、歩けば結構な距離もすぐ真下にあるように見えて不思議な感覚だ。

 再び、甲高い足音を響かせながら石階段を降りて塔の外へと出ると、来た時と同じように門柱の紫の石に手をかざす。これでまた、石造りの塔は開かずの状態へと戻る。

 護衛騎士から開けてもらった扉から馬車に乗り込むと、マリスは椅子へ腰掛けると背凭れに深く身を預けた。ピンと張り詰めていた緊張が、帰路で一気に緩んでしまうのは毎度のこと。はぁっと大きな溜め息を吐いてから、見落としはないかと頭の中で確認する。
 自分にしか出来ないこと、つまりは自分には替えがいないということは張り合いはあるが、プレッシャーも相当大きい。

 前の席に控える護衛騎士は、そんな気の抜けた様子のマリスの姿を見ないようにと窓の外へ視線を送っていた。