「三女のマリスと申します。ジルド様、お会いできて光栄ですわ」
「ああ、いつもコーネリア嬢から噂は聞いております。ようやくお会いできましたね」

 実家でもあるシード家本邸に到着すると、マリスは館の二階にある応接室へ顔を出した。本日の主役の一人でもある姉の婚約者が、父親から自慢のコレクションを無理に見せられていると聞いて救いの手を差し伸べに来たのだ。

 領主のサイラス・シードは無類の短剣収集家で、鋭い刃を誇る片手ナイフから、宝飾を纏った柄の剣まで、実用性には拘らず短剣と部類される刃物を買い集めていた。そして、応接室に備え付けられた鍵付きのガラス棚には、その自慢の品々が並べられている。
 常々、家の者達からは物騒だと嫌悪されていたせいで、その収集品の大半は鞘から抜けないよう封印魔法が施されている。なので、実際に刃物として使える物は少数だ。

「これは北部の職人の手で作られた品でね、ここに魔獣除けの石が埋め込まれているから護身用として最適なんだ」

「これは狩人が弓とは別に携えるナイフで、本来なら獲物の解体が出来るくらいの切れ味がある。小型だから同じ物をいくつも携えて、投げて使うこともできるんだ」

 マリスが部屋の扉を叩く直前まで、父による各剣にまつわるウンチク話が続いていたらしく、初対面の姉の婚約者は困り切った顔で相槌を打ち続けていたのが丸分かりの疲れた表情をしていた。マリスが入って来た時の、「助かった」という彼の満面の笑みがそれを全て物語っている。

「お姉様が、物騒な剣の話はそのくらいにして、お二人もそろそろ降りていらしてとおっしゃってました」
「ああ、もうそんな時間か。仕方ないな」

 まだ語り足りないとばかりに肩を落として剣を片付けるシード領主の後ろで、こっそりとジルドが安堵の溜め息をついていたことに、マリスはあえて何も触れない。聞き上手な客人には申し訳ないが、これから続く長い親戚付き合いの為にも早い内に慣れていただけることを願うばかりだ。

「今日はエッタも一緒か?」
「ええ。下でお姉様に掴まって、揉みくちゃにされてます」
「ははは。コーネリアも相変わらずだな」

 父と姉婿の後ろを付いて廊下を歩きながら、馬車の音を聞きつけたコーネリアに玄関前で黒猫があっさり捕獲されてしまったことを話すと、サイラスは可笑しそうに声を上げて笑っていた。次女の猫好きは家族皆が知ることで、マリスが別邸へ移ることが決まった時の彼女の大袈裟なほどの悲しみ様は今でも時折思い出されて語られることがある。

「エッタというのは、マリス嬢の守護獣の名でしたか?」
「はい。黒毛の雌猫なんです」

 マリスと同じ歳のジルド・バーサスは大陸南部にあるバーサス領の時期当主であり、趣味で古代語を翻訳しているような穏やかな学者肌の青年だった。一見、コーネリアとは対照的かと思われたが、黒猫の話を聞いて目を輝かせたところを見ると、動物好きという点ではそれなりに気が合うのかもしれない。

 ――ジルド様は良い方のようだし、安心したわ……。

 年齢的なことを考えると、本来ならジルドと婚姻を結ぶのは次女よりも三女マリスの方が自然だっただろう。もし守護獣付きでもなく、国家魔導師でもなければ、ジルドの妻に指名されたのは間違いなくマリスの方だったはずだ。バーサスとの政略結婚の相手に年上のコーネリアが選ばれたのは、マリスの立場が影響しているのは明らかだった。

 自分が魔力持ちなせいで、姉が辛い婚姻を結ばされるのではないかと心配だった。年下の気の合わない相手に嫁ぐことになれば、姉に対して一生後ろめたさを抱えていただろう。政略結婚の駒になれない自分のせいで、大好きなコーネリアから笑顔を奪うことになれば悔いても悔やまれない。

 白金の長い髪を首後ろで一つに結い、錆色のスーツに身を纏った姉の婚約者は穏やかな笑みを絶やさない、平和的な雰囲気の男だった。コーネリアが一階ホールのソファーで膝の上に黒猫を乗せているのを見つけると、驚いたように近付いていく。そして、エッタを必要以上に怖がらせまいとするかのように、腰をかがめてからそっと手を伸ばす。

「エッタはとてもお利口だから、平気ですよ」

 差し出された指先に鼻を近付けて匂いを嗅ぐ猫を、ジルドは不思議そうに見ていた。コーネリアに言われてその黒毛に触れてみると、ふんわりと柔らかく艶やかな手触りにはっとした表情になる。

「あなたが夢中になるのも、分かる気がします」
「でしょう? 特にこの子は子猫の時から知っているので、とっても離れがたいんです」
「なら、猫に会いたいと言われた時に、里帰りを反対する理由が思いつかないですね」
「あら、帰りたい時はこの子の名を出せば許していただけるんですか?」

 エッタのことをぎゅっと抱きしめるコーネリアと、その隣に腰掛けて横から手を伸ばして猫を撫で続けるジルド。その平和な光景に、マリスは「余計な心配だったわね」と小さく微笑んだ。