腹が満たされてスヤスヤと眠る赤子を抱き、リンダが隣に建つ魔女の屋敷に戻ると、通いの使用人達が調理場で朝食の後片付けや玄関ホールの掃除をしていた。リンダが隣の家を訪ねている間に、マリスも起きて予定通りに出掛けてしまったようだ。

「おはようございます、侍女長。その子が昨晩置いていかれたという子ですか?」
「おはよう。そう、今お隣で乳を分けて貰って来たんだけど、貯蔵室に入れておいてくれるかしら。傷まないよう氷の魔石を二つ使って頂戴」

 メリッサから譲って貰った搾乳したての乳が入った瓶を侍女の一人に預けると、貯蔵室の温度を調整する魔石の数も指示しておく。氷の魔力が込められた石を倍にすることで、母乳が凍らないギリギリの温度で保存することができるはずだ。

「この子達が入っていた篭はどこに?」
「あ、マリス様が子猫をご覧になられていたので、ホールのソファーに移動させてあります」

 言われてホールへと戻ると、来客時は勿論のこと普段からマリスがくつろぐことが多い大型ソファーの上に、昨晩裏口で置き去りにされていた篭がぽつんと置かれていた。改めて見ても使い古されてボロボロの篭は、革張りの立派な調度品とはとても不釣り合いだ。
 その篭のすぐ横では念入りに毛繕いする黒猫の姿があった。

 いつもは魔女と共に行動することが多い黒猫のエッタも、子猫だけを置いては付いて行けなかったらしい。三毛の子猫と一緒に赤子を篭の中に寝かせると、リンダは「ご苦労さまね」と黒猫の頭を撫でてやる。

 守護獣であるエッタは、一心同体の存在であるマリス以外には全く懐く素振りを見せない。撫でられるのは嫌ではないようだが、素知らぬフリをして毛繕いを続けていた。

 ホールの清掃にあたっていた若い侍女の一人に赤子を見ておくように頼むと、リンダは自分に宛がわれている使用人部屋へと戻った。さすがに夜通しで赤子の世話をしていたせいで、眠気が強くて朝食も喉を通りそうにない。次の授乳の時間まで、少しだけ横になることにした。

「リンダ、具合でも悪いの?」

 ドアを叩く音と共に聞こえてきたのは、朝から出掛けていたはずのマリスの声。ガチャリと開いた戸の向こうから見せた顔はひどく不安気だ。ちょっとした仮眠のつもりでいたが、窓の外はすでに薄暗く、自分が眠りについてから長い時間が経っていることに気付いた。

「あら、随分とゆっくりしてしまったようですね……今、何時でしょうか?」
「夜中に無理させたせい? 起きて大丈夫なの?」

 特に慌てはしないが、起き上がってからさっと身なりを整える。崩れた髪は壁掛けの鏡の前で直し、コート掛けに引っ掛けていたエプロンを身に付けた。
 そして、大事なことを忘れていたことに気付く。

「あ、赤子の乳の時間……」
「大丈夫よ。昼過ぎにメリッサが来てくれてたみたいだから。あの子達もまだぐっすり眠っているわ」

 自分の子に乳をやり終えたタイミングで、隣のルイス婦人が心配して様子を見に訪ねてきたらしい。もし主が在宅ならば、乳母の件を直接願うつもりだったのかもしれない。すごい飲みっぷりだったと、傍で授乳を見守っていた侍女達が感心していたという。

 マリスと話しながらホールへ向かうと、ダイニングテーブルでは夕食の支度が進められていた。自分が半日近くも眠っていたことに、リンダは驚くと同時に恥ずかしくなる。久しぶりの徹夜での子守りは、思った以上に堪えたようだ。

「で、あの子達をどうされるか、お決まりになられたのですか?」
「赤子を保護したことを警護兵に報告した後、実家でお父様と話したわ。やっぱり猫付きだと、軽々しく領外に出すこともできないって言われたわ」

 守護獣付の魔術師。それも、現状では最高位とされている猫付きだ。きちんと魔術教育を受ければ、何よりも代えがたい戦力になり得るし、国家魔導師として国に属せば、その者を輩出した領が受ける恩恵も大きい。かくいうマリスの籍も国家に置いてある。
 高魔力保持者はどこの領でも喉から手が出る程欲しい存在で、養子先を募れば手を挙げる資産家は多いだろう。

「では、当面はマリス様の元でということでしょうか? でしたら、乳母の手配をしないといけませんわねぇ」
「その辺りはよく分からないから、リンダに任せるわ」

 まだ21で未婚のマリスには赤子の世話の経験はない。乳母の選定基準も、赤子に必要な物品の知識すら無い。元乳母である侍女長に丸投げするのが一番だ。

「でしたら、お隣のメリッサ――ルイス婦人が宜しいかと。本人もやる気ですし、乳もよく出ていましたから」
「あら、メリッサのところは他の子もまだ小さいんじゃなかった?」
「ええ、私もそれは確認したのですが、一番上の子が家のことは出来るそうですし、ご主人が怪我でずっと休職されているようですわ」

 家計を支える為にも是非にと顔馴染みの隣人に志願されたら断わる理由がない。未子と共に一日も早く奉公に来るよう、隣家へ急ぎの使いを出す。