グレード家の二階にある研究室で、マリスは魔術マニアな幼友達と魔法紙を囲んで議論していた。
 面倒だと言い張るルシファーに、ソファーとソファーテーブルの上の書籍の山を強制的に移動させ、どうにか落ち着ける場所を作らせた。友人を呼び出しておいて、座る場所も用意していなんてと呆れるが、重度の魔術マニアだから仕方ない。

「下から吹き上げる風がキツ過ぎるわ。髪もスカートも舞い上がってしまうし、とてもはしたないわ」
「いや、そもそも淑女は窓から飛んだりしないから……」

 窓枠に足を掛けた時点で全くお淑やかとは言えないが、マリス的にはそこは問題ないらしい。降下中に衣服と髪を抑えないといけないのが不満なのだという。気に入ったみたいだが、あと一歩といったところだろうか。

「あ、そうだわ。自分を結界で囲んでしまうのはどうかしら。結界ごと風で持ち上げればいいのよ」
「ああ、なるほど……けど、それでは消費魔力がかなり増えてしまわないか?」
「落ちてる間だけでしょう、そのくらいの短時間なら平気よ」

 結界で守りながら風に乗せる。以前に北の辺境地グリージスの魔導師が通信魔法で使っていた技法だから、魔法同士の相性は良いはずだ。
 マリスの提案をすぐに取り入れることにしたルシファーは、魔法紙に描かれた魔法陣を指でなぞり、新たに結界魔法を構築する古代文字を加えていく。

「落下速度は風力を上げることで調整できそうね」
「落ちるのを止められるなら、浮かせることも出来そうなんだけどね。何度やっても落ちてしまうんだよね……」

 壁面の棚に立て掛けた梯子の上から何度となく試してみたが、ドスンという落下音に驚いた使用人が部屋に駆け込んでくるだけだった。浮遊魔法は彼にとって夢であり、魔法研究者としてのロマンだ。鳥のように空を自由に飛べなくても良い、ただふんわりと宙に浮かぶことができたらと思うのだが、全く上手くいかない。

「じゃあ、次は最大風力で飛び降りてみるわね」

 魔石への魔力補充をこなした上でまだ魔力が残っているのかと、ルシファーは感心したようにマリスのことを見た。決して底なしという訳ではないのだろうが、まだ彼はマリスの魔力の底を見たことがない。

 ――次からは予備の魔石をもう一つ用意しておいても、問題なさそうだな。

 一度目と同じように二階の窓から顔を出して見上げていると、三階の窓からマリスと共に老齢の執事が顔を覗かせた。逆光で顔色までは見えないが、古参の執事がオロオロしながら顔を強張らせているのは分かった。

「マ、マリス様がここから飛び降りるって、おっしゃっているのですが……」
「ああ、うん。好きなようにさせてやって」

 どうやら窓に足をかけ掛けたところで使用人達から見つかってしまったらしい。見知った令嬢が挨拶もそこそこに窓を開くと、いきなり窓枠に足をかけて身を乗り出そうとしたのだから驚いたことだろう。
 上の階で起こった状況を察したルシファーは狼狽えながら確認してきた執事に、大丈夫だと手を振ってみせた。納得のいかない表情のまま顔を引っ込めた執事に替わって、マリスが困り顔を覗かせる。

 騒いでいる内に人がどんどん集まって来たらしく、上の階からザワついた声が聞こえて来た。躊躇っている間にもっと騒ぎになって飛び降りを阻止されてしまうと、マリスは野次馬の声を振り切って、窓枠に足を掛けて一気に外へと飛び出した。

 わっという驚きの声が三階から聞こえ、慌てて窓に駆け寄ったグレード家の使用人達は皆が我が目を疑っていた。勢いよく窓の外に飛び出た客人は、自分達の目の前をゆっくりゆっくりと下降している。空中からこちらへと笑顔で手を振りながら、その姿は下に向かって移動していく。

「この速度が限界ね。これ以上は止められないわ」
「下からの風の影響は?」
「それは平気。髪もスカートも無事よ」

 二階の窓を通過しながら、平然と声を掛け合う。結界で身体を覆っているおかげで、髪も衣服も風の影響を少しも受けてはいない。
 上の階から覗き込んでいる者達は目を丸くしながら、マリスの行方を見守っていた。そして、魔女の足が庭の土を踏んだ瞬間、その姿を見ていた者達の口から歓声が沸き上がる。
 樹木の剪定をして一部始終を下から見上げていた庭師は、ぽかんと口を開けたまま庭の片隅で立ち尽くしていた。

「たださ、これをどんな時に使うんだって話なんだけどね」

 逆風を制御できたことに満足して戻って来たマリスに、ルシファーは自虐的に呟いた。魔術研究者として世に出すには、あまりにも実用性がなさ過ぎる。下降ではなく上昇だったならば、何かと使い道は思いつくけれど。新しい研究書の発表は当分はなさそうだ。

「あら、とっても楽しかったから、院で子供達に披露してあげようかと思ってるのに」
「教会の窓から飛び降りる気? 間違いなく、騒動になるよ……」

 個人の屋敷の中なら良いが、人目に付く場所ではやめてくれとルシファーは本気で懇願した。そうでなくてもマリスは目立つ。護衛付きの馬車で乗り入れた教会で、飛び降り事件なんて起こされたら堪らない。
 焦って必死で止めてくるルシファーのことを、当のマリスは声を出しておかしそうに笑っている。

「とにかく、君の悪乗りに僕を巻き込まないでくれ!」