マローネに優しく声を掛けて宥めながら、マリスは腕に赤子の高い体温を感じていた。泣いて暴れているから尚更なのだろう、大人のものとは全く違う。抱いているだけで、じんわりと汗ばんでくる。
 顔を真っ赤にして自分の意志を必死で訴えているマローネは、とてもエネルギーに満ちていた。そしてその発散され放出されている力を、マリスは全て受け止めていく。マローネの出す力を感じ取って、同じ力でもって相殺していく。

 マローネが魔力を暴走させることで、周囲を大幅に破壊したり、誰かを害したりすることは決して見逃さないつもりだった。一度でも誰かの前で過ちを犯してしまえば、それを目にした者はこの子のことを、この子の力を恐れてしまう。そして、この子の周りからは居なくなってしまう。

 ――誰も、お母様のようにはさせない……。

 マローネを抱く腕に気持ちばかり力を込め、何があっても守り抜くことを誓う。赤子のことを受け止めてあげられるのは、今は自分だけなのだ。この子をここに連れて来た本当の親は、それが分かっていたのだろう。この子を守り育てることができるのは、ここだけだから。捨てられはしたが、この子はきっと愛されていたはずだ。

「あなたはとても運がいいわ。いいえ、捨てられて運がいいだなんて、おかしな話よね」

 この国は何かが間違っている。特別な力と持ち上げながら、魔力持ちを恐れて排除しようとする側面も存在するのだ。養子に出されたり、人目のつく場所に置いていかれるのならまだマシだ。魔力があると分かった途端、切られてしまう命も少なからずあるのだから。

 小さな魔術師が完全に力尽きて寝息を立て始めたのを確認すると、マリスは廊下に避難していた乳母を呼び寄せた。心配そうに部屋の中を見回したメリッサは、割れた水入れには気付いたようだったが、特に何も言わずにギルバートをベビーベッドに降ろすと、マリスからマローネを受け取った。その動作に躊躇いは感じなかった。

「起きて誰の姿も見えなかったら、不安になるのは当然ですよね。すぐに顔を見せなかった私が悪かったんです」

 マローネの頬にキスして、ぎゅっと抱きしめ直す。この子の癇癪は普通よりちょっと激しいだけで、特別なことは何もない。

「マローネ様は大人しい良い子ですわ」

 優しく微笑みながら、赤子の前髪を撫でているメリッサに、マリスは少しばかり目を丸くしていた。

「あなたに乳母を頼んで良かったと思うわ」
「私もこの出会いにとても感謝しています」

 にこりと穏やかに笑む乳母は、強き母の顔をしていた。彼女にとって、マローネはすでに我が子も同然の愛すべき存在になっているのだ。メリッサなら、何があってもマローネのことを遠ざけたりはしないだろう。侍女長であるリンダの目に狂いは無かった。

 子供部屋を出てホールに戻る際、部屋の外にいた使用人に割れた水入れの片付けを指示し、マリスは階下に集まって心配顔で二階を見上げていた使用人達にも気付いた。主が平然と降りてくるのに安心したらしく、すぐに散り散りになって各々の仕事へと戻って行ったが、屋敷中の皆が赤子の癇癪の行方を見守っていたらしい。

「……やっぱり、恐ろしいわよね。魔力暴走なんて」
「あら、皆はマローネ様の力を畏怖していた訳ではございませんわ」

 ソファーに腰掛けた魔女に、先日コーネリアから貰った薬草茶を淹れて出しながら、リンダは揶揄うように笑って言う。

「マリス様がお一人で赤子の相手なんて出来るのかしら、って心配していただけですわ」
「何よ、それ。小さい子の相手なら、院の慰問でいつもしているわよ」
「あら、そうでしたわねぇ」

 おかしそうに笑いながら、リンダは蒸らしたタオルをマリスに差し出す。暑い季節ではないが、泣いて暴れる赤子を抱き続けていたおかげで、マリスの首元は汗ばんでいた。汗を拭いながら、マリスは不満気に頬を膨らます。
 本邸勤めの長い者が多いこの屋敷では、いつまで経ってもマリスは領主家の末子の扱いのままだ。もう21になったというのに、元乳母であるリンダを筆頭にして、世間知らずな幼子のように思われている節があった。

 薬草茶で喉を潤すと、先程は無かったはずの封書がソファーテーブルの隅に置かれていることに気付く。マローネの対応中に届いたという手紙を裏返すと、差出人名を見てマリスは吹き出した。

「これだから魔術マニアは困るわ」

 表記されていたのは古代文字。魔法陣で使用される文字列で、わざわざそれを用いて書かれた名はルシファー・グレード。本邸のある中央街に住む、マリスの幼友達であり、魔術研究者だ。魔術に関する研究書をいくつか発刊してはいるが、本人はそれほど魔力を持ってはいないという風変わりな人物だ。

 リンダが用意してくれたナイフを使って開封して中身を確認し、マリスは呆れたように大きな溜め息を吐いた。

「仕方がないわね、もうっ」