月が雲に覆われて月明りすらない夜更け、薬草畑に面した裏口の方から何かが動く物音が聞こえてきた。薬草と一緒に育てている根菜を狙った野生動物だろうかと、それほど気にも留めず、黒髪の魔女は二階の寝室で、もう一度目を閉じ直した。

 大陸の端、断崖絶壁に面しているこの小さな町ルシーダは土地は肥沃だが、隣街イールスのように漁港がある訳でもなく、旅人すら滅多に寄り付きはしない。当然、夜中にフラフラと出歩けるような酒場も少ない。――だから、兎か鼠でも迷い込んだだけだと最初は思ってしまった。

 しんと静まりきった中で耳に届く、そのか細く小さな泣き声に、魔女マリスはベッドから飛び上がった。屋敷の裏口から聞こえてくるそれを確かめようと、ベッド横の椅子に掛けていたローブをさっと羽織って部屋を出る。長い黒髪を揺らしてバタバタと階段を駆け下り、台所にある勝手口の戸に手を添えてから、大きく息を吐いて心を落ち着け、耳を澄ませる。

 間違いなく、泣き声は戸の向こうから聞こえていた。そして、外には他に大人がいる気配は感じない。
 出来るだけ音を立てないようにそっと戸を押し、首だけを出して外の様子を伺ってみる。

「ああ、やっぱり……」

 諦め顔に似た笑いを漏らすと、戸口の横に置かれた篭の中を覗き込む。暗がりに怯えるように泣き声を上げているのは、生まれたばかりの赤子だった。

「またですか? これで何人目になりますかしらね」

 片手に持ったランタンを掲げながら、住み込みの侍女が調理場から訝し気な顔を覗かせた。マリスの足音で起こされてしまったらしく、何事かと様子を見に来たらしい。

「リンダは朝一で警護兵の詰所に報告に行ってくれる? 神父様のところへは私が連れてくわ」
「かしこまりました。その子もやっぱり、魔力持ちでしょうか?」
「そうね、生まれたばかりにしては、かなり強いわ」

 地べたに直置きにされていた篭を抱えて屋敷の中へ入ると、侍女の持つランタンの灯りにその小さな赤ん坊の顔が照らされた。明るい栗色の柔らかそうな産毛は生まれたばかりにしては量もある。泣きながらバタつかせている手も足も小さく、とてもか細い。

「手紙とか、何か入ってはいないんですか?」

 篭の中に手を入れて、赤子と一緒に何かメッセージ的な物が潜んで無いかと探ってみるが、この子の身元の手掛かりになりそうな物は全く見当たらない。だが、赤子を包んでいる薄い布の中に手を入れたマリスは、その感触に目をぱちくりさせた。

「何かが居るわ」
「え?」

 台所の調理台の上に篭を乗せると、魔女マリスは魔力を放って壁掛けの照明を灯す。その眩しさに驚いたのか赤子は一瞬だけ泣くのを止めて、警戒したように身体を強張らせていた。

「今、何かフワフワした物に触れたのよ」

 赤子の身体に掛けられていた布をそっと捲っていく。夜風から赤子の体温を守る為に入れられていたのは、綺麗に洗濯されてはいたが使い古されたとても質素な布だった。それだけでこの子の産まれた家の事情が垣間見れる。

 その布を全て捲り広げると、篭に横たわった赤子の小ささにも驚いたが、その身体に寄り添うように居た三色の毛で覆われた小さな獣の姿にマリスは声を失いかけた。

「守護獣付きだわ、この子……」

 マリスの声に目を覚ましたらしき獣は、三角の耳をそば立て、丸い目を見開いてマリスとリンダを見上げる。そして、白黒茶で彩られた三毛を逆立てて、小さな口から乾いた威嚇の声を発した。

「あらあら。こんなに小さくてもちゃんと護ろうとするんですね」

 迫力に欠ける威嚇に、マリスの横から覗き見ていたリンダは噴き出した。再び泣き始めた赤子を慣れた手付きで抱き上げると、その背をトントンと優しく叩いて落ち着かせる。

「毛色は違うけれど、これも猫かしら? エッタ?」
「みゃーん」

 どこから現れたのか、魔女の足元に擦り寄っていた真っ黒な獣が、長い尻尾を伸ばしながら返事する。トンと軽い身のこなしで台に飛び乗ると、篭の中でシャーシャーと空威嚇を繰り返している三毛の匂いを嗅ぎ出した。
 エッタと並ぶと随分小さく毛色も違うが、同種なのは間違いない。

「猫付きだと、神父様に預けるのは無理よね」
「普通の人には養育出来ませんからねぇ」
「だから、うちなのね。困ったわ」

 黒猫は無理矢理に篭の中へ入り込んで、三毛を舐めて毛繕いし始めた。威嚇を止めてされるがままになった子猫は、安心したのか目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしている。

 強い魔力を持って生まれた者に寄り添って存在する守護獣。一説によれば、魔術師の余剰魔力によって生み出され、その魔力量によって現れる種が異なるという。
 一般的とされているのは、鼠やリスなどの小さな個体。それでも魔力持ちの万分の一の確率でしかない。

 その稀有な魔力持ちが誕生した場合、国に報告した上で、その力の制御を身につける為の教育を受けさせる義務がある。
 たとえ守護獣が現れる程でなくても、強い魔力を持って生まれた子には魔術に関する特別な教育が必要とされる。当然、それらの教育費は家族の負担になり、もし然るべき教育を施さない場合は厳罰の対象だ。

 町外れの屋敷に住む辺境の魔女マリスの元に、魔力持ちで生まれた我が子をこっそりと託しに来る者は今回が初めてでは無かった。

 生活に余裕の無い家にとって、魔力持ちの誕生は大きな負担でしか無い。
 面倒を見てくれそうな家や教会の前に置き去りにされる子は後を立たないし、生まれてすぐに人知れず葬られてしまった子の数は確認しようがない。