黒川(くろかわ)芹菜(せりな)は、幼い頃から物静かな少女だった。
 それは、直ぐに怒鳴る父と、気に入らないとヒステリックに泣く母を持っていたが故の彼女なりの処世術だったのかもしれない。
 10歳年上の兄、小菊(こぎく)が、自分と同じ苦労をさせないようにと、両親と芹菜を遠ざけようとしたが、当時まだ幼い小菊には完全にその役割を果たせることがなかった。
 そうして、身に着けた処世術で誰にも反抗せず、自分を持っていないとも見れる彼女の言動を、幼い同級生たちは面白がって虐めた。芹菜が9歳の時だった。

 彼女は人前で泣きはしなかったが、いつも独りで泣いていた。
 両親はそんなことなど知らず、仕事に没頭していた。
 兄はそんな彼女を励まし、抱きしめ続けた。
 つらい幼少期を救ったのは、そんな兄の優しさと、兄が持っていたJポップのCDだった。
 芹菜は気を紛らわせるために音楽にどっぷり浸かっていく。

 しかし、芹菜の周りは敵だらけではなかった。
 実兄は底抜けに優しかったし、幼稚園時代に知り合った幼馴染の佐竹(さたけ)紫苑(しおん)紅華(べにか)兄妹はいつも彼女の味方だった。
 佐竹兄妹の兄で芹菜より一つ年上の紫苑は彼女を色恋で愛していたし、妹で芹菜と同級生の紅華は友愛で彼女を愛していた。
 だから、学校での男子からの暴力は紫苑が止めたし、女子からの暴力は紅華が止めた。
 佐竹兄妹は見目麗しく人気のあり、そこそこ裕福な家柄の育ちの兄妹だったので、そんな彼らに嫌われながらも芹菜を虐めることはないか、という佐竹へのゴマすりの意見もあれば、ただ単純にあの佐竹兄妹を敵に回したくないという恐怖もいじめっ子にはあったらしく、いじめは一年そこそこで完全に止んだ。

 だが、所謂、毒親育ちと言われるような家庭環境の悪さの影響や、いじめの後遺症は芹菜にもあったようで、芹菜は兄と佐竹兄妹以外と極力かかわらないようになり、小学校卒業するまでには常に誰にでも敬語で話すようになった。
 そして、兄や佐竹兄妹がいないときは、世界をシャットアウトするように、ヘッドホンで音楽を愛でるようになった。

 そんな芹菜は、元々、歌の上手い少女だった。
 幼馴染トリオが小学低学年の時、芹菜の歌を初めて聴いた紫苑は、「せりなはオレのカナリアだ!!」と言った。
 彼は前日に、動物番組でカナリアという鳥が綺麗な声で歌う事を習っていた。
 それから、紫苑は事あるごとに、芹菜を『オレの金糸雀(カナリア)』と言うようになるのだが、芹菜はそれがこそばゆくてひたすらに嫌がった。
 しかし、紫苑はその言葉を気に入ってしまったのか、芹菜が嫌がっているのを知りながらも愛しさから言い続け、終いには、悪意はないと分かっていたから、芹菜が根負けすることになる。

 音楽にハマりだしてからの芹菜の歌声の成長は、著しかった。
 普段大人しい彼女が、唯一自分を表現できることなのだろう、と彼女の兄は思った。
 しかしそれはいつしか普段の人格と、歌っているときの人格は違うのではないかと錯覚するほどの印象の違いに発展した。
 彼女の兄、小菊は、妹には音楽の才能があると確信し、佐竹兄妹と、その家族を巻き込んで、幼馴染トリオ3人でバンドを組んではどうかと提案した。
 しかし、幼馴染トリオは『3人での』バンド結成を拒んだ。

「オレは菊兄もいっしょやないとやらんで」

「あたしも、おにぃに同感や」

「……私も、兄さんも一緒がいいです」

 幼馴染トリオに満場一致でそう言われてしまい、小菊は、「う~ん……」と唸った。
 当時、幼馴染トリオは、紫苑が中学2年、芹菜、紅華が中学1年だった。
 芹菜の10歳年上である小菊は、この時、22歳。
 幸い、自身も音楽が好きで、少し前からギターもやっているが、中学生に混ざって大人が入るのは如何なものかと悩んだ。

「まあまあ、菊ちゃん、私たちはこの子たち三人で音楽をさせるより、大人の貴方が傍にいてくれる方が安心なんやけどもね。ねぇ、お父さん?」

「せやなぁ。母さんの言う通りやで菊くん」

 幼馴染トリオは、佐竹夫妻(佐竹兄妹の両親)の援護射撃を受け、目を輝かせながら小菊を、見た。
 小菊は、はぁ……と息を吐く。

「おっちゃんら味方につけられたら俺は何も言えん」

「「じゃあじゃあ?!」」

「……兄さんも一緒にバンドしてくれるんですか?!」

 佐竹兄妹がテンションが高いのはいつものことだが、珍しく可愛い可愛い妹が前のめりなので、大層可愛くて、つい彼女の頭を撫でる。

「俺の言うことはちゃんと聞きや」

「「はーい!!」」

「……はい!!」

 これが『金糸雀』という四人組バンドの始まりだった。

 果たして、『金糸雀』は自由に羽ばたけるのだろうか。