「言ってる場合じゃないよ! 指が溶けちゃったんだから、近くの診療所かどこかで診てもらわないと! 今ならまだ、治癒魔法で治してもらえるかも!」

 アメリアはこの辺りの土地に詳しくないが、どこにでも診療所はある。サタナクアのような魔法都市であれば、マナを変換して治癒力を付与する『治癒魔法』で治してもらえる。
 ところが、慌てるアメリアとは対照的に、ヴァルカンはまるで怪我などしていないかのように落ち着いていた。

「いい。じきに元に戻る」
「元に……戻る?」

 もう、二人にはさっぱり訳が分からなかった。
 骨だけになった人差し指を隠そうともせず、ヴァルカンは一人で納得していた。

「とにかく、魔法使いと魔法、トーナメントについては大まかに理解できた。協力する利益があるとも確認できたし、明日からはしっかり、船員として働いて貰うぞ」

 人を撃つ。いずれ人を殺す。指が骨だけになってもかまわない。
 こんな相手と組むと知っていて、ニーナが大人しく首を縦に振るはずがなかった。ともすれば最初から協力に否定的だった彼女が、アメリアに顔を寄せ、耳打ちするのは必然だった。

「……アメリア、やっぱり危ない人だよ、この人……自分の指を溶かしたり、人を撃ったり……今からでも遅くないよ、ここから逃げて家に帰ろう……?」

 ニーナは悪い夢から逃げるべきだと進言したが、アメリアの決意は固まっていた。

「……ううん、寧ろやるしかない」
「へっ?」
「トーナメントは四年に一回、今を逃したら次はないかもしれない! 確かにヴァルカンは人を撃つような奴だけど、多分悪党じゃないし、きっとうまくやれる!」
「多分、きっとぉ……?」
「ボクの座右の銘は、『人生は賭け事』だよ! だったら、勝負に乗るだけさ!」

 彼女の目には、夢への期待と危険性を天秤にかけた末に、輝く未来が映っていた。
 ――天国か地獄かの、大博打と言い換えた方が正しいかもしれないが。

「船員ってのは嫌だけど、協力はしてあげるよ! 改めてよろしくね、ヴァルカン!」
「もう、アメリアってばぁ……一度決めたら、曲がらないんだからぁ……」

 呆れるニーナの隣でアメリアが立ち上がり、握手を求めた。
 ヴァルカンも相手がここまであっさりと了承してくれると思っていなかったのか、ほんの少しだけ目を丸くしてから、椅子から立って彼女の握手に(まだ指が残っている方の手で)応じた。
 ぎゅっと手を握った時、アメリアは確かに、彼の掌に温かさを感じた。

「……いい返事だ」

 それからわずかに――ほんのわずかに、彼の口角が上がったような気がした。
 おまけにヴァルカンのそれは、笑い慣れていない不自然な表情ではない。残虐非道な海賊のはずなのに、驚くほど自然な吊り上がり方をしていたのだ。

(あれ、笑った?)
(笑うんだ、この人)

 二人はヴァルカンのことが、やはり分からなかった。ただ、アメリアが最初に抱いた感想のように、もしかするとまともで、優しい人間ではないかと思えてならなかった。
 そんなアメリア達をよそに、彼はテーブルを離れた。

「そろそろ宿を探すとしよう。お前達の部屋も含めて、いい宿を探すぞ」
「宿って……ボク達、そんなに高い宿屋には泊まれないよ? お金は確かにあるけど、節約しないといけないし……」
「金ならある」

 ズタ袋の中に詰まった金貨を、またも無表情に戻ったヴァルカンが鳴らした。

「ま、また血が……」
「……あのさ、そのお金……どこから調達したの?」
「借りただけだ。海賊としてな」

 赤黒く汚れた金貨を数枚掴んで、ヴァルカンはこともなげに答えた。
 アメリアとニーナが軍資金として貯め込んだワルド貨幣の数倍近い量の額を、どこから借りたのか。どうして血がついているのか。真実を聞く勇気は、二人にはなかった。

「あっ、ふーん……」

 納得したふりをする二人の前を横切り、ヴァルカンは(ちょっぴり怯えた様子の)喫茶店の従業員に金貨を投げ渡した。

「店主、三人分の代金だ。釣りはいらない」

 ――その手には、確かに人差し指があった。
 一瞬、アメリア達は指が残っている方の手で代金を渡したのかと思った。しかし、彼の両手には指の肉が残っている。どちらも、怪我などしていないかのように綺麗な状態で。
 二人は顔を見合わせて、一緒に首を傾げた。

「あれ? ねえニーナ、ヴァルカンの指、治ってるよね」
「うん、治ってる……確かに溶けてたはずなのに……?」

 こればっかりは無視できないと、さっさと喫茶店を出ていくヴァルカンをアメリアが、次いで追いかけるようにニーナがついて行き、声をかけた。

「ヴァルカン? あのさ、指が元に戻ってるよね。魔法でも使ったの?」

 彼は指をアメリアに見せつけたが、彼女の方を一瞥もしなかった。

「俺は海賊だ。魔法は使えない」
「だったら、どうして……」
「呪いの力だ。俺を長く生かし、苦しめる為のな」
「そ、そうなんだ……」

 返事になっていない返事を聞いて、二人とも謎の追及を諦めた。

「明日から忙しくなる。生活必需品を買いそろえるぞ、ついてこい」

 そう言うのは、通りを歩くだけで人々から一歩半ほど退かれる男、ヴァルカン。
 ぼろぼろの衣服を身に纏い、ピストルと剣を提げる男、ヴァルカン。
 いつ警邏隊に通報されてもおかしくない男、ヴァルカン。
 奇々怪々な彼の後ろ姿を眺めるアメリアとニーナの心中には、それぞれまったく異なる感想がふわふわと漂っていた。

(ヴァルカン、呪われた海賊……絵本の登場人物みたい……)

 ニーナは、昔読んだ本の登場人物と重ねて。

(まあ、なんでもいいや。ボクの名を知らしめるのに、協力するならね!)

 アメリアは、偉大な物語の添え物として。
 二人は小さく頷き合ってから、放っておけばいつどこかに行ってしまうかも分からない陸の海賊を、駆け足で追いかけて行った。

 ――ちなみに、三人がその日の晩に泊まった宿は、ごく普通の宿だった。
 部屋は一つで手狭、水浴びは冷たい桶、家具はテーブルとベッドだけ。
 金があるならもうちょっと贅沢をしたい、というアメリアのワガママは、ヴァルカンにあっさりと無視されてしまい、都会で豪遊する彼女の夢はひとまず叶わなかった。