イベントホールは静まり返っていた。
 残りひとりも斬り伏せた。穂積は軽く吐き捨てる。
「もう終わりか? 肩すかしだな」
 最後のひとり、黒川に歩み寄った。
 すでに戦意はなく腰を抜かしていた。青ざめた表情で穂積を見つめる。
「覚悟はできてるな」
 最後通牒を突きつける。
 穂積が大太刀を握り直した時だった。黒川が手をあげて叫ぶ。
「ま、待て! 俺は騙されただけなんだ!」
 吐かれたセリフにぴたりと動きをとめた。冷たく見下ろす。
「仲間が全員やられた後での命乞いか? おまえの本性、見えてきたぞ」
 底の浅い人間関係だと揶揄すれば、ぐっと押し黙った。
 実際にそうなのだろう。彼らにとってすれば気の合う仲間と刺激的な毎日を送っていただけにすぎない。その裏側で多くの人々に理不尽を強いてきたことを自覚できていないだけだ。
 そう思っても穂積は口にしなかった。わざわざ教えてやるほどの時間も義務もない。
「俺は、とっくに決めてるんだ」
 視線も剣尖も揺らがない。まっすぐに見据えて、ただ告げる。
「おまえたちのような感染者は狩り尽くすってな」
 とっくに答えは出ている。
 戦うと決めた時から【神機(じんき)】を手にした時から、穂積は選んでいた。
 ウイルスによって崩されたもの、崩したもの、堕ちたもの、あらゆる理不尽を断ち切る。燃やし尽くす。その覚悟を決めている。
 誰一人として例外はない。黒川も仲間たちと同じ結果になる。
 それを選んだのは他でもない。黒川自身だ。
 そっけなく告げた穂積は大太刀を振りあげる。
「待ってくれ!」
 視線を伏せたまま黒川は叫ぶ。
 すぐに顔をあげて懇願する。泣き出しそうな混乱した表情で穂積を見つめた。
「俺は何も知らない! 信じてくれ!」
「ふざけんなよ。これだけ好きに暴れておいて今さら部外者ぶってんな」
「本当だ! 俺は……俺たちは頼まれただけなんだ!」
 でまかせにも思える言い分だった。穂積の瞳がさらに冷えていく。
「人の指示に従って人殺しか。依頼する方も下衆だが受けるおまえたちも同じくらい下衆だな」
 吐き捨てるように呟く。
 仮に彼の言葉が事実だとしたら同情の余地はない。他者の言葉で人を殺す。軽い認識、受け入れる判断、実行する意思を疑う。
 突き刺さる言葉に顔を伏せながら、それでも黒川は弁明する。
「本当だ! 俺たちは薬が欲しかっただけで……」
「薬?」
 穂積が眉根を寄せる。聞き覚えのある単語が記憶を探りだす。
『これでまた薬が手に入るんだ』
 彼自身が口にしていた。
 違和感の正体がわかるかもしれない。
 穂積は迷わず大太刀を突きつけた。男の喉元にぴたりと切っ先が吸いつくようだった。わずかな隙間しか猶予はない。
「ひッ……」
「知ってることを話せ」
 低い声音で脅しをかける。
 効果が十分だったのか余裕がないのか、黒川は震えながら声をしぼりだす。
「と、取引をしてたんだ。薬をもらう代わりに騒ぎを起こすように指示された」
「何の薬だ?」
「力を強化させる効果があるって、実際に俺は風が使えたし、もうひとり、青木ってやつも……」
 最後の方は尻すぼみになり聞き取りづらい。それでも根気よく耳を傾ければ隠れていた事実が浮かび上がった。
 黒川の説明によると、三ヶ月前から薬の取引をしていたという。相手は男で、薬の見返りに頼みごとを聞く約束をしていた。始めは薬だけもらって反故にするつもりだったが、効果が表れていくにつれて気が変わっていった。
 穂積は内心で舌打ちしたくなった。
 第三者の存在がいる。どおりで彼らの行動に一貫性がないわけだ。聞けば、ショッピングモールで騒ぎを起こすよう指示を受けた時にいくつかの条件もついていた。
 極力、食事をしないこと。警察との交渉は無視すること。侵入者は全員殺すこと。それ以外は好きにしていいと言われた。
 耳を傾けながらも穂積は呆れるしかない。
 たとえ魅力的な報酬()だとしても引き換えにしては危険性(リスク)が大きすぎる。そんなことにも思い至らない彼らの判断力が不思議で仕方ない。ましてや相手の素性もよく知らないという。信頼における確証などどこにもない。
「おまえたち、利用されたって気付かなかったのか。ここで籠城を続けても不利になるだけだろうが」
 目的が何にせよ、彼らは都合のいい囮だ。夜明けとともに見捨てられる可能性もあった。そう告げても黒川は反論する。
「あんたたちが来た時が脱出のチャンスだったんだ……あの人がそう言ってた! 知ってることは話した! 助けてくれ!」
 声を荒らげて信用する根拠はあったという。
 一緒に脱出する算段だったと主張するも穂積には体のいい話にしか聞こえなかった。信用する根拠が薄い。その一方で納得もした。これぐらいの鈍さでなければショッピングモールに立てこもるなどという派手な騒動を起こせるはずがない。
 穂積は、まだ見ぬ第三者の存在が気になってきた。目的や狙いがきっとあるはず。
 本来なら感染者は単独での行動を好む。極力、人も殺さない。わずかな血液を摂取して記憶を消したり眠らせたりする。今回のように目立った行動を起したり、被害者を作れば、警察が動く。穂積のような神機遣いをおびき寄せるともかぎらない。
 それを知っていて、わざと騒ぎを起こしたのだとしたら。
(待てよ)
 新しい疑念が頭をかすめた。
 ドンッと衝撃に足元がふらつく。地震かと思ったが揺れはやって来なかった。
「なんだ?」
 穂積が周囲を窺う。
 見渡す視界には何もない。ただし遠くで音が聞こえた気がした。二度、三度、音がする度に近づいてくる。
 ガシャンッ!
 すぐ近くでガラスの割れる音した。続けて雨宮が転がり込んでくる。全身が切り傷と血に汚れ、腹部は赤黒く染まっていた。
 穂積は呆れた表情で訊ねる。大怪我などはしていないようだが、いつもながら無傷ではいられない性分なのだろうか。
 もう少しスマートにやれと言外に含ませてみる。
「何やってんだ。おまえ」
「僕がのんきに楽しく遊んでたように見えますか」
 ぴしゃりと返される。その表情は不機嫌そうだ。
 ヤツはどうしてこうもひと言多いのか。
 不思議でしかない。憎まれ口を叩かないと呼吸できないのだろう。そう思うことにした。
 雨宮がおもむろに起きあがる。ついでに服をはたいてガラスの破片を落とした。最後に横目で見つめてくる。その瞳は赤く染まっていた。
「――――彼です」
 そのひと言で察する。
 頭をかすめた違和感。それが一気に消失した。
「そういうことか」
 穂積は片方の眉をつり上げた。
 バラバラだったパズルのピース。それが全て繋がった。想像していた絵よりも全体像は広い。
 そして穂積にも無関係とはいえなかった。
「穂積か」
 ザリッとガラスの破片を踏む足音がした。それが誰のものであるかを知っていた穂積は特に表情を変えなかった。
 南口へと続く通路から人影が見えた。無駄のない動きで歩み寄ってくる。
「久しぶりだな」
 現れたのは長身の男性だった。
「一年半ぶりになるか。相変わらずだな」
 照らされた容貌は、彫刻のように美しかった。
 雨宮も整った顔立ちだが、それよりも一層、人目を引く。まるで人為的に作られたような不気味ささえ漂う。
 チェスターコートとスーツ姿だが、雨宮のようなカジュアルな要素はない。
 オールバックの髪型にも服装にも一切のくせや皺がなかった。神経質と思わせるような整えられた美が寄り添う。
 圧倒的な存在感だが穂積は鼻を鳴らすだけだった。
「悪いな。俺はおまえらみたいにみみっちい馴れ合いはしない主義なんだ」
 ずる賢い取引などしないと言外に含ませると小さく息をもらすような吐息が聞こえた。深影が微かに笑ったようだった。
「み、深影さん!」
 血相を変えた黒川がまろぶように走り寄る。
「あ、あの……俺……!」
 穂積が何を思うよりも先に言葉をしぼりだそうとしていた。
 声をかけられた深影は冷たく一瞥する。
「おまえにもう用はない」
 低い声音とともにドッと鈍い音がした。黒川の胸にはナイフが突き刺さっている。
 次の瞬間には深影が乱暴にナイフを引き抜く。大量の鮮血が噴き出した。
「なん……」
 目を見開いたまま黒川がゆっくりと倒れる。
 床に流れる血を見つめながら冷たく呟く。
「所詮、雑種は雑種だな」
 深影はわずかに眉をひそめるだけだ。
「開発した(ドラッグ)を使ってもこの程度とは……とんだ予備実験だ。使えるデータが何もない」
 その口調からは嫌悪は読み取れなかった。
 むしろ興味が薄い。言葉にしているものの期待も落胆もない。道端のごみに関心がないように、最初からあてにしているものがない反応だった。
 穂積は大太刀を構える。
 一瞬だけ黒川の遺体に目を向けた。
 同情の余地はない。自分も殺す気だった。だが、深影の行為は別の意味を含んでいる。あるいは、なかったのかもしれない。
 目の前に現れた、この男にとって感染者を殺したという感覚はない。実験動物(モルモット)を一体、処分した。その程度の価値しか見出していない。
「深影」
 穂積は名を呼ぶ。
 構えは解かない。いつでも踏み込めるよう重心を移動させる。
「いつまでそんな悪趣味な実験を続ける気だ?」
 目的を訊ねることに意味はない。
 彼がしていることはわかりきっている。彼の目的は二年前から変わっていない。
 対する深影も表情を変えない。大量の返り血を浴びた右手でナイフを捨てる。カシャンと乾いた音がやけに大きく響いた。
「おまえたちには到底理解しえないことだ」
 抑揚のない声で呟き、右手を見つめた。
「このウイルスこそ世界を破滅に導く。私の手でそれを完遂させる」
 血に濡れた指先を握りしめて、きっぱりと断言する。
 穂積はわずかに顎を引いた。
「本気で言ってんのか」
 再度訊ねる。
 彼が望むのは世界の破滅。
 正気とは思えない。
 深影は首をわずかに傾げた。理解できないとでもいうかのように。
「むしろおまえたちには好都合だろう。こんな程度の低い雑種たちの処分する手間が省ける」
 横目のまま視線を落とす。その先にあるのは黒川の死体だった。
 穂積には理解できない。
 忌み嫌う【Vウイルス】に自ら感染し、同じ感染者を利用して切り捨てる。そうまでして追い求めたいのは世界の破滅。矛盾しているというより、狂っている。
「深影さん」
 雨宮が口を開く。戸惑いが隠し切れない。
 迷いながら発した言葉はかすれていた。
「……それが彼女の望みとでも?」
「おまえに紗奈(さな)を語る資格はない」
 すっぱりと切り捨てられる。
 視線をあげた深影の瞳は赤く染まっていた。
「私はおまえを許さない。彼女を見殺しにした罪、必ず償わせてやる」
 彼が破滅を望む理由は復讐だった。
 二年前、この世を去ってしまった少女。誰にとっても大切な存在だった。穂積にも、雨宮にも。もちろん、深影にも。
 彼にとっては理不尽を超えて絶望さえ感じたのだろう。同時に激しい憎悪を抱いた。彼女を救わなかったもの全てに。
 穂積も、雨宮も、この国も、世界も。助けることを拒絶したように思えた。それが許せない。
 否定はできない。穂積も雨宮も諦めた。だからこそ、雨宮は向けられる憎悪をはねのけることができない。
 雨宮の背中を見つめた。わずかな動揺を感じる。言葉に迷っているとわかっていた。
 知っていて穂積は構えを解かない。わずかな隙を探しながら口を開く。
「雨宮」
 ひと呼吸してから続ける。強烈な光を宿して。
 気圧されないよう、大事なものを見失わないよう、後悔しないよう。
「おまえだってわかってんだろ。お互い引く気なんかないってことは。だったら全力で戦って白黒つけるしかない」
 すでに道は分かれた。互いに選んだものは全く別のもの。
 こうして向かい合うことはあっても隣に並ぶことは二度とない。互いに苦悩して選択したものの行く末はあまりにも遠くて。そこには理解や折り合いなどはない。妥協など論外だった。交叉した時点で互いの道を断つしかない。それも生命をかけて全力で。
 対峙する、その意味。すでに選んだはずの道。飲み込まれては果たせない。そう告げる。
 雨宮の表情が歪む。わずかな間、逡巡したあと銃を構えた。
 その行動に深影は少しだけ視線を落とす。
「そうだな。いずれは、な」
 短く告げられる同意。次に視線をあげた時には、冷えた瞳で見つめ返された。
「だが、今ではない」
 ドンッとまた床が揺れた。周期的に繰り返す。地震のように思えたが、すぐに思いなおす。これは足音だ。
 発生源を探れば二階のフロアからだった。
 エスカレーターやエレベーターの乗り場からずんぐりむっくりとした巨体が動いている。
「なッ……?」
 驚きに目を瞠るしかない。
 タイミングからして深影の関係者だと思われる。ただし、その先が続かない。
 正体や目的、聞きたいことは山ほどある。だが、穂積は直感した。そんな悠長な時間などないことを。
 案の定、深影は背を向けた。
「穂積。雨宮」
 地震のような足音が響く中、彼の声はよく通った。
「せいぜい追ってくるがいい。その瞬きにも等しい生命(時間)で私の前に立ちはだかると言うのなら」
 そこで言葉を一旦切った。ゆっくりとした動作で振り向く。投げかけられた視線は驚くほどに冷たい。
「死よりも惨い絶望をくれてやる」
「深影!」
 逃げられると察知した穂積が叫ぶも、後は追えなかった。
 ドンッ!
 目の前に巨体が立ち塞がった。深影の姿は見えない。
 見上げるほどの体格差と圧迫感。呼吸のような動作をしている点から生物と思われる。
 雨宮が姿勢を低くした。
「完全に足止めさせる気ですね」
「相変わらず用意周到だな」
 穂積も軽く呟いて【火焔】を構える。