すでに陽は落ちていた。
 風に雪がちらつく。今夜はさらに冷え込むだろう。
 ぼんやりと考えながら穂積(ほずみ)圭介(けいすけ)は双眼鏡を覗き込んだ。
「見えました。派手にやってるみたいですね」
 スマートフォン片手に軽い感想をもらす。他人事のような軽い口調だった。
 周囲は夜の闇に覆いつくされている。人気のない道路の路肩に車を停めていた。緩やかに下っていく斜面の先には御守(みかみ)市の中心部にあるショッピングモールの一角がある。元から設置されている街灯やパトカーや消防車の赤色灯でさらに明るく照らされていた。
 耳をすませば拡声器と思しき機材で周囲に警告するアナウンスがかすかに聞こえてくる。避難と誘導、野次馬の対処に手間取っているようだ。
 ひと通りの観察を終えた穂積は鼻を鳴らす。
 ことの発端は事件か事故か。どちらにせよ、ほとんどの人間にとって迷惑な話だろう。災難など前兆もなく誰にでも理不尽に降りかかってくるものだ。不運だったと諦めることはできない。それでも、穂積は心乱されることはなかった。
「とんだクリスマスになったもんだ。さっさと俺たちに任せりゃいいものを」
 やはり他人事のように呟いて双眼鏡をおろす。
 切れ長の瞳には強気な光が宿っている。
 歳は二十代前半。精悍な顔つきと不敵な笑みは、絶対的な自信があふれていた。
 モッズコートと黒のデニムパンツ、ミリタリーブーツという服装からは職種は割りだせない。かろうじてわかる引き締まった体躯と長身からはモデルのようだ。
 人の多い場所なら確実に目を引くであろう外見だが当の本人に自覚はない。
「室長。では、すぐに現場へ急行……」
 続けて次の指示を確認する。言い終わらない内に目を見開いた。
「は? 応援?」
〈そうだ。二度は言わんぞ〉
 相手は若い女性の声だっだ。スピーカー越しの口調は心なしか固い。緊張しているのかもしれなかった。
〈五分前に機動隊が突入したものの全員が通信途絶。おまえたちだけでは手に余る。増援を回すから合流するまで待機していろ〉
 黙って拝聴していた穂積は眉根を寄せる。
 正直まだるっこしいと感じた。増援の到着を待ってから警察との交渉に入るに違いない。突入許可を得るまでにどれほどの時間を要するのか。考えただけで気が重くなる。無駄に時間を浪費しているとしか思えない所業だった。
 となれば、自分のするべきことは決まっている。
 そこまで到達するのにかかった時間は一秒にも満たない。次の瞬間には、しれっと口を開いていた。
「何ですか、室長。よく聞こえない……聞こえてます?」
 あくまで偶然を装う。これが最善策だと割りきる。
 相手の女性はわずかの間、沈黙した。案の定、探るような口調で釘を刺そうとしてくる。
〈穂積、まさかとは思うが単独で行動するなよ。相手は人間じゃな〉
「了解しました。増援到着までに侵入ルートを確保しておきます」
 さらに聞き間違いで対応する。切迫した現場ではよくあることだ。理論武装をした彼に躊躇という言葉はない。
〈待て、だから待機していろと……穂積!〉
 あとの問答は無意味である。穂積は一方的に通話を切った。
 悪びれもせず後悔もしない。何事もなかったかのように目の前の車に乗り込む。
「――――というわけだ。突入の許可はおりた。行くぞ。雨宮」
「何がどういうわけなんですか」
 冷ややかな声音で返される。これも予想通りの展開だった。
 助手席には男が座っている。名前は雨宮(あまみや)孝史(たかし)。高校時代からの腐れ縁だった。
 スタンドカラーのコートを着込み、じっと前だけを見ている。視線すらよこさない。その仕草だけで興味の薄さが如実にわかる。
 年齢は穂積とそう変わらない。
 わずかな光に照らされた横顔は精緻に整った造作だった。無表情のせいもあり、人形のような作り物めいた美しさがある。
 穂積は気にもとめない。雑に運転席へと陣取っている最中、雨宮が再び口を開いた。
「香坂室長の怒鳴り声が聞こえた気がしますけど」
「気のせいだ」
 すっぱりとした口調で無理やり押し通す。
 穂積は憮然とした表情でフロントガラスを見つめた。
 車の中にいた雨宮が電話の内容を聞き取れるわけがない。いつものごとく会話から引っかけようとしている可能生の方が高い。そう思うことにする。
 一時の沈黙。
 わずかな居心地の悪さを感じた穂積は相棒に向き直った。真顔で説明をはじめる。一気にまくしたてた。
「室長は単独行動を慎めと言っただけだ。俺はおまえと行動している。だからこれは単独行動じゃない」
 自分と雨宮を指でさしながら説明するも一蹴してくる。
「そういうの屁理屈って言うんですよ」
 鼻で笑ったものの、雨宮に次の発言はない。穂積はその反応を肯定だと解釈した。
 雨宮の気が変わらないうちにエンジンをかける。ライトが点灯して視界を奪う。景色がクリアになることすら惜しい。思いきりアクセルを踏み込む。車は急発進して坂を下って行った。