私は、人形だった。
 意志を持たないほうが都合のいい、誰かの理想を継ぎ接ぎしてできた、人間のようななにか。いつもいつも、私のいらないものを押し付けてきたの。私と血のつながっただけの人間は、私が、華恋みたいな、自我を押し通そうとする勇気がないモノだったら、幸せだったのよ。
 残念だけれど、私には勇気があってしまったの。
 小学三年生の冬。私は家出した。
 血がつながっただけの人間が、話していた。優秀だったのに一族と絶縁してしまった愚かな男。その家を目指した。一族から離れたということは、まともな人間だと思った。その男しか、私を助けてくれそうな人間がいなかったのよ。
 東京をさまよっていると、男が話しかけてきた。
「君、どうしたの。重そうな荷物持って。あー、俺は怪しくない……いや、これ逆に怪しくね?」
「私に聞かないでくださる?」
これが、風地との最初の会話だった。私はお上品なお嬢様みたいで、甘ロリといっかしら。そんな服を着ていた。でも風地は今と何も変わってない。強いて言うなら年齢。けれど、見た目は何も変わっていない。
 それから、私は風地に匿ってもらった。あのとき、風地という目当ての人間に話しかけてもらったのは、本当に運が良かった。警察だったら終わってた、と当時は、ほんのちょっぴり期待をしてはいたのよ。
 私は、行方不明届も、死亡届も、出されなかった。
 どこかで、そうだろうと思ってた。小学校は休んでることになってたらしいの。私なんて、どうでも良かったのね。大事なのは、お上品で優秀で、美しい一人娘という肩書だけ。
 鼻で笑うと、風地がやるせないというように唇を噛んだ。
 こういうときの風地の、自分ならなんとかできたなんて言う傲慢さが嫌いよ。誰でも助けられるものではない。百歩譲って助けられたとしても、私は自分で箱庭を出たの。そのことを褒めたたえなさいよ。
 私は子供なのかもしれない。だとしてもよ。そこらの大人よりしっかりしているとわかっている。
 直接血が繋がっている人間二人よりも、絶対に人間に迷惑をかけていない。
 その二人が、風地の家を特定して押し掛けてきた。
「貴女のことを、私は愛しているのよ。ほら、戻りましょ? こんな神様からもらった才能を腐らせている一族の恥のもとではない場所。貴女の居場所へ」
「大丈夫だ。たくさん宝石を買ってやる。勉強だって教えてやるから。子供みたいに駄々こねないで戻って来なさい。もう怒ってないから」
 私は子供なのだけれど。あと、居場所なわけないじゃない。私は宝石なんかよりも、自然のままの、欠点だらけの石がいい。綺麗だから。私の瞳などは、美しいだけ。綺麗ではない。風地は癪だけれど、私の好きを肯定してくれた。私を、愛してくれた。……別に、変な意味じゃなく、従兄弟としてって意味よ。
 私が言うことを聞かない事に痺れを切らした短気な血の繋がった人間は、無理やり引っ張っていこうとした。だから、
「私、人間なの。人形ではないの。私、宝石と、お祖父様が大嫌いなの。この身にお祖父様の血が流れていると思うだけで死にたくなるわ」
 そういったときの人間の顔は、傑作だった。まあ、あんな奴らを私の記憶を残しておきたくないから、忘れたのだけれど。
 風地も、少し満足そうだったわね。人にあーだこーだ言っておいて、自分は満足するなんて、腹が立つわ。
 ……やっぱり風地は嫌いよ。私のこと子供扱いするし、大人みたいなこと言って上から目線にイライラするわ。



 そんな風地に、私が頼んであげたのに、さらに私を傷つけていいって言って、私の感情が動いたのに、どうして自分の口を傷つけるのよ。
 私が、子供ではなかったら、華恋の初恋という琴葉とやらだったら、何か違ったのかしら。
 肌が痛いから、普段あまり手袋を外すことはないのだけれど、華恋が、苦しそうだったから。仕方なく、本当に仕方なく、手袋を外してあげた。
 どうしてここまで、華恋のために動くのかは、分からないけれど。何かアクションを起こさなければ、悔いることになると思ったのよ。
「ごめん。ごめんなさい。こんなこと、するつもりじゃなかった」
 華恋が怯えたみたいに懇願してるのが、イライラする。私がしたくてやったことなのに、どうして謝られなければならないの。
 そういったって、もう華恋には聞こえてはないのよ。言いたいことだけ言って、勝手に気絶するんじゃないわよ。
 華恋のことになると、なんとなく、ムカつくの。私にも、華恋にも。
 でも、でも、少し。ほんの少しだけ、華恋が壊れる前に、私に分散してくれて、嬉しかった。
 華恋からしたら、私なんて、本当に、小さい子供でしょうに。特に、私は気に食わないことに、平均よりも背が低いから。
 本能だったのかもしれないけれど、一人の対等な人間として接してくれてるように感じた。
 だから華恋を傷つけはしない一連の行動を後悔することはないと思った。けれど、すぐに後悔することになったのよ。
 何様かしら、あの自傷癖と他傷行為好きの上拗らせた馬鹿は。
 深夜、私が公園に勝手に向かったときのこと。手当して、華恋の家に放置しておいた華恋が、公園にいた。後ろで風地が私を探す声がして、木々の中にそっと隠れたの。
 だから華恋も、私に気が付かなかったのね。
「ああ、華恋! お前元気になったのな。なあ、優凛知らない?」
風地が華恋を見つけて話しかけると、華恋は警戒したように
「え? 誰ですか? というかどうして私の名前を知っているんですか? 優凛って誰ですか。あと、元気になったって何の話ですか? あったこと、ありましたっけ」
と、ベンチから立とうとせず言った。冗談のトーンではなかった。
 私、思いの外、華恋のこと気に入ってたらしいのよ。ショックを受けた。地面の上に立っているはずなのに、宙に括り付けられたみたいに動けない。全身の力が抜けていたの。
 風地も同じはずなのに、冷静にいつもの依頼人を相手にするみたいに敬語になった。
「ああ、すみません。人違いのようです。ですが、できれば女の子を探してくれませんか? とても長い黒髪にバイオレットの目をしていて、美しいです。もし用事がなければでいいので、探してくださると私は助かります」
 だったらなんで、名前知っているのよ。ほとんどまともに答えてないじゃない。
 緊張しているようね。両手に力が入り、歯を食いしばっているわよ。表情は感じのいい笑顔だけれど。
「……その、優凛って人と貴方はどんな関係ですか?」
こっそり、こっそり華恋の表情を見て、体の動きが止まった。
 マスクを、つけていない。なぜかしら。いつも、必ずつけていたのに。傷一つない顔。目を細めて、気付いた。口元。ベロに、小さい傷跡があったの。痛々しい。メンヘラとか、不快だとか、言われるだろうから、マスクをつけていたのかしら。
「……同居人です。親戚から預かっている子で。十一月は忙しいらしく、子供の面倒をみるのが大変だというから、私が預かっているんです。毎年ね」
だらだら、冷たいだろう汗が浮かんでいる。風地、嘘をつくのが下手くそなのよ。
「……? 今は、十月十五日ですよ?」
 本当に、心から不思議そうに、困惑したように、けれどいつも通り、笑っていたわ。
 なんでよ。なんで、私と風地と仲良くなった一ヶ月だけ忘れるのよ。それ以前風地とあったことすら忘れてしまうなんて。そんなに、嫌な記憶だったの。
「……おや、私が勘違いをしていたみたいですね。十月です。十月、親戚から預かっているんでした。ですので、見つけたらご連絡を。ではこれで」
そう言うと、私のいる方へ目を向けた。……なによ、見てないふりをしてくれたっていいじゃないのよ。
 遠回りして私のもとへ来た。
「おい、優凛。帰るぞ。多分、華恋ちゃんは優凛を探そうとしない。適当に俺の話を受け流してたからな。……全く、家出するなら事前に知らせろ。心配するから」
 やれやれと頭を手で押さえる。
「ええ。分かってるわよ。……わかってるわよ……」
でも、それが風地なりの現実逃避だと分かったから、私も合わせるの。私も、今は何も考えたくないわ。
 風が、冷たいと思ったの。風地も同じみたいで、「さっむ! まだ秋だよな?」なんて私に話した。何も言わず、ただ頷くしか出来なかった。
 家について、風地が扉を開けて「たっだいまあ!」なんて誰もいないのに叫んだ。うるさいわよ。
「優凛、まず先に手洗いうがいだ。考えるのはあとにしろ。それとも、先にお風呂に入るか」
自分だって、気が動転してるはずなのに、そんなことを感じさせずに笑って、私を子供扱いする。
 睨んで、無言で洗面所に向かった。風地の顔が、なぜだか痛そうに動いたけれど、見てみぬふりをしたの。……そんな余裕もなかったから、子供だって言われるのよ。
 手洗いうがいをすると、湯気がこもったお風呂場には踏み入れず、風地が使うためにさっさとどいてあげた。
 風地に声をかけずに、階段を駆け上がった。二階は私の部屋があるの。そこへめがけて、幼稚園児みたいに必死に走った。
 扉を開けて、部屋を押し入って、鍵を閉めた。
 耳に引っかかった華恋の声が、頭の中で反響した。
「……私のこと、なんで覚えてないの?」
じっと考え込んで、整理して。やっと出てきた言葉が、あまりにも幼稚で、どうあがいても私は子供だと嗤われた心地がしたの。
「……私のこと。百年に一度の美少女って言ったり、目の保養って言ったり、意味不明なこと、言っておいて……」
 ……華恋って、そういえば同性愛者だったのよね。
 もっと、華恋と関わっていたら、記憶に残ったのかしら。
 ……華恋と一緒にどこかへ行くのは、目新しくて、華恋が煩かったりはしても、不快ではなかった。嫌いではなかったわ。
 風地は、大丈夫。私、なんか、より。よっぽど強いもの。
「……?」
左手を眺めて、違和感の正体に気づき、何重にも巻かれた包帯の感覚を味わって、虚しくなった。
 ……華恋が覚えてないなら、文句の一つも言えないじゃない。拗らせた馬鹿に、一言言ってやりたい。
 怪我は、確かに痛かったわよ。けれど、華恋に自分を傷つけてほしくなかったの。なのに自傷した。悔しい、そう、悔しいのよ、私。まるで、私なんか頼りにできないって、言われているようだった。
 頼って、欲しい。そうでなければ、私は……。私は、何だったかしら。何かを思ったはずなのに、何だったか忘れてしまったわね。冗談でもなく不吉。華恋の二の舞にはなりたくない。
 ……二の舞?
 偶然、たまたま。思いついた。
 私が華恋の記憶を戻せばいい。そうと決まれば、簡単。なぜ気が付かなかったのかしら。
 まず、華恋が記憶をなくした原因は何? 何かしらトリガーがあったはずよ。
 ようやく頭が回り始めた。
 気絶したこと? 私が見ていた限りでは気絶してから一度も意識を取り戻さなかった。……いえ、なにか違う。気絶する前……私を、カーターで切ったこと? ……華恋は、以前にも、人を傷つけたことがあるようなことを言っていた。では、どうして私のときだけ? 以前、似たようなことがあったにもかかわらず華恋が話さなかった可能性もあるけれど……ないわね。私、これでも観察力、洞察力は高いと褒められることが多いの。
 嘘は見抜く自信がある。……勿論、私が分からなかった可能性もあるけれど。ひとまず、一度もこのようなことはなかったと仮定することにした。
 私のときと、他のときでは何が違ったの。
 私が前のことを知らないから、違いがわからないわね。
 ……喉渇いたわ。……風地は何をしているの? まだリビングにいる?
 私がなんで風地のことを考えなきゃならないのよ。私は、喉が渇いたからリビングへ行って水を飲む。それだけ。
 扉の外をそっと窺うと、電気もついていない廊下しか見当たらなかった。……部屋から出て、扉を開けたまま廊下を歩いて、階段を降りた。
 リビングは明るく光が灯っていたの。風地はどこよ。見当たらない。
 台所で自分用のコップを取り出して、水道で飲み水を注いだ。薄暗い台所を後にして、目の前にあるテーブルにコップを置いたのよ。置いたコップの近くの席に腰を下ろして、控えめに息を吐いた。
 着いたときには開いていたカーテンが閉まっていて、人工的な明かりが目立つわね。その明かりに反射して煌めいた透明な水とコップを、奇麗だと思ったの。
 水面に薄っすらと写った私の顔が、風に揺れて歪んでいた。両手でコップを包んで、唇に付けて水を喉に流し込む。一気に飲み終えて、渇いていた喉が潤った。
『もっと奇麗にグラスをお持ちなさい。お飲み物を一気飲みような真似はおやめなさい。お下品よ』
……。久しぶりに、血の繋がっただけの人間の声を思い出したわね。疲れているのかしら。
 宝石みたいで奇麗な瞳よ。嬉しくもないのに、そんなことを、何度も何度も、煽り立てるみたいに言った。同調してお礼を言えと言外に語っていたの。
 華恋は、恐らく自分の、あの目が嫌いなのよ。私は、私の瞳より、よっぽど綺麗だと思うのに。
 でも。怯えた恐怖の目。自分が人間であることを嫌っている目。人間じゃないと言われたことのある目。あの目は、綺麗だけれど、好んでみていたいとは思えなかった。華恋が、辛そうだったから。
 なんて、とても人間らしいでしょう? 人間みたいなことを考えていると、風地が階段から降りてきた。風地、自室に居たの。そう。
「優凛。華恋ちゃんについてだ」
 テーブルに向けていた視線を、風地に移してあげた。
「……トラウマによる記憶喪失が高いと思う。さっきネットでググっただけだが。もしそうなら、華恋ちゃんを病院に連れて行くのが一番いいことになる。いや、そもそもとして、華恋ちゃんの記憶に穴がある時点で病院に行くべきだ。だから、華恋ちゃんを病院へ連れていきたい。だが、俺と優凛は、全く、一欠片も、法的に関わりがない。そして。楠花さんのお母様は無理ができない。さて、優凛。どうすればいいと思う?」
どうすればいいと思う? じゃないわよ。私に丸投げはどうなのよ。
「知らないわよ。貴方が考えなさい。私、よくわからないもの」
「えぇ? 俺無理だよー、強いて言うなら一から仲良くなって、こーこーこーゆー理由で病院行ってくれーは思いついたけどー、時間かかりすぎだよー、優凛ぃー」
「うざいし情けない。おおよそ、プライドというものが感じられない」
「それに、一から仲良くって、メンタルと精神がやられる。こっちは覚えてんのを、あっちが覚えてないってだいぶ心に来る」
真面目な表情とトーンで、容易に想像できることを言う。わからないふり、してたのに。
「……ねえ、風地」
「ん?」
私の対面の椅子に座って、聞く姿勢に入ってくれた。
「おかしくないかしら」
「なにがだ? 華恋ちゃんか? それはまあ確かにおかしいかもしれないが」
論点をずらす。風地は分かっているはずよ。嘘が下手ね。さっきから、挙動がおかしいのよ。
「なぜ、華恋はマスクをつけていなかったの。表情が、硬かったの」
「…………。俺もさあ。詳しくは、知らねえし。推測だし。他人の事情を本人の許可無く吹聴すんのは、駄目だろ。……だが。華恋ちゃんが、今記憶混濁してるみたいだしなあ。優凛は、知りたいか?」
苦笑。イラつく。
「当たり前よ。華恋から聞くに越したことはないけれど、そもそもとして、私の記憶がなければ意味がないもの。ゼロからは、また忘れられそうで嫌よ」
持て余した両手を、テーブルからおろして膝に置いた。ギュッと握った。
「そうか……そうだよなあ。……分かった。
 華恋ちゃんは、生まれてすぐ、自分の左腕を右手で、手加減もなしに抉ったらしい。血が流れるほどだったんだと。不気味に思った両親は、それでも信じて三、四歳くらいまでは育てていたんだが、その時、唯一できた友達……いや、親友が自殺したそうだ。原因に、華恋ちゃんが関わってて、自分がしたことに、自分は頭がおかしいと、笑ったらしい。それから同時期に、微笑が増えて、感情が読めなくなったんだ。両親は耐えられず、虐待したんだと。未知に恐怖するのは人として大事だから仕方がないとは思うが、虐待はまずかったな。華恋ちゃんは、より微笑みが自然に、柔らかくなった。ふと、我に返った両親は精神科医をしていた妹、義妹に預けた」
 すらすら、他人の秘密を話す風地を、私は止められなかった。華恋に、怒られるかしら。
「それが、楠花さんだ。同い年の子に、自傷した時の舌の痕を気持ち悪い、気味が悪いと言われたのを、傷を見せなければいいと解釈した華恋ちゃんは、マスクをつけるのが癖になって、誕生日にマスクをねだったらしい……楠花さんはそう言ってたな。あとは、華恋ちゃんが教えてくれた。だから……幼少期の記憶が、曖昧になっている、もしくは忘れている可能性がある。あと、自傷についてもだろうな。覚えてないのは、相当だ。他人を初めて物理的に傷つけたのは、それほどショックだったんだろうな」
 疑問が、溶けた。私と今までと違ったのは、精神的か、物理的かってこと。……そう。
「あと、相手がお前だったのもあると思うぞ。理解者を傷つけたこと、なかったんじゃないか? まこととは不思議と本当に何も考えず、純粋に雑談とかできていた。琴葉は理解していたわけじゃなさそうだしな。あったことないから確実に、とは言えないが。で、花澤さん? って人。まあ、勘づいていそうではあるが、理解者かは分からなかった、と華恋ちゃんは言ってたな」
そう。……詳しくないって、なによ。よくよく知っているじゃない。
「だからなんなのよ。そんなことよりも、早く華恋をお医者様に診てもらわなければならないのでしょう。そのためには、どうすればいいのよ」
遠回りして霧に隠すような、曖昧で分かりにくくなくていいの。イライラしてくるのよ。
「まあまあ、落ち着け。俺も詳しくねえし、意味わからんが。いいか? 記憶を刺激しちゃいけない。忘れなきゃ自分を守れないくらいのトラウマだと華恋ちゃんは感じたわけだ。ただ、直接の原因じゃなくても、触れたら混乱する部分もあるだろう。だからな? 記憶を刺激しかねない、幼少期から中学までについて尋ねるのはやめておいたほうがいい。それを踏まえた上で、華恋ちゃんと関わっておくべきだ」
至って真剣な顔をする。……私が、子供みたいじゃない。子供なのだけれど。ムカつく。
「そう。華恋の記憶はどうすれば戻るの」
「思い出の場所に行く、とからしいぞ。自分に調べてみたらどうだ? 俺は法律関係調べるから。初めての友達なんだろ?」
友達? ……とも、だち。そう言ってもいいの?
「おーおーおー、目が輝いてますよ優凛さあん?」
ニヤニヤしてるこいつを、私は未来永劫許すことはないでしょう。ムカつく。



 もし、この時点で私や風地が、病院へ、華恋にどれだけ嫌われるとしても、行っていたなら。未来は違ったのかしら。



 カフェを出て、すぐに、自分の失態を悟った。なにを感情的に、記憶をなくして自分を守っていた華恋に、刺激を与えた。私は、そこまで子供みたいな人間だったの。
 脳裏によぎったのは、冷たい両親の声。違う。そうじゃない。どうせこうなんでしょ。それよりこっちがいいわ。もっときちんと。ああ、きれい。こんなもの、いらないでしょう。ほら、キラキラした宝石だよ。高いんだぞ。汚い。捨てなさい。聞き分けのない子ね。
 その責める声に、私がなっているような気がした。



 家に着くと、深夜になっていた。そのまま、公園に行くの。前回と同じようにやって、放心したように立っていた。
 カフェに入り、暖かいアールグレイを飲み、出る。すべて振り切るように走った。
 迷いのなかった足は、鈍っていく。人混みから外れるにつれて、どうしてか息が詰まっていくの。
 私は自由になった。自分の手で自由を勝ち取った。そう、息苦しく生きていく必要はないの。
 なのに、自分の気持ちが理解できないの。苦しいの。知りたいの。考えたって、手を伸ばしたって、全て地に落ちて踏まれるの。私に。――花道、優凛という女に。人形に。
 人形みたいに表情を変えないことが喜ばれた。
 個性は火に焚べられて、その炎を素敵という人なんて、頭が可笑しいのよ。
 ずっと、ずっとその感覚を盲信していた。でも、個性があって苦労している人に出会った。
 それが、華恋だった。
 ないほうが楽だといって笑っているのが、不快だった。華恋自身になのか、考えに対してなのか、分からなかった。けれど、関わっていくうちに華恋という人間の人柄と価値観が、綺麗だと思ったの。
 他人からすれば、嫌な部分かもしれないけれど。薄っぺらい華奢な空気、のような微笑や物言い、また、時々自分、ひいては世界へ、若干の皮肉を滲ませて嘲るような笑いも言葉も、惹かれるのもがあった。
 自分には足りないものに、人は惹かれるのだそう。私にとっては、華恋が足りないもの、惹かれるものだったのよ。
 私は本音を偽って穏やかに笑えない。そして、強烈な、人を引き付ける言葉も性格もない。
 例外は、私が嫌いな、無駄に整って、人望を集める馬鹿な容姿だけ。綺麗ではないの。
 華恋は私の瞳を、綺麗だといった。容姿を、整っているといった。でも、今まで出会った人と違うのは、私が綺麗じゃないと言っても、否定しなかった。
 それだけ。人によっては、そうなんだあ。で終わること。でも、私にはとても暖かく、貴重に感じた。
 肯定もしなかった。自分の考えは変えずに、私の感性を否定しなかった。それが、ありきたりで、ある意味安い言葉で表すなら、嬉しいと、素直に感じたの。
 私は私を受け入れてくれた華恋を救いたいと考えた。
 その結果が、これ?
 自分が許せない。華恋から拒絶される恐怖で手足が冷たくなり、反対に自分への怒りで、元々真っ白になっていた頭と瞳がかっと熱くなる。
 歩みは止まっていたわね。そんな余裕がなかった。
 いつからか、その場限りの幸福になっていた。薄っすらと、分かっていた。思い出すと、また『十月十五日』の深夜に華恋は戻る。
 風地に頼んで、病院の受付の人に協力してもらった。以前、楠花さんに助けられた人だったらしいわね。花澤さんという人に説明しておいた。華恋の記憶を刺激しないように頼んだ。記憶が違うことのないよう、苦手なお料理も頑張った。
 そこまでしたいと思った。
 四季に、人々に、華恋は取り残される。私だけでも、華恋と同じようにときを刻みたかった。そうなったのは、私のせいだから、なんていう負い目もあった。
 足が竦んで動かない。そもそも、どこに向かっているのよ。……
 もう、良いのではないかしら。疲れた。そう、疲れたのよ。マスクをつけずに微笑む華恋が、痛々しくて、話したいことも、聞きたいことも、謝りたいことも感謝したいことも。……なにも、できないのよ。
 何度も思い出すたびに、「誰ですか?」「まだ一度しか会っていないあなたに何がわかるんですか」そんなことを、悪気なく言われるのよ。
 多分、華恋は自傷することで、救われている面もあったのね。自分への、特に他傷することについて、記憶を失うより前に比べて、自分を追い詰めすぎに感じたわ。両親に不信感からかしら。人への恐怖がより濃く感じているように思ったわ。
 何が言いたいかというと、私と風地への当たりも強くなっていたのよ。記憶があったなら、うまく受け流しているところに、キレたのよ。は? って。一瞬後で、すみませんって、謝るのだけれど。
 風地も、嘘をつくのが苦手で、華恋を見るのが辛いはずなのに、最善策がわかるのに、付き合ってくれている。
 華恋がああなっているのは私の責任。それを、私は八つ当たりをした。
 絶え間なく頭を埋め尽くす私への愚痴も弱音も、全てネジ曲げて一歩を踏み出した。
 公園に行きたい。憔悴しきった本能が言うの。疲れ切って傷ついた心を水に洗うために、公園に行こうと思ったわ。あそこは、そんな雰囲気を持っている。
 疲れた心身で、公園に走ったの。


 数日、公園に居た。風地が家帰らないかと言っても、ずっと。