澄んだ暗闇。光輝く白い粉。或いはそこの見えない夜空に、空に散らばった多種多様な星々。そんな素晴らしいとか言われる世界のもとで、無表情に弁当を食べる。深夜の公園で。ベンチに座って、膝の上に乗せた弁当を眺める。すぐにあきて、また空を見る。
 私は詩人でも自然でもないが、世界をきれいだと思う程度には余裕がある。あってしまう。
 今の季節、気温は寒いと嘆くには十分な気温であるはずなのに、不思議と震えは感じなかった。
 どこか体のタガが外れたみたいだ。
 私の黒髪が風に紛れてふわりと舞うくらいに風は強く、鬱陶しかった。ただ、不可解なことに、嫌だとは感じなかった。ピカピカと痛いくらいに明るい東京の街は、不愉快だった。
 そうしてたとえ、いつもと違うように世界を見たところで、心が変わるはずもない。
 ため息をついて、手に持った箸で弁当のからあげを口に放り込む。咀嚼して、舌にあたったからあげは、少し暖かかった。口がじんわりと暖まる。これが、今日の夕ご飯。
 ……もう、このからあげは、二度とは味わえない。きっと。悲しくなるはずなのに、あるのは空虚な心と満たされない憎しみであって、間違っても悲しみではない。やっぱり、私は頭がおかしいな。
 ああ、そうだ。少しばかり、整理でもしてみるか。現実を受け止められていないんだ。だから整理すれば、悲しくなるはずだ。きっと。
 私の名前は葉海華恋(はうみかれん)。誕生日は九月二十七日。現在高二。
 私はいままで、血の繋がった両親に育てられてきた訳ではない。叔母――父の妹らしい――に育てられた。不満も何もなかった。叔母は暖かった気がする。
 ただ、わずかにこびりついた過去の記憶。(叔母の家に放置される前の、両親の憎しみと嘲笑の目と声が離れてくれない)その光景に振り回させているだけと言っていい。
 両親から捨てられるのは、幼児がトラウマになるには十分で、それから私は、卑屈な変わり者になった。あるいは、歪んだ偽善者。
 決して、もとからこんな性格だったわけではなく。
 私は要らなかった。邪魔なだけだった。それがわかったから、子供ながらに傷ついた。私は頭がおかしかった。人を傷つける。
 そんな話をして同情を引きたいわけでも、構ってほしいわけでもない。だから常に自然に笑っていた。ほら、自分は今幸せだからと。
 叔母は、そんな私が気がかりなようだった。きっと、私が素を出しても、向き合って、真剣に考えてくれる。叔母は優しいし、何より私のことをきちんと愛してくれていたのだから。わかっていても、無理だった。いつの間にか偽物の自分と本当の自分の差がわからなくなったし、何よりも自分がこんなやつだと思われたくなかった。もしくは、認めたくなかった。これ以上、幸福が欲しくなかったのかもしれない。私のことを一番知らないのは、私自身だ。きっと。一番嫌いなのも。
 造り物の自分が褒められれば褒められるほど、本当の、人を傷つける自分が醜く感じた。
 周りの人から見れば、生まれたとき、すでに相当おかしくて、醜いものだったのに。
 その自分を私から、他人から隠したくて隠したくて仕方なくて。嫌われるのも、怒られるのも嫌いで、怖いものだから。そうじゃなければならないから。一層笑うようになった。好かれようと努力した。他人に合わせて、常に笑っていて。平等に接して、でも心を開くような素振りを見せて。
 自分すら騙して。それでも、駄目だった。
 どれほど頑張っても、一部の人から嫌われる。そう気づいたのは、女子生徒に頬を叩かれてからだった。
 涙が枯れたように、麻痺したように出なくなった。心も涙も枯れてしまった。素の自分は無表情なのに、醒めているのに、ずっとニコニコして、バカみたいな現実にすがる自分が気持ち悪かった。
 もっと、思い出したいものがあった気がするけど、忘れた。
 まあ、いいや。
 そうして、なんとか高校二年生まで死ななかった。いや、死ねなかった。だからこれからもきっと死にはしない。そんな勇気など、私という臆病者は持ち合わせてはいない。死ぬことなど、出来ない。つまりそれは、何も変わらない。これからも、何も変わらないはず。そう漠然と考えていた。つい、今朝まで。……そう、今朝まで。
 叔母が過労で亡くなった。
 夜勤だったから、どれくらい働いてるのか知らなかった。専門家によれば、死亡時刻は午前1時頃だという。最近は、確かに休日いることが少ないな、と思っていたが、叔母が「今は少し忙しい時期なの」そう微笑んだら、納得して、しまった。
 なんで気づかなかった。高校生なら働ける。苦しいなら言ってくれるか、私が分かったら、こんなことにはならなかった。
 悲しみよりも何よりも、あっさり死を受け入れる。まず疑いもしなかった。馬鹿馬鹿しい。本当は、分かっていたんじゃないか。見てみぬふりをしていただけじゃないのか。
 そう考えることすら、自分を守るための言い訳だと気づいた時は、笑ってしまった。随分遠い日に感じる。それだけ今日が濃かったんだろう。
 学校は行かなかった。昼食として用意してくれた弁当は、今食べている。叔母は、いつも前日に、私が帰ってきてから準備していた。冷凍していたから、冷蔵庫にあった。
 私は結局何をしていたんだっけ。ああ、整理だ。でも、何も変わらなかった。悲しみはない。ただひたすらに、妙な憎しみが溢れるばかり。死人を憎むなんてどうかしてるな。
 あとは、胸がぽっかり、大事なものをどこかに置きっぱなしにしているような空虚を訴える。
 なにかおかしい。何かがおかしい。……私が、おかしい。世界に、取り残されたと錯覚する。
 私がおかしいことなんて、分かりきっていたことだ。
 風が木を揺らす。心地よい、もしくは私を孤立するような音。いっそ、このまま不慮の事故が起きないか。そんなふうに思う。
 たとえば、頭に衝撃があって、空いた穴を埋める記憶が与えられるとか。
 からあげの次は白米。妙に硬かった。レンジで加熱はしたんだけど。足りなかったか。無味無臭。喉にべたりとくっつく。お世辞にも美味しいとは言えない。約一日放置していたからか。いつもはこんな味じゃない。ああ、水を持ってくればよかった。
 横髪が、ぐっしょりと汗で濡れた肌につく。不愉快極まりない。それでも無表情で弁当をむさぼり食う。どうせ誰も私など見やしない。私以外は。
 無機質に映る景色が、濁って見えた。
 ふと、目が覚める。どうして家ではなくこんな丘の上の公園で、現実から目を背けるようにしているんだろう。冷めた頭で考える。こんな場所にいて、過去を何度も思い返して、自分を心から笑って。どうしてこんな、図々しく生きることができる。そんな思考も、心の奥底に呑み込まれてしまう。そうしてまどろみ、ぼんやりとする。どこかしら、いつもとは違う自分のような気がする。
 それを、私は明日まで繰り返す。ああ、もしかしたらずっとかもしれない。
 虚しい。
 呼吸音がやけに大きく聞こえる。私を囲むすべてのものが、あまりに静かだからか。しかし呼吸音も、静寂も、邪魔はせず、私にとって心地いい。
 そこに、強い風が吹いた。風によって揺らされた木々は、先程までとは打って変わって元気に波のような重苦しい音を奏でる。
 私の長い前髪が、目に入った。痛いなあ。左手で髪を退かす。キラリと光を反射した腕時計が視界に映る。大切なものだった気がする。なんだっけな。……忘れたな。ということはどうでもいいことなのか。そんなふうには納得できないとでも言うように、モヤモヤとした焦りが私の視線を空へと向かわせた。
 悲しいことに、綺麗だと感想を抱く、どこまでも深い闇を睨む。
『あ! カレンちゃん、ヒヤヒヤさんだよ! すっごく大きい!』
「……?」
 幻聴か。意味のわからない夢のような、聞いたことない声だ。まるで私と知り合いのように呼びかけられた。何だったんだろう。疲れてるのかな。……少し不気味だな。幽霊を信じるわけじゃないけど、反対に信じてないわけでもない。ましてや、こんな真夜中だし。
 ……忘れちゃ、いけない、大切なもののはず。記憶を辿っても、分からない。もどかしく感じた。また、思考は暗闇に吸い込まれて消えた。
 そしてそれっきり、私はこの体験を頭から追い出してしまった。
 






優凛(ゆり)ー! どこー!」
 唐突に、耳が声を拾う。
 さっきの声とは違う。それになんとなく、幻聴じゃない気がする。
 声の内容を理解し、声の主は少なくとも私に用事がある人ではないと知る。少しほっとして、私は息を吐き出した。同時に、いつの間にか微笑に固められた口元も直る。
 人と会うときは、いつもこうだ。と思い、その後自分の虚栄心に呆れる。常にそこまでがセットだ。一体何回繰り返せば気が済むのか。ああ、気でも狂ったか。
 視線を下に向け、いつの間にか全て食べ終わった弁当を片付ける。弁当を右手で持ち、そのまま立とうとしたら、ふらりとバランスを崩す。そのまま、またベンチに座ってしまう。滑稽だ。
 私の顔は無表情のまま。あー、自分で爆笑でもできたら、何なる馬鹿馬鹿しい話に変わるのに。
 強い風が、私の体を冷やす。
 座ったベンチは、古くはあっても脆くはなかった。この公園は、誰でも利用できる。そう分かってはいても、こんなところにいる自分が場違いに感じる。……ただ、場違いに感じたところで、なにも変わらない。やるべきことも、なにもないから、どうでもいいや。
 そんな思考に腹が立つ。
 それでも私は少し、そう、もう少しだけ、夢の中にいるような現実離れした空間にいることにした。
 もし、叔母がいたならとうに帰っていただろうけど。
 ぼんやりと空を睨む。ここに来たときには見えなかった、紺に滲んだ月が、見えるようになっていた。なんとなく、見ているとおかしくなりそうで、濁った自分を哀れまれたような気がして、目線を後ろの公園へ向ける。
 赤い葉が目に入る。紅葉か。そういえば、そんな時期だったっけ。
 ゆらゆらと揺れる赤い紅葉が、錆びた鉄棒にそっと着地する。しかしまた風が吹き、宙に投げ出される。真夜中に目立つ赤色から、私は目を背けた。
 湿った地面に視線を落とす。今朝は雨が降ってたな。まだ湿ってるのか。すぐに眺めるのは飽きた。
 この公園で機能しているのは、一つの電柱とこのベンチだけのようなものだ。他は壊れて使い物にならない。まあ、風情がある、と言いかえることもできるか。
 ここは小さな丘の上。だから登るのが不登校の私には案外疲れることだったりする。だとしても苦労してまで来る価値が、ここにはある。少なくとも、私にとっては。
 景色を眺めるのにも飽きて、さっきの声はなんだろうかと冷えた頭で暇つぶし。
 優凛、といったか。名前からして恐らく女。で、探していた人は声からして男。気安そうに叫んでいたから少なくとも知り合い、だと思う。ストーカーの可能性もあるのかな。そもそもこんな真夜中に探すって何事だ? しかもこんななにもないような場所まで探すって。
 ……他人の話だし、どうでもいいや。無責任に投げ出しても、どうせ見てるのは私だけ。
 そう思っていたのに。
「……っ! ……あ。ひと、いたのか。大声出してごめんな。ところで! 暇なら女の子を探してくれないか? 見つかんなかったらマジで俺が怒られる!」
 しばらくぼーっと景色を眺めていたら、男の人が私の姿を見て近づいてきた。さっきの声と同じ。だけど、少し声が上擦っていて、緊張を帯びていたのは気のせいか?
 女の子、ということは優凛とやらは子供だったのか。ならこんな夜中と言ってもいい時間に探すわけだ。……いや、だとしてもここまで探しに来るのか?
「そういうのは警察とかに行ったほうがいいのでは? ……ですが、きっとなにか事情があるんですよね? あの、その女の子とあなたの関係は? それと、その女の子について分からないと、流石に手伝えません」
人好きのする笑顔で返事する。いいのか、他人に任せて。警戒心なさすぎではないのか。そもそも警察行け。こんな私に人探しなんてできるわけ無いだろ。他を当たってくれ。そんな気持ちを込めて見つめる。
「ああ、俺とあの子は…………待ってくれ。怪しいやつじゃない……いや、余計怪しくなるか…………ええ……ああ……うえぇ? ……なんだ? 父……いやあ……保護者……もない……そんなこと言ったらあいつ怒るし、ぜってえ……」
ぶつぶつ下を向いて呟く。私はこのままどうすればいいのか。そうしているうちに癖になった意識は、現実ではない、過去の記憶へと向かう。たとえばそう、このベンチでくだらないこと、悩みを話した、ある種の仲間。ま――
「法定代理人。もしくは同居人。それ以上でも以下でもない。私の個人情報を赤の他人に渡すってどんな神経してるのよ。……貴方のお母様とお父様よりかは断然ましだけれど」
――真琴(まこと)、とか。
 女の子が男を後ろからばっと肩を叩く。私と一瞬、目があった。宝石みたいにきれいな瞳をしてた。食い入るように見つめていたことに気づいて、慌ててすぐに目を逸らした。
 親しそうだし、この子が優凛だろう。見つかってよかった。あと疲れた。さっさと、家に帰るか。
 ……そうだ。私の、法定代理人はどうなるんだろう。叔母に配偶者は居なかった。私はまだ高二だから、法定代理人がいないと何もできないや。
「ああ、見つかったようですね。良かったです。私そろそろ帰らなきゃ怒られるんです。さようなら」
にこりと笑ってベンチを立った。……今度はやけにあっさりと立てた。覚悟してた私は肩透かしを食らう。まあ、面倒が起こらないだけいい。振り返らずに、そのまま歩く。人ともう、目を合わせたくなかった。女の子の目に映った私の瞳が、濁りきって見えたから。宝石に似た瞳との落差に自分が嫌になってくる。ああ、元々嫌いだったっけ。……あの子の瞳、綺麗だったな。
 風がその時に限って、冷たくて、私の味方をしてはくれなかった。体の、元々ないに等しい熱が、急速に溶かされて冷めていった。
 でこぼことして、湿ってる地面しか目に入らない。やけに寒い。さっき弁当を食べてた時は、寒くなかったのに。
 秋にしては、寒い。無駄な思考をして、現実を見るのを諦めた。