牢の中で刹那の時を過ごす張・女媧(ちょう・じょか)。憂い悩む様子で俯いていると、李・伏羲(り・ふくぎ)が牢の外から不思議そうに声を掛けてきた。

「ところで、張・女媧様。この場所は初めてのはず? どうして、わざわざ地下牢までやってきたのですか?」
「――そうでした! 実は今しがた、私の元へ黄帝(おうてい)がやって来て、『残りの4人はまだ到着してないのですね』そう意味深なことを言っていたのです」

 5大陸のうち、最も婆羅門から近い須弥山の大陸を管理する五帝の1人、黄帝。その者が突然、張・女媧の元へ現れ、審議はまだかと部屋へ訪れたという。

「4人とは……。五帝のことですか?」
「えぇ。5人が揃うのは、大切な審議を決める時だけです。ですから、暫く別室で待機させていますが、なぜ今なのでしょう……?」

 この時期に決議を下す案件などあったであろうか? 張・女媧は、あれこれ思い浮かべて見るが、皆目見当が付かない。

「それは……。もしかして、楼夷亘羅(るいこうら)の処罰じゃないでしょうか?」
「――!? ……どうして五帝がそれを?」

 李・伏羲の言葉に、青ざめた顔で焦りを見せる張・女媧。

「はぁ……。はぁ……。白々しい真似をしやがって! どうせお前が企てたことだろう」
「そんなぁ……。そのような真似は決して致しません。私はただ……。少しの間、牢の中で思い直して欲しかっただけ」

 楼夷亘羅は痛みに耐え凌ぎ、疑いの目で思惑を問う。けれど、元よりそのような考えなど無かったと、胸の内を伝える張・女媧。

「――ふっ、もう芝居はよせ! 俺のことが疎ましかったんじゃないのか?」
「そんな風に思った事は、1度だってありません。本当です、信じて下さい!」

 疑いの心を完全に消し去ることが出来ない楼夷亘羅。そうした猜疑心の念を払拭したく、何度も訴え掛ける張・女媧。だが、想いは通じ合う事なくすれ違う。

「そもそも、お前が『俺のような素晴らしい才能は無い』そう言っていたではないか?」
「確かに、あの時はそう言いました。ですが、それは疎ましいというよりも、心から認めているからこそ言える気持ち。こんなにも楼夷亘羅の事を想う私が、そのような真似が果たして出来ましょうか?」

 掌を胸元へ当て、必死に想いの全てを伝えようとする張・女媧。その切実な想いが少しばかり届いたのか? 楼夷亘羅は相手の瞳を見つめ、ゆっくり口を開く。

「では、仮にそうだったとしよう。だったら、誰が五帝へ伝えたと言うのだ!」
「それもそうですね。誰かと言われれば、心当たりはありませんが。いつも楼夷亘羅の事を嫌っていたのは……。――もしかして、神農! 貴方ですか?」

 思慮深く心を働かせ、思い巡らす張・女媧。思い当たる節はないが、そのような事をする人物といえば……? そう心の中へ問い掛けた――瞬間!! 脳裏へ1人の人物が浮かび上がる。

「――ちょっ、ちょっと待って下さい張・女媧様! 確かに日頃の行いは悪いかもしれませんが、そこまで性根は腐っていませんよ。それに、五帝の話を知っていたのは吒枳(たき)です」

 濡れ衣を着せられ、慌てて弁明を唱える炎帝・神農(えんてい・しんのう)。身振り手振りで、それは自分じゃない。いつも見せない真剣な表情で、張・女媧へ理解を求める。

「吒枳がですか……?」
「はい。僕は伽藍(寺院)にいた僧達が噂しているのを、そのまま伝えただけです」

 経蔵(きょうぞう)と呼ばれた建物の中で、書物を探していた吒枳。騒然とした辺りの雰囲気に違和感を感じ、1人の僧へ問い掛けて見た。すると、その返ってきた言葉というのは、何とも耳を疑う信じられない言葉だったという。

 そうした謀反を起こした楼夷亘羅の噂話に驚き、慌てて経蔵の間から出てきたところ。偶然にも吒枳を探していた炎帝・神農と出会う。

「では一体、誰が何の目的で……?」

 今起きている騒動の理由。炎帝・神農でなければ、他に誰が……? 張・女媧は、真意がつかめない状況に不安な思いを募らせる。

「しかし、張・女媧様。儂が――。じゃなかった! 私が思うに、僅か半刻(1時間)で大陸の五帝へまで、噂が行き渡るものでしょうか?」

 炎帝・神農は不可解な面持ちで問い掛ける。どんなに速く、空を舞い駆け巡ったとしても、遥か遠くの大地へ言葉を届ける事など出来るはずはないと……。

「それもそうねぇ……?」
「――そういえば! 楼夷亘羅をここへ連れて来る途中、王・趙達(わん・ちょだつ)に会いましたが?」

「趙達にですか?」
「はい。三皇の大広間ですれ違い、急いで何処かへ向かわれていました。それと、神農が言っていた大陸への噂ですが、故意的に伝書符を飛ばせば半刻でも十分可能かと思います」

 伝書符……。それは、式符と呼ばれた特殊な護符のような紙札。その書符へ念を込め大空へ解き放つことで、瞬時に大陸間を移動し相手へ言葉を伝えられる。そう話し、必ずしも不可能なことではないと語る李・伏羲。

「仮に可能だとしても、趙達はそのような事をする人ではありません。婆羅門の安寧にと父親の意志を受け継ぎ、良く働いてくれています」
「確かにそうですが……」

 趙達と呼ばれた人物。その聖人は、如何なる時も婆羅門の繁栄に尽力を尽くし、周りの僧達だけでなく、民からの信頼も厚い。しかし、これまでに生きてきた道のりは順風満帆ではなく、父から子へと志は移り変わるも、波瀾万丈の人生だったという。

 そうした事から、何かしらの関与があるのでは? 李・伏羲は考えを巡らせ、思いを推し量る……。