三皇の大広間から自らの部屋へ帰る張・女媧(ちょう・じょか)。その後2人は、言いつけ通り地下牢へ足を運ぶも、李・伏羲(り・ふくぎ)は楼夷亘羅を牢へ連れていき。一方、炎帝・神農(えんてい・しんのう)は、ある者を探しに何処かへ向かう……。


 そうして、李・伏羲と楼夷亘羅(るいこうら)は、暫く狭き均等でない岩肌の道を歩き、さらに奥深く突き進んでいく。周りは岩壁で囲まれているためか? 少しひんやり肌寒く、灯火(とうか)の明かりを頼りに目的の場所を目指す。――やがて、看守の部屋が見えてくると、その場所で襤褸布(ぼろぬの)の衣装に着せ替える。

「おい! 囚人を連れてきたから、ここを開けろ!」
「はっ、はい。ただいま開けます」

 看守は扉を開錠して、2人を中へ誘導する。目の前には縦長に続く牢屋が幾つもあり、その1つに押し込められた楼夷亘羅は、鉄の枷を嵌められる。本来ならば、天井から吊るされた鎖により、動くことすらままならない。ところが、張・女媧の配慮によって牢中では身動きが出来るように、少し長めの鉄鎖へ両手両脚を繋ぐ。

 その黒光りする桎梏(しっこく)の輪は、どこか無機質で冷たく重い。そうした感じが、より一層、薄暗く静まり返った牢中の雰囲気を醸し出す。天井からは雫が一滴一滴(いってき、いってき)したたり落ち、敷き詰められた石畳の表面には赤く染まった石も点在した。



「まさか、こんな場所があったなんて……。もしかしたら、俺が伊舎那(いざな)と会っている間にも、誰かがここで苦しんでいたのかもしれんな。そんなこと、一度も考えたりしなかったよ。天界には様々な派閥があったから、少しでも距離を縮めようと行動してきたけど、何も変わってなかったんだな……」

 その光景に、そっと呟く楼夷亘羅は、悲しみの表情を浮かべ俯いた。そんな、悲観的な思いで虚ろいでいると、炎帝・神農が1人の天人を連れて訪れる。

「さぁ、これを持ち中へ入るのだ!」
「――!? 何故、僕がこのような事を……?」

 嫌がる天人へ細くしなる鞭を手渡す炎帝・神農。その者は、どうして自分が呼ばれたのか? 不思議そうに問い掛けた。

「何故と申すか? それはお前達が、気の合う2人だったからに決まってるだろう。儂も大変なんだよ! 殺してしまえばいいものを、女媧様からは処刑は駄目。牢へは閉じ込めるが、自由にさせろ。あわよくば、改心させて欲しい。そんな無理難題を押し付けられ、どうしてこの男だけが優遇されるのか? 少し懲らしめてやろうと思ってな!」
「では尚更です。僕がこのような物を持ち、親友へ酷い事など出来るわけがない!」

 桎梏に繋がれた楼夷亘羅を見つめ、連れて来た天人へ語りかける炎帝・神農。その者は、何度か拒む仕草を見せ、鞭を突き返す。

「……うむ、それは困ったのう? ――では仕方ない! 儂の代わりに伏羲がやってくれんか?」 
「――はぁっ!? 馬鹿なことを言うな、お前がやればいいだろう。それこそ、女媧様へ見つかってでもしてみろ、今度こそ大目玉だ!」

 日頃から同じような事を思っていた李・伏羲。けれど、露見すればお叱りを受けるのは自分だと即座に断る。そうした事から、炎帝・神農は暫く考えた末に、ある事を思い付く。

「そういえば……。吒枳(たき)には慧光(えこう)慧喜(えき)、双子の息子がいたんだったな。――そこでだ!! もし、自らの意思で鞭を手に取るというのなら、儂のはからいにより、2人を天部へ昇格させてやってもいいが! ――さぁ、どうする?」
「どうすると、急に言われましても……」

 突然の提案された内容に、吒枳は思い詰めた様子で言葉を呟く。

「――ったく、煮え切らん奴め! それならば、はっきり言うが。もし断れば、お前の家族は2度と須弥山の地は踏めんかも知れんぞ?」

 吒枳の曖昧な態度に苛立ちを覚える炎帝・神農。もはやそれは、提案と呼べるものではなかった。

「そんなぁ……。炎帝・神農様、卑怯ではありませんか!」
「――はぁっ!! 良く聞こえなかったが、何か言ったか吒枳?」

 困惑の表情を浮かべ、問い掛ける吒枳。言葉は届いていたはずだが? 知らない素振りを見せられ、鋭い眼光で睨まれる。

「いっ、いえ。何も申しておりません!」

 あまりの威圧に言葉を失い俯く吒枳。すると、牢の中から楼夷亘羅が語り掛ける。

「俺は罪人、鞭で打たれても仕方ない振る舞いをした。だから、気にするな! 吒枳に洗礼を受けれるなら本望!」
「楼夷……亘羅」

 微笑みながら優しく言葉を掛ける楼夷亘羅。因果とは関係ないことであり、これからの行為は何ら道理に反してないと語る。

「ほれみろ。楼夷亘羅も、そう言っているではないか! ――さっさと、行って来い!!」
「――わっ、とと!!」

 その言葉により、再び鞭を受け渡す炎帝・神農。牢の中へ押し込むように、背中を強く突き放す。それによって、転がるように楼夷亘羅の膝元へ跪く吒枳。

「あっあのさ、楼夷亘羅。こんな事になってしまって、本当にごめん……」
「――だから、気にするなと言っただろ! それに、親友と呼んでくれて嬉しかったよ……」

 悲痛な面持ちで俯き、小さな声で言葉を掛ける吒枳。それを察した楼夷亘羅は、鎖で繋がれた桎梏の両手で、親友の顔にそっと触れる。そして、優しく微笑みかける。

「楼夷亘羅……。どうして、こうなったのか? 事情は全て、張・女媧様から聞いた……」
「あぁ、そうか……。どうやら、俺は考えなしに行動するからなぁ……」

「……知ってる。いつも、そうだったもんね。だけど、張・女媧様は自分の非礼を、とても悲しそうに嘆いておられたよ」
「……ふっ、……今更、遅いさ」

「けどね、楼夷亘羅……。伊舎那を想う気持ちは良く分かる。僕も息子や妻が同じような目にあえば、一緒の事をしたと思う。でも、ぐっと堪えるべきだったかも知れない。この噂は早いもので、既に五帝の聖君に伝わり、君の処罰を望む者が多数でてきている。その中には、処刑しろといった連中までいるくらいだよ……」
「そうかぁ……。そんな事になっていたのか? ――まぁ仕方ないさ、俺は昔から周りの奴らに嫌われていたからな」

 優れた能力を持つ楼夷亘羅は、日頃から妬まれ周りの者達からは疎まれていた。そういった事から、今回の過誤を知った地位の高い五帝の聖君達は、ここぞとばかりに裁きを求める。そのような状況に陥っていると、噂話を耳にした吒枳は知っている事の全てを話す。

「でも、心配いらないよ! 僕が今一度、張・女媧様にお願いしてみる。そうすれば、処刑だけは免れるかも知れない!」
「ありがとう、吒枳! でも、もういいや……。伊舎那のいない世界なんて、何の未練もない。それに、意思決定の判断は、女媧の権限だけではどうしようもないこと。処罰は五帝の連中によって決まるからな。だから、この先は自分と家族の事だけ考えて欲しい。俺の身体は滅びても、御霊(みたま)は伊舎那と共にある。――むしろ、本望さ!」

 力強く語りかけ、そっと微笑む楼夷亘羅。しかし、吒枳との別れに、どこか切なげな表情を浮かべた……。