その場を立ち去ろうと、玉座へ向かう張・女媧(ちょう・じょか)。ふと何かを思いつき、楼夷亘羅(るいこうら)へ条件を持ち掛ける。

「楼夷亘羅が伊舎那(いざな)を想う気持ち、それは十二分に分かりました。ですが、人の心は移りゆくもの。私の傍で任務をこなし、数年の時を過ごしてくれたなら、今回の事はなかった事にします。――如何でしょうか……?」 

「なるほどな……。任務に乗じて一緒にいれば、いつか心を通わせるかも知れない。お前はそんな風に思うだろうが? 人を愛するとは、生半可なものじゃないんだよ。良いところ悪いところ、ありのままの想いを受け止め、共に成長してゆく。そして、大切な人の幸せを願い、その想いが自らの幸せ。そう思えなければ、それは、単なる一方通行の自己顕示欲さ! だから、俺の心はどんな事があろうが、移りゆく事は無い!!」

 好きや嫌いなどの感情だけが、全ての想いでは無いと語る楼夷亘羅。

「では、では……。心の底から謝罪すれば、この想い受け止めて貰えるのでしょうか? ……今までは伊舎那がいたから、私は、私は……」
「――!? 一体、何が狙いだ? 先程から、俺にはお前の想いが理解出来ない!」

 両脇の腕を李・伏羲(り・ふくぎ)炎帝・神農(えんてい・しんのう)に捕まれ、その場に佇む楼夷亘羅。言葉の意味が理解出来ず頭を悩ませる。

「――張・女媧様! 先程からどうされたのですか?」
「そうです。何故、そこまでして楼夷亘羅へ思い入れするのです?」

 冷静さを欠いた張・女媧の言動に、少なからず疑問を感じる李・伏羲と炎帝・神農。

「思い入れ……。ですか?」

「はい。いつもどこか気に掛け、楼夷亘羅を見つめる姿はまるで……。――これ以上は、失礼になるかと思い、口をつむぎますが!」
「そうです! かりにも、この男は張・女媧様へ危害を加えようとしたのですよ。いっそのこと、処刑した方が身の為ではないでしょうか?」

 含みを加えた口調で物言いする李・伏羲。最後まで語りはしなかったが、日ごろからの言動は如何なものか? 普段から冷静さを保ち、高揚感を抑えた方がいい。そのような雰囲気を醸し出して問い掛ける。同じく、如何なる理由があるにせよ、自分自身を守るために処分した方が? そう残酷な言葉を漏らす炎帝・神農であった。

「――処刑とは! なんて酷いことを……。あなた達には、過去の記憶がないからそのような事が言えるのです」
「「……記憶? ですか……」」

 張・女媧の意味深な言葉に、2人は顔を見合わせ沈黙する。

「この人は、この御方は……。私の大切な……」

 茫然とした様子で、楼夷亘羅を見つめる張・女媧。その姿は人物ではなく、遥かな久遠を見ているようだった。思えば儚く切ない想いだったのか? 潤ませる瞳からは、一滴の涙が零れ落ちる。

「「――さっ、先程の失言、大変申し訳ございませんでした!」」

 そうした状況に、慌て戸惑う李・伏羲と炎帝・神農。少し言い過ぎたと、深く頭を下げ謝罪する。

「伏羲、神農、頭を上げて下さい。先程の事と、私の想いは関係ありません。そう、関係は……」
「「張・女媧様……」」

 遠回しではあったが、色々と想いを伝える事が出来たのか? 悲しそうな表情の中に、少しだけ笑みが見えた。

「では、私はこれで失礼します。あとの事は任せましたよ」
「「了解しました!」」

 呼吸を整え、ゆっくり言葉をはく張・女媧。事の始末を2人へお願いし、立ち去ろうとした時だった。

「――おや? 眼当ての布が酷く汚れていますが……?」

 ふと、楼夷亘羅の両目を覆う布を目にする張・女媧。その経年劣化した帯紐は形が崩れ、繊維には汚れが染み込んでいた。そうした状況が気になり、顔へそっと触れようとするが……。

「触るんじゃない――!!」
「ですが……。その状態だと、目に良くないのではありませんか?」

 眼当てに少し触れた瞬間――!! 突然、怒りを露わにする楼夷亘羅。押さえつけられた身体を激しく揺れ動かし、大きな声で叫ぶ。

「「おい、楼夷亘羅! 暴れるんじゃない!」」

 尋常を超えた力で暴れまわり、激しく抵抗する楼夷亘羅。2人がかりで、必死に取り押さえようとする。けれど、お構いなしに帯紐の端へ刺繍された文字を手にする張・女媧。

「……これは?」
「だから、――触るんじゃないと言っているだろ!!」

 そこには、3文字で伊舎那と縫い込まれた名が刻まれていた。逢えない間、点字のように文字へ触れ、何度も想いを寄せたのだろう。糸は所々ほつれていたが、どうにか原形だけは想いとして残す。



「これが……あるから。こんな物があるばっかりに……」
「――ぐっ、何をする!! ――かっ、返せ!!」

 刺繍の文字を見た瞬間、唇を噛みしめ感情を露わにする張・女媧。布の端を強く握りしめ、気が付けば楼夷亘羅から帯紐を引き抜いていた。

「どうせ叶わぬ想いなら……。いっその事、燃やしてしまえばいいのよ。そうすれば、いつの日か……」

 虚ろな表情を浮かべ、自らに問い掛けているのか? 布の端を掴み、もう一方の掌から小さな炎を顕現して囁く張・女媧。

「――たっ、頼む! 返してくれ。それは、その布は……。唯一、残された伊舎那の形見。お願いだ! 張・女媧様…………」

 抵抗する事を止め、力なくだらりと両腕をたらす楼夷亘羅。閉じた目から涙を流し、必死に張・女媧へ懇願する。

「――わっ、私はなんて真似を……。もう少しで、取り返しのつかない事をしてしまうところでした」

 悲しみのあまり、物狂う様子で言葉を発する楼夷亘羅。その姿に、ふと我に返る張・女媧は、顕現した炎を消し去り帯紐を優しく手に取った。

「本当にごめんなさい、楼夷亘羅……」
「伊舎那…………」

 自らの過ちを詫び、謝意を込めながら眼当てを締め直す張・女媧。その帯紐から肌へ伝わる感触に、落ち着きを見せる楼夷亘羅。

「……これ以上ここに居ると、私の心は壊れてしまうかも知れない。――もう部屋へ帰るので、後はお願いしますよ……」
「「張・女媧様……」」

 哀しみの色を浮かべ、足早に立ち去る張・女媧。その姿を2人はそっと見送った……。