対象を捉える鳳凰の猛火。海面へ落下すると思われたが、上昇気流の風に乗り再び空を舞う。その球体化した炎は獲物をじっくり食すが如く、暫く空を漂い赤々と燃え盛る。こうした状況の中、水面(みなも)への衝突は寸前のところで(まぬか)れた。とはいえ、どちらにせよ焼き尽くす猛火の前では存続も危ういだろう。 

 このような絶望的ともいえる光景を見つめる3人。唇を震わせ小さな声で、もうダメだ……。そう囁きながら、悲しき想いを噛みしめる。その諦め掛けた瞬間――!! 炎の中から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「『――っはあああああ!!』」



 激しく燃え盛る炎を、気鋭の波動で一掃する楼夷亘羅(るいこうら)。失いかけた聖なる輝きは、身体から(ほとばし)るほどに満ち溢れた光を放つ。それはまるで、優しく照らす後光(ごこう)のようであった……。

「『――龍鬼!! あの時、言っただろ。そんな炎じゃ、獣一匹殺せやしないって……。お前が焼きつくせないなら、俺が本当の業火(ごうか)を教えてやる!』」

 切なそうに海龍鬼を見つめ、楼夷亘羅はそっと呟きかける。それは魔獣に話しかけているのか? 意味深な言葉よりも、猛火の中から生還した方が気になるところ。現に一掃してはいるが、力尽きた身体で炎を吹き消すことは可能なのか? そのように不可思議な状況ではあるけども、先ずは目の前に立ちはだかる敵を倒すことが先決だろう。 

「『……龍鬼。残念だが、ここでお別れだ』」

 懐かしみ過去を想い馳せる楼夷亘羅は、名残惜しそうに海龍鬼へ言葉をかける。その僅かな時の流れを肌身に感じ、時間の許す限り感慨に浸る。

「『グゴォッ――――ォォォッッ!!』」
「『あぁ、分かってるよ。じゃぁ、そろそろ蹴りをつけようか!』」

 想いに応えたのか? 大気の息吹を解き放ち、雄叫びをあげる海龍鬼。それは炎の波動ではなく、何も纏わぬ単なる空圧。その吹き抜ける風は生温かく、必ずしも清々(すがすが)しいとは呼べぬもの。けれど、楼夷亘羅の頬を優しく撫で緩やかに通り過ぎてゆく。

 こうした光景は、まるで瞬刻の如く早々に終わらして欲しい。そう願っているように思えた……。そのような心情を読み取り、軽く頷き掌を強く握りしめる楼夷亘羅。願いに応えるべく、素早く真言を唱える。

「『オン・ロケイジンバラ・アランジャ・キリク。オン・ロケイジンバラ・アランジャ・キリク』」

 楼夷亘羅は地衿(胸元)にそっと触れ、闘気を身体へ少しずつ纏っていく。これまでの状況とは違い、激しく唱える様子はない。ゆっくりとした口調で穏やかに念ずるも、窺える表情は真剣そのもの。瞳に映る情景は、艶のある漆黒の輝きを放つ。

「『……さっきは、本当にありがとう。そのお陰で今もこの場所に存在する事が出来ている。剣を使えない俺は、父さんのように巨躯(きょく)の肉体を浄化する事は出来ない。けれど、母さんの力があれば、少しは安らぎを与えてやれるかも知れない。だから……。母さんの想いを少しだけ使わせて貰うね!」

 先ほどから一点を見つめ、囁きかける楼夷亘羅。話の流れからして、両親のことを言っているのであろうか? それはもしかしたら、猛火の中から生還できた事と何か関係が? 内容から察するに無きにしも非ずといったとこだろう。

 こうした心の想いは強く、時には強大な力さえ与え得るかも知れない。ゆえに、両親の名など覚えていなくとも、絆は深く互いの気持ちは通じ合うもの。全ての記憶を取り戻せていないにしても、何かしらの能力が解放されたに違いない。

 その想いを心に刻み入れ、準備に取りかかる楼夷亘羅。三鈷杵(さんこしょ)を袖の(たもと)へしまい、それぞれが意味を持つ9種類の手印を両手で結んでいく。慌てず心落ち着かせ、ゆっくりと指先へ念を込める。ほどなくして、掌の中へ彩り鮮やかな粒子が溢れ出すも、同様の手順を暫く続けてゆく。

 これらの光は、身体を纏う闘気にも似ているように思われる。ところが、全く異なるものであり、闘気の光は1種類のみ。それに比べ、掌の中へ集まる光は手印の数と同じく9種類。明るさや輝き、温もりまで違って魅せた。やがて、燦燦(さんさん)とした輝くさまに頃合いを見る楼夷亘羅は、両手を脇下へ置き真言を唱える。

「『あまねき導く光明よ! 彷徨い迷う魂魄(こんぱく)照らし、天へといざない解き放つ――!!』」

 すると――、輝く粒子は形となり顕現する。目の前に突如として現れた9つの波動。炎に似た照りつける輝きを放つも、それでいて緩やかに揺らめく。その掌ほどの業火だが、炎炎と迸り勢いを増す。



 そして時を移さず、最後の真言を唱えた――。

「『九曜滅鬼天衝波(くようめっきてんしょうは)――――!!』」

 詠唱と共に、弧を描きながら飛び散る九曜の衝波。闘気の力も加わっての影響か? 更に加速させ、海龍鬼へ襲い掛かる。その波動は天体の如く周囲を明るく照らし、見るもの全てを魅了するほどに美しき虹色の輝きを放つ。

 これに伴い、纏う闘気を一気に解き放つ楼夷亘羅。追随させるべく、九曜とは別の波弾を無数に撃ち付ける。それはまさに、圧倒するほどの光景がそこにはあった。こうした状況から言えることは1つ。気力を出し惜しみしている場合ではない。早く楽にさせてやりたい、そのような気持ちだろう……。  

「『龍鬼……。来世で、また巡り逢えるといいな…………』」

 切なき想いを胸にしまい込み、最後にそっと囁いた……。