勢いよく攻め込む楼夷亘羅(るいこうら)の姿に、溜め込む大気を解き放つ海龍鬼。それは船頭が懸念していた鳳凰炎舞(ほうおうえんぶ)ではなく、周辺一帯へ広がりを見せる連なった息吹の炎柱である。 

「『――ぐぅっ!! ――オン・ロケイジンバラ・アランジャ・キリク!!』」

 猛火の中へと身を投じる楼夷亘羅。すぐさま手印を結び真言を唱えた――。それにより、身体へ闘気を纏い炎柱の熱から身を守る。けれど、どこまでも続く猛火の柱によって、纏う闘気は次第に削られてゆく。苦戦した様子では無いにしろ、状況を窺う伊舎那は不安げな面持ちで祈り願う。

「『楼夷(るい)……』」
「『大丈夫ですよ、伊舎那(いざな)さん。楼夷亘羅が思い悩んでいたのは、戦力差ではないと思います。何か事情があり、推し量っていたに違いありません。なにせ化物級ですからね、心配ないですよ。信じて待ちましょう!』」

「『えぇ……。それもそうね』」

 吒枳(たき)の言葉で少し気持ちが安らいだのか? 深刻そうな顔つきから、穏やかな容貌へと落ち着きを見せる。

 そうして、渡し船から3人が見守る中。やがて、炎柱の猛火を切り抜ける楼夷亘羅。海龍鬼との距離をとりつつ、攻撃を仕掛ける隙を窺う。このように今までの状況とは打って変わり、積極的に攻撃を仕掛けていく。

「『――光焔(こうえん)の衝波!!』」

 片方の掌へ溜めを得る楼夷亘羅は、素早く近づき海龍鬼の肉体へ波動を解き放つ。その右手から撃ち込まれた光と炎の光焔。輝きを放つ威力は凄まじく、巨躯(きょく)の身であろうが(えぐ)り取り消滅させる。そうしたことから、もう一方の掌で手首を支えていなければ、堪え兼ねるほどの衝撃が身体を纏う。



 ところが、相手は天を覆うほどの肉体を持つ海龍鬼。瞬殺は難しく、易々と勝たせてはくれなかった。けれど、何度も行えばいずれ灰燼(かいじん)()していく事は可能だろう。こうして光焔の衝波を受けた場所は空洞となり、そよぐ風が吹き抜けた。

 次第に肉体の損壊箇所も増え、痛々しい状況に陥る事となる。これに伴い先程まで渡し船へ目を向けていた海龍鬼も、さすがに楼夷亘羅へ意識を高める。両眼の光は失えど、気配と魔獣の感であろうか? 存在を追い詰め、数多の炎弾を浴びせ続ける。

 これに対抗するべく、時計回りに空を舞い炎弾を回避して見せる楼夷亘羅。しかし、この状況に合わせたように、海龍鬼は連なる息吹の猛火を吹き放って見せた。普通は有り得ない光景だが、光を失ったことにより更に俊敏性を得る。

 初手に対戦した時と比べ、海龍鬼は戦闘能力が水準をはるかに超えていた。この魔獣と対等に戦えているだけでも凄いこと。更に、それよりも上回る交戦をしているのだから見事というべきだろう。しかしながら、闘気を多く使用しているせいか? 次第に楼夷亘羅の顔にも疲れが見え始める……。

 それもそのはず、気力も無限ではなく限りというものがある。空を舞う天舞や闘気を纏う光焔、これら以外でも技の全ては気力により満たされている。楼夷亘羅が他者よりも優れているのは、王の力を単に継承しているからではない。身体を纏う闘気の質量が無限ではなく、未知数といった事が要因として挙げられるだろう。

 天人は生まれながらにして、それぞれが持つ闘気の器は決まっている。修練により多少の付加はあるものの、大きく存在以上になり得ることはない。そのため特殊な法具の見識によって、僧職などの位に利用されたりもしていた。

 こうした攻防を繰り広げること半刻(1時間)――。

 均衡していた戦いに、終わりが来たというべきか? ついに戦況は動き、上空から楼夷亘羅が力なく(くずお)れる。緩慢(かんまん)とした状況の中、水面(みなも)へゆっくり落ちていく身体。その姿はまるで、儚く散りゆく花びらのようであった……。



「『――楼夷(るい)!!』」
「『――楼夷亘羅!!』」
「『――兄ちゃん!!』」

 周囲へ轟き響く声で呼びかける3人達。哀しみや不安、嘆きといった感情が入り混じる。やがて、追随するかのように大気の塊を一気に解き放つ海龍鬼。その猛火は天上を覆いつくす大きな華炎。そうした光景は、羽ばたきを魅せる霊鳥のようにも見えた。

「『あれが……。何もかも焼き尽くすと言われた、幻の鳳凰炎舞なのか……?』」



 鮮明に映る猛火の存在に、船頭は声を震わせ驚き佇む。その華炎はゆっくり漂っていたが、突如として急降下を始めた――。

 ほどなくして、燃え盛る炎は緩やかに落ちていく楼夷亘羅を捉える。すると――、大きな炎の翼は包み込むように身体を覆いつくし、球体に似た姿と化す。

「『――楼夷(るい)!!』」
「『――楼夷亘羅!!』」
「『――兄ちゃん!!』」

 先ほど同様に、大きな声で呼びかける3人達。あえて先刻と違う状況といえば、何もかも焼き尽くす炎に包まれたこと。これにより、絶望感に満ちた想いが込み上げる。けれど、華炎に取り込まれた楼夷亘羅へ、そうした声は届いていないだろう……。

 目に映る刹那の瞬間――。しかし、結界を張っているせいか? 周りの情景といえば、静かにそよぐ風が頬を撫で通り抜ける。そんな哀しき状況とは裏腹に、緩やかで落ち着いた時が流れゆく。

 言葉を失う3人は掌を強く握りしめ、同時に船底へ膝をつき項垂(うなだ)れる。

 船頭は若き英雄を死なせてしまった事に、無念の感情を抱き責任を詫びる。一方、無力さを疎ましく思う吒枳は、自らを高め親友のために尽くせばよかったと嘆き悲しむ。そして……。薄っすらと涙を浮かべ、唇を噛みしめる伊舎那。心の想いを遂げれず、後悔の念で地衿(胸元)を強く掴む。

 それぞれの想いは虚しく、極楽の荘厳(果てしなき大陸)へ無情にも儚く消え去った……。