水面に映し出された自らの容姿を確認する伊舎那。五感の内、味覚以外における身体の部位をゆっくり丁寧に触れてゆく。その現実を改めて受け入れ、安堵の表情を浮かべた。すると突然――、船底へ倒れ込むように頽れる。
「『――いっ、伊舎那!!』」
「『だっ、大丈夫よ! つい嬉しくて、力が抜けてしまったの。それにしても、ほんとに凄い能力ね。植物だけだと思っていたけど、こんな事まで出来るなんて驚いたわ!』」
伊舎那が言うように、手遅れと思われた重度の熱傷を容易く完治させるとは……。何とも見事な不思議な真言である。それは両親から受け継いだ力であろうか? はたまた、元々備わっていた天性の素質なのか? 本人すらも知り得る限りでは無いが、詠唱を読み解けば少しは理解できる。
その意味はこうだ――。
この世は無常、その変わりゆく時は理の真理。無我と呼ばれた因縁を纏い、成り立ちを生きてゆく。そして、寂静といった一切の苦を取り除き消滅させる。
つまり楼夷亘羅の能力は、気を高め自然の力をかり得て活性化させる。それにより、元の状態へ導くというもの。吒枳が以前に目撃した、植物を再生させる光景もその類といったとこだろう。
「『やっ、ぱり……。僕が言った通り、楼夷亘羅は化物級でしたね』」
弾け飛んだ金剛鈴を拾い上げる吒枳は、よろけながら楼夷亘羅の元へ近づく。
「『――吒枳! もう大丈夫なのか?』」
ふらつく吒枳の手を取り、自らの肩へ支え置く楼夷亘羅。顔色を窺いながら、ゆっくりとその場へ座らせる。
「『大したことはありません。法具に気力を注がない間は、大丈夫のようです。少し休めば回復するでしょう』」
「『そっかぁ――。それなら良かったよ!』」
「『けれど、そう喜んでばかりはいられない。――というのは、僕が暫く結界を張ることが出来ないからです。こうした状況の中。再び炎弾を浴びる事になれば、今度こそ海の藻屑となるでしょう……』」
吒枳の読み解く意味。その対策とは……。
巨大な炎弾の前では、法力で顕現させた障壁は意味がなく無いに等しいだろう。かといって、船頭の力を頼ろうにも、折れた櫂では応戦すら難しい。そう――、身の丈を超える頑丈な船具でも、炎弾の前には歯が立たず皆無。先ほど弾き返した際に、亀裂が入り砕け散ったという。
では、伊舎那の弓鈷杵ならどうか? それは言わずと知れたこと。溜めに時間が掛かるというよりも、気力の消耗で暫くは無理だろう。
結局のところ、頼みの綱も切れ果てる。結界が使えなくなった今、身を守る手立てなど残ってはいなかった。あるとするならば、秘められた楼夷亘羅の力に縋るしかない。しかし、それには1つ問題があり、攻撃と防御を同時に行えるのか? 吒枳の思いに、そうした疑問が浮かび上がる。
「『はたして……。海龍鬼と戦いながら、この船を守ることが出来るのでしょうか?』」
深刻な面持ちで呟きかける吒枳。やはり、1人の力だけでは荷が重すぎる。そう感じ、別の策を練り直す。
「『ごめんね、楼夷。私だけ、何の役にも立てなくて……』」
そうした吒枳の言葉を受け、中途半端なことしか出来なかった自分を責める伊舎那。
「『――そんな事ないさ! 伊舎那が皆のことを想い、援護してくれたからこそ。こうして今も、安心して戦う事ができるんだ! だから、その気持ちだけで十分だよ』」
伊舎那の掌にそっと触れ、想いを言葉にのせる楼夷亘羅。伝わる優しさは、自分だけでなく他の者達にも届いていると話す。
「『それに、俺の方こそごめん。危険な目に遭わせたばかりか、あんな思いまでさせるなんて……。だけど、もう絶対に迷わない。大切な場所は、この手で守り抜く!』」
掌を強く握りしめる楼夷亘羅は、揺れ動く心の戸惑いを熱き言葉で払拭する。そのようなやり取りの中。後方から血相を変えた船頭が、慌ただしく唇を震わせ話しかけてきた。
「『――おっ、おっ、おい!』」
「『んっ――!? おっちゃん、そんなに驚いてどうしたんだ?』」
船頭は口を少し開き、口籠もる様子で問いかける。その状況は驚いているというよりも、酷く怯えた素振りに見えた。何を言っているのか? ハッキリとしない言葉は曖昧で、楼夷亘羅は治療のことかと思い確認して見る。
「『あぁ、顔のことね? この能力は、気力を高めることで――』」
「『いっ、いや。そうじゃねぇ! あっ、あれだ……』」
話し掛けていた楼夷亘羅の言葉を途中で遮る船頭。少し離れた場所を差し示し、小刻みに指先を震わせた。
「『――!?』」
指差す方向を見つめる楼夷亘羅。その先には、つい先程まで硬直していた海龍鬼が佇む。そう――、先程まで……。
「『あっ、あれは……。ひょっとして、鳳凰炎舞!』」
船頭の呟く言葉……。
その名は、3種の龍鬼が持つ奥義のような技。体内に溜め込まれた毒性のある気体を一気に解き放つことで、天上を覆いつくす大きな猛火となる。この技は一瞬で海面の水を干上がらせ、毒と炎の後には何も残らない。それほどまでに絶大な破壊力を持ち、一掃させるだけの波動を持ち得た。
こうした光景を間近で見た者は、毒炎の前に跪き果てるように消えていく。そして、誰一人として生きて帰れた者はいないという……。