高台から暫く歩くこと半刻(1時間)。度々遠くを見つめる楼夷亘羅(るいこうら)は何かを発見する。

「『――あっ! あれじゃない? 2人共、ようやく渡し船を見つけたよ! ――ほら、早く早く。あれだよ、あれ!』」
「『はぁ……。はぁ……。楼夷(るい)、ちょっと待って貰えないかしら? それに、はぁ……。早く歩かなくても、浄瑠璃(じょうるり)大陸は逃げやしないわ』」

 微かに見える渡船場を指差し、興奮気味の楼夷亘羅。まるで、初めてお出かけする子供のように、飛び跳ね2人を手招きして呼び掛ける。そうした中、何度も息を切らせながら苦しそうな表情を浮かべる伊舎那(いざな)。やっとの思いで駆け寄り、近くの樹木へもたれ掛かる。

「『そうですよ、楼夷亘羅! 伊舎那さんは僕達と違って、歳がかけ離れてるんですからね。労わってあげないと可哀想です』」

 その様子を不憫に思い、吒枳(たき)なりに珍しく気を使ったつもりだろう。けれど、それはお節介というもの。もしくは黙っていれば良かったのかも知れない。しかし、口と体が同時に動き手を差し伸べる。ゆえに……。

「『――――――――――――――――――――!!!!』」

 掌は打ち付ける音と共に、空を切りながら上空へ高く弾かれる。同時に、吒枳の頭に軽く触れる伊舎那の拳。 静寂に包まれた周囲の情景に、重くのしかかる音までも鳴り響く。――やはり、そうなったか? 傍で見ていた楼夷亘羅は、心の中で囁いた。

「『吒枳の手なんて借りません! ――結構です!!』」

 大きなお世話ですとばかりに、顔を背け視線を逸らす伊舎那。ひどく荒れた雰囲気でご立腹の様子。

「『うっ、ぅぅ……。僕は何か気に障るような事を言いましたでしょうか?』」
「『えっと……。ごめんな』」

 一瞬の出来事に、唖然と頭を抱え同意を求める吒枳。からといって、睨みを利かせる伊舎那の前で、相槌を打つなんて事など出来るはずもない。そのため、掌を合わせ小さく呟く楼夷亘羅であった。





 そうしたやり取りをしながら、半刻(1時間)ほど歩く3人。ほどなくして、ようやく渡船場の前へ辿り着く。

 すると、そこには1人の船頭が一艘の渡し船に乗り、大海を横断する客を暇そうに待つ。その風貌は、とても船頭とは思えない大柄で強靭な肉体をしており、木で出来た大きな(かい)を悠々と片手に持つ。



 それはまるで、身の丈2メートルもの金棒を持つ大鬼のようである。
 
「『おっちゃん! 3人浄瑠璃大陸までお願い出来る?』」
「『あぁ、大丈夫だ。じゃぁ、お金か天輪を見せてくれ!』」

 強く勇ましそうな船頭に臆する事なく、馴れ馴れしい態度で話しかける楼夷亘羅。

「『えっと、これだよね?』」
「『あいよ、確かにな! もしかして、兄ちゃん達。天輪を付けてるって事は、婆羅門から来たんだよな?』」

 手首へ嵌めた天部の証を見せる3人。輝く天輪を見つめる船頭は、天高く聳える須弥山を指差して楼夷亘羅へ問い掛ける。



「『そうだけど?』」
「『へぇ――。その若さで鉄輪たぁ、大したもんだ!』」

 楼夷亘羅の姿態を確認し、唖然とした表情で呟く船頭。

「『いやぁ――、僕はそれ程でも無いんですけどね』」
「『なに言ってるの吒枳! あなたには言ってないから安心して!』」

 満更でもない表情を浮かべ、嬉しそうに呟く吒枳。すぐさま、ありえないと呆れた顔つきで訂正する伊舎那。

 それは場を和ませるためか? 本気で言ったのか? よく分からない吒枳の言動。状況から察して、言うまでもなく後者である事に間違いはない。そうした冗談を交えながら、渡し船に乗り込む3人。 期待を膨らませ、海を渡る準備を始める。

「『じゃぁ、兄ちゃん達! 船首近くは風が強いから、なるべく後方へ座って船体をしっかり掴んでおいてくれよ!』」

「『――えっ?』」
「『それって、どういう意味でしょうか?』」

 言葉の意味がよく分からず、船頭へ話し掛ける伊舎那と吒枳。

「『――じゃぁ、行くぜ!』」

 ところが、2人の言葉など聞こえていないのか? はたまた、聞き流しているのか? 全く耳にしない様子で、櫂を海面へ投げ込み勢いよく船を漕ぎ出した。
 
 迅速に動き出す渡し船。船頭の剛腕から繰り出される櫂さばきは、華麗とも言えるほど見事なものだった。1漕ぎすれば1キロ進み、2漕ぎすれば2キロ進行する。そして、3漕ぎすれば4キロもの距離を一瞬で勢いよく前進する。

 あまりの速さに、風圧と水しぶきが飛礫(つぶて)のように3人の顔へ打ち付ける。そうした状況を、何とか必死に掌で遮り、目を閉じ周辺の物を掴む伊舎那と吒枳。

 けれども、1人その様子を楽しんでいる者がいた。しぶきで目は閉じているが、頬を緩ませ笑みを浮かべる楼夷亘羅。心地よい風を全身に浴び、状況を堪能する。

 すると、突き進む船体へ一瞬、強い風が打ち付ける。それによって、吹き上げられた海面は風波となり、船首をふわりと持ち上げた。

「『――ひゃっ、ほぉぅぅ!』」

「『――きゃぁぁぁ!』」
「『――わぁぁぁぁ!』」

 大きな声で叫びながら、必死に何かを掴もうとする3人。船体は飛び魚のように浮かび上がり、降下と同時に海面へ、――ぶつかり合う!!

 ――その瞬間!!

「『――ちょっと、吒枳!! どこ掴んでいるのよ――!!』」
「『――げっぶぅ!!』」

 大きな声で叫ぶ言葉と同時に、周囲へ弾ける音が鳴り響く。

「『うっ、ぅぅ。あっ、あのぅ……。僕じゃ、ないんですけど……?』」
「『――ふんっ!! 触っといて、何言ってんのよ!!』」

 掌を頬に当て、自分じゃないと弁明する吒枳。にもかかわらず、日頃からの言動もあるせいか? 中々信じて貰うことが出来ない。それが本当であるにしろ、今の状態では聞く耳持たずといったところだろう。可哀想ではあるが、受け入れるしかない。

「『あちゃぁ……。悪りい、吒枳! それ多分、俺かもしんない?』」
「『――えぇっ! こんな事って、理不尽なんですけどぉ……』」

 頬を撫で涙ぐみ、呆然とした様子で佇む吒枳。その痕は、掌の形がくっきりと浮かび上がり、赤く腫れあがっていた。楼夷亘羅は目を閉じていたので確かな事は言えないが、何か柔らかい物が手に触れたという。

「『すまん兄ちゃん達、とんだ災難だったな! でもまぁ、良かったよ。この分だと浄瑠璃大陸まで、何事もなく時期に辿り着きそうだ!』」

 にこやかに語り掛ける船頭は、大陸まであと僅かだと言う。

「『――本当か? それは楽しみだ!』」
「『そうねぇ、私も凄く楽しみ。どんなとこなんでしょうね、浄瑠璃大陸って!』」

「『それよりも、何事もなくとは……?』」

 その言葉に、何故か嬉しそうに笑顔を見せる楼夷亘羅。同様に、伊舎那も笑みを浮かべ、まだ見ぬ大陸に心躍らせ遠くを見つめる。しかし、吒枳だけは言葉の意味を物思う様子で呟いた……。