時は正午の一刻(2時間)前。先程まで顔面蒼白だった2人は、ようやく落ち着きを見せる。

「『――で、これからどうしますか?』」

 今後の予定を伊舎那へ問い掛ける吒枳(たき)

「『そうねえ……。このままじゃ駄目だから、旅の準備が必要ね』」

 地面へ(くずお)れていた状態から立ち上がり着物の埃を軽く振り払う伊舎那(いざな)

「『そういう事でしたら、そろそろ僕は僧院へ帰りますね。そこである程度の支度がありますから、これで失礼したいと思います』」
「『私も支度があるから……。じゃぁ、この場所で半刻(1時間)ほどしたら落ち合いましょうか?』」

「『はい。分かりました』」

 晴天の空を見上げ、落ち合う時を伝える伊舎那。その言葉と共に、自らの部屋へと帰っていく吒枳。

「『――えっ!? 半刻(1時間)も支度をするの? 俺はこのままでいいんだけど!』」
「『――もうっ! 楼夷(るい)と一緒にしないでよ。乙女には色々と準備が必要なんだから。それじゃぁ、また後でね』」

 そんなにも時間がかかるのか? 驚いた表情を浮かべる楼夷亘羅(るいこうら)は、自らの衣服を見渡して問い掛ける。すると、溜息混じりに声を漏らす伊舎那。指先を軽く指し示し、その場を後にしようとする。

「『はぁー、乙女ねぇ……?』」
「『――えっ? 何か言ったかしら?』」

 軽く流す程度に、伊舎那の容姿を確認する楼夷亘羅。小さな囁き声だった為か? 言葉の内容までは聞こえていない。にもかかわらず、身体を反らし振り返る素振りを見せる。

「『いっ、いえ何も……。ゆっ、ゆっくりして来て下さい。あはは……。はは』」 

 慌てて口を閉じ、愛想笑いで見送る楼夷亘羅。

 2人が僧院へ戻り、僅かな時が流れゆく中。1人暇そうに佇む楼夷亘羅の耳元へ、梵鐘(ぼんしょう)の重く余韻ある()が周辺一帯へ鳴り渡る。その澄んだ響きが広く伝わるように、ゆっくり10打の鐘が時を知らせる……。





 ――ほどなくして、支度を終えた伊舎那と吒枳。背負い袋へ沢山の荷を忍ばせ、先程の待ち合わせ場所に現れる。同じように支度を済ませて待っていたのだろう? そこには、庭園の芝生で暇そうに寝転がる楼夷亘羅がいた。

「『――楼夷(るい)、お待たせ! 早かったわね…………。――って!? 荷物はどうしたのよ? もしかして、ずっとここに居たとかじゃないでしょね!』」
「『うん。そうだけど、なんで?』」

 何も持たない楼夷亘羅の姿に、呆然と佇む伊舎那。口元を少しばかり開き、大きな瞳をこれでもかと開ける。

「『――えっ! なんでって……。替えの服とかあるでしょう?』」
「『そんなの要らないよ。だって、光の浄化で汚れも匂いも全て無くなるからね!』」

 着物の地衿(胸元)部分を軽く掴み、不思議そうに呟く伊舎那。その状況を淡々とした様子で語る楼夷亘羅。

 その浄化作用とは……。

 万物を操作する能力は、自然から得られる力を使い行う。身体を媒体として取り入れ、様々な形態に変化させ力を解き放つ。それは目に見えない癒しであったり、顕現された波動であったりする。そうした力は別の用途も持ち合わせていた。つまり、円満の光と呼ばれる煩悩を砕く智慧の光輪。自らの持つ光の波動によって、邪の浄化や衣服の汚れ匂いまでも清める事が可能だという。

「『へぇ――! 中々便利な掌ね。私も出来る事なら1つ欲しいわ』」
「『――えっ!? だっ、駄目だよ。俺の手は2本しかないんだから!』」

 掌を覗き込み、じっくりと見つめる伊舎那。すると、青ざめた顔で慌てて両腕を後ろへ隠す楼夷亘羅。

「『はぁ……。隠さなくても取ったりしないわ。……ほんとに楼夷(るい)は純粋というか、何というか?』」

 少しばかり怯えた素振りを見せる楼夷亘羅を見つめ、呆れた顔で溜息をつく伊舎那であった……。

 それから和やかに話しながら各々の準備を済ませた3人。――いや、2人であろうか? 宝珠を回収するために、最初の大陸である浄瑠璃(じょうるり)大陸を目指す。


◆               


 ほどなくして、婆羅門の外へ出た3人。緑豊かな須弥山の大地へ、しばしの別れを込め門の前で軽く頭を下げる。一礼を済ませ掌を大きく広げると、明るく照らす光。心地良くそよぐ風。周囲に漂う樹々の香り。その全てにおける自然の恩恵を全身へ浴びる。





「『あぁ、微かに吹く風がとても気持ちいい』」
「『そうねぇ、とても心地いいわ』」

「『2人共、何故そんなにも落ち着いていられるんです? 僕なんか須弥山の大地から出たことがないので、内心とてもドキドキしているというのに……』」

 掌を高く上げ、深呼吸をする楼夷亘羅と伊舎那。そんな2人を微かにそよぐ風は、優しく包み込むように頬を撫でてゆく。これに反して隣では、辺りを落ち着かない様子で見回す吒枳の姿があった。

「『あら? 私も初めてよ。だけど、ドキドキというよりも、3人で旅が出来る事にワクワクしているの』」
「『なるほど、そういうもんですかねぇ? ですが怪物や未知の生物、それに天鬼(彷徨える亡者)だって出るんですよ!』」

「『吒枳は心配性だなぁ。何が出たって、俺が2人を必ず守って見せるから大丈夫だって!』」

 それぞれの思いは喜びや不安、希望という心情を抱く気持ちで溢れていた。そんな3人の思いは別々ではあったが、1つだけ同じ想いがある。

 その想いとは、お互いを思いやり信じ合う心。信頼という1つの強い想いである。そうした想いによって、どんな辛い状況も幾度となく切り抜け、固い絆で結ばれていた。

「『そうでした! ここには既に怪物が1人いるのを忘れてました。……いや、2人かな?』」
「『――吒枳! あなた今、チラッと私を見たでしょう?』」

 声量を響かせながら掌を打ち鳴らし、納得する様子で楼夷亘羅を見つめる吒枳。更に、ふと思い出したかのように伊舎那を一瞥(いちべつ)する。けれど、囁き声のためか? 言葉の意味は聞こえてない。だが、仕草で状況を察し低い声で問い掛ける。

「『あはは……。じゃ、じゃぁ。そろそろ行こうか?』」

 そんな2人の光景を、呆れた表情で見つめる楼夷亘羅。気にする事なく、浄瑠璃大陸を目指し先へ進む……。





 先ず大陸へ向かうためには、大地を隔てる海を渡らない事には先へ進めなかった。そのため、海岸から出ている渡し船に乗り、大海原を越える必要がある。そういう理由から足早に渡船場を探す。

 3人は暫く緩やかに起伏する丘を抜け、見晴らしのいい高台へ辿り着く。そこから見える景色は、何処までも広がりを見せる青く輝いた海が姿を現す。やがて海へ近づくに連れ、打ち寄せる波の音が心地よく耳元へ響く。





 そんな普段聞きなれない寄せては返す波の音。脳を刺激するかのように、心を落ち着かせ安らぎを与える。3人は身を乗り出し何処に大陸があるのか? 海の向こうを見渡し眺めては見るものの、どんなに目を凝らしても陸のような物は確認できない。

 そこから見える景色は、只々、澄み渡る晴天の空が続いているだけであった……。