未来の想いを託し、後世へ繋げてゆけたらと願う処世(しょせ)……。

「『それにしても……。どうして、今の世はこんなにも荒れてしまったのじゃろうか? 錠光(じょうこう)様の時には、こんなくだらん階級などなく、全ての天人が幸せに暮らしていたというのに……』」

 系譜と一緒に記載された婆羅門の記録。そこには様々な事が書かれており、千年前の天界に階級は存在しなかったという。その制度が始まったのは、恐らく初期の頃ではないか? 憂い悩む様子で、2人へ話す処世。

「『今では財施に頼らねば、婆羅門もやっていけん。ほんに、儂が不甲斐ないばかりに迷惑をかける』」

 大陸の安寧を導いてゆくのは聖者の使命。とはいえ、想いだけでは生きてはいけず、人々からの援助なしでは婆羅門の存続は難しいと話す。そうした現状に、導いているのではなく、手を差し伸べられているのではないか? そう感じた処世は、身を低く構え申し訳なさそうに呟く。

「『そんな……。頭をお上げ下さい、大僧正様は天界のために、良くしてくれています』」
「『伊舎那(いざな)さんの言う通りですよ。婆羅門を統治するだけでも大変だというのに。大陸に住む人々まで導くなんて、僕には真似が出来ません!』」

 暇さえあれば、僧職を全うしながら民を救済する姿に、深く感心する2人。

「『――んっ!? 2人共! どうして、そのことを知っておるのじゃ?』」

「『その話は、ここへ来る途中に楼夷(るい)から聞かされました』」
「『僕はいつも一緒にいたので、毎日のように聞いていましたが?』」

 誰にも話さず、内緒で衆生の様子や街の墓参りへ出かけていた処世。何気ない話ではあるが、吒枳(たき)は問われた内容を気にする事なく鮮明に話す。

 それはいつも何かを感じ、目を閉じ深呼吸を始めていた楼夷亘羅(るいこうら)。その意味が分からない言動をジッと見つめていれば、決まって誰かの名を呟いていたという。言葉から状況を察するに、お爺さんが何処かの大陸へ向かい、人々を導いていたらしい。

 ようやく楼夷亘羅から得た今回の発言で、じっちゃんが誰なのか? やっと呟きの意味と、謎が解けた吒枳であった。 

「『どうして、儂しか扱えぬ天眼を……。いや、――そこじゃない! 過去世の記憶がない楼夷亘羅に、そんな事は出来ないはず。それを可能にしているのは、なにか……?』」
「『大僧正様、どうされたのですか?』」

 思い悩む処世へ、伊舎那は優しく声を掛ける。

「『ひょっとして……? 伊舎那が少しずつ、絡まった心の紐を(ほど)いているのかもしれんな。こんな身近に希望の光があったとは。もしかしたら、情報を得るまでもなく、覚醒できるかもしれん!』」
「『あの……ぅ。本当に大丈夫ですか?』」

 先程まで考え込んでいたかと思えば、今度は頬を緩ませ小さな声で囁く処世。その様変わりな表情に、戸惑いを見せる伊舎那。

「『すまん、すまん。独り言じゃから、気にせんでくれ。それにしても、お前達も色々と忙しいというのに、このような任務をを与えてしまって申し訳ない』」

「『いいえ、そんな事はありません。偶には気分転換に、婆羅門から離れて修練もいいかな? そう思っていた頃です』」
「『僕も同じです。この場所へずっといると、息が詰まりますからね――』」

 掌を組み合わせ、軽く伸びをする伊舎那。同じように吒枳も身体をほぐし、嘆息をつきながら隣を見つめる。

「『……吒枳さん。いま溜息をこぼし、こちらを見たのは何故でしょうか?』」
「『えっと……。そっ、それはですね。さっき言った言葉は、隣にいることが――、ではなく……』」

 蔑む目で見つめる様子に、慌てて言葉を訂正しようとする吒枳。すると、思わず心の声が漏れてしまう。

「『いま、本心の声が聞こえたように思うのですが? もう一度、ゆっくり言って貰えませんか!』」
「『まぁ、まぁ。その辺で許してやるんじゃ伊舎那。それよりも、そろそろ迎えに行ってやらんと、楼夷亘羅が痺れを切らしてるんじゃないか?』」

 落ち着けとばかりに、憤る伊舎那を宥める処世。ふと、部屋の外で待機している楼夷亘羅を気にかける。
 
「『それもそうですね!』」
「『――ふぅ、助かった……』」

 安堵の表情を浮かべ、額の汗を拭い去る吒枳。

「『じゃぁ、2人共。これからも良き友として、楼夷亘羅を支えてやってくれ』」
「「『はい、勿論です』」」

 旅の目的と用件を伝え、ゆっくり腰を上げる処世。今後の未来をよろしく頼むと、2人の肩へそっと触れ共に屋外へ赴いた……。



 それから処世に連れられ元きた道を暫く歩く2人。ほどなくして、門の前に大きな灯籠が見えて来る。そこには怠そうに石段へ寝転がる楼夷亘羅がいた。

「『楼夷(るい)、お待たせ!』」
「『楼夷亘羅、ごめん。遅くなりました』」

 いつものように、気にせず軽い感じで呼び掛ける伊舎那。一方、申し訳なさそうな表情を浮かべ、断りを入れる吒枳。それぞれの態度や口調で、石段へ座る楼夷亘羅へ声を掛ける。

「『――たっくぅ! 2人共、遅いよ! 待ちくたびれて、疲れたじゃん!』」

 頬を膨らませ、唇を尖らる楼夷亘羅。不満げな顔つきで、溜息混じりに2人へ呼び掛ける。

「『すまん、すまん。2人を引き留めていたのは儂なんじゃ!』」
「『――じゃぁ、仕方ないかぁ……。ところで、じっちゃん! 伝えたい話は済んだのか?』」

「『あぁ、大丈夫じゃ。用件は全て、2人へ言ってある』」
「『なら良かったよ。それにしても、かなり話が長かったけど、2人は中で何を話していたの?』」

 腰に纏う着物の埃を払い、ゆっくり立ち上がる楼夷亘羅。半刻(1時間)ほど待たされた事に、部屋での内容を確認する。

「『――そっ、それは内緒よね。吒枳さん?』」
「『えっと……。はっ、はい。あはは……』」

 薄気味悪い形相の伊舎那。その瞳から伝わる感情は、他言無用だと言っているように思える。それほど鋭い眼光で吒枳を睨みつけていた。

「『――はぁっ!? なんだよそれ?』」
「『まぁ、楼夷亘羅よ。そう焦らんでも2人から追々、聞くといいじゃろう』」

 納得のいかない楼夷亘羅であったが、処世に宥められ落ち着きを見せる。

「『じゃぁ、よろしく頼むぞ!』」

 3人の身体へそっと触れ、名残惜しそうに声を掛ける処世。

「『まかせとけ、じっちゃん!』」
「「『はい、大僧正様! 行って参ります』」」

 楼夷亘羅・伊舎那・吒枳の3人は元気よく受け答える。けれど、処世の表情はどことなく切なげに見えた。それはまるで、これが最後の別れであるかのように……。