――そうして、伊舎那(いざな)が大魔縁の討伐へ向かい数十年の時が流れる……。


 その数十年の間、楼夷亘羅(るいこうら)も別件の任務により出払っていた。しかし、ようやく婆羅門へ帰還する事ができ、自らの部屋で伊舎那の無事を願う。

「それにしても、伊舎那が大魔縁の討伐に行って数十年。まだ討伐は出来てないんだろうか……?」

 不安な表情を浮かべ、部屋で考え込む楼夷亘羅。すると、1人の天界人が扉の外から声を掛ける。

王・楼夷亘羅(わん・るいこうら)様! 伝言が御座いますので、よろしいでしょうか?」 
「――はい。どうぞ!」

 ゆっくりと立ち上がり、楼夷亘羅は静かに扉を開ける。そこには、深々と頭を下げ、両手を床へ付ける伝令役がいた。

「伝言って何だい? それよりも、俺の前では畏まらなくてもいいよ」
「そう言って頂き、誠にありがとうございます」

 楼夷亘羅の言葉に、天界人はゆっくりと頭を上げる。

「この雰囲気――!? もしかして、あなたは……」
「ご無沙汰しております。韋駄(いだ)です。やっとこうして、楼夷亘羅様へ逢う事が出来ました」

 突然の状況に、楼夷亘羅は驚いた表情で指を差す。その光景に、韋駄はようやく巡り会えたと、歓喜の表情を浮かべる。

「どうして、あなたがこのような場所に?」
「実はあの後、助けて頂いたお礼に、宝物庫へこれを取りに帰っていたのです。けれど、その場所に楼夷亘羅様の姿はなく、既に旅へ向かわれた後でした……」

 唖然とした状態でその場に佇む楼夷亘羅。すると、韋駄は胸元から首飾りを取り出し、そっと手に置くように手渡す。

「これは……?」
「それは、旅の聖者様から頂いた物です。その方は楼夷亘羅様の時と同じく、悩み苦しんでいた私へ手を差し伸べてくれました。もしかしたら、重荷を少しでも和らごうとしてくれたのかも知れませんね」

 韋駄のいう人物とは……。

 それはとても美しい顔つきで、優しく微笑み心を安らぎ癒す。その姿はまるで、聖母様のようだったと話す。そして手渡された首飾りは、菩提樹の木を加工して作られた僅か二寸(6センチ)ほどの仏像。この装身具は代々受け継がれた貴重な品らしく、大陸を導いたとされる偉大な聖者の骨が入っているという。



「こんな貴重な品を俺に? そんな……。大切な物なんでしょ! だったら尚更、受け取れないよ」
「そんな事をおっしゃらずに、私には返しきれない恩義があります。あの時……。楼夷亘羅様へ出会っていなければ、苦悩に耐えきれず、身を投げていたかもしれません。ですから、どうか受け取って下さい。お願いします」

 一度、首飾りを受け取る事を拒む楼夷亘羅。しかし、余りに懇願する姿に仕方なく受け取る事にする。

「それは、持ち主の身を一度だけ守る不思議な仏像らしいです」
「この小さな首飾りに、そんな力が……。それにしても、韋駄が絶賛する聖母様。俺も会ってみたいな……」

 楼夷亘羅は手に持つ首飾りを不思議そうに見つめ、懐かしむように思い巡らせた。

「はい。法具と比べれば、やや劣りますが効果は絶大です。確か名は、須弥…………。申し訳ありません。もう何十年も前のことですので、すっかり忘れてしまいましたが。とても美しい女性だったという事だけは、今も鮮明に覚えています」

 効き目は1度きりの代物だったが、どんな状態異常も治す事が出来る。しかし、死んだ人間を生き返らす事だけは不可能という。

「いいよ、そこまで教えてくれなくても。――ところで、どうやって婆羅門に? 一般の天人は紹介でもない限り、入門する事は出来ないはずだけど……」
「そのようですね。あの後、色々と探しました。どうしても、お礼がしたい私は、楼夷亘羅様の跡を追いかけて婆羅門まで来たのです」




 その時の状況を語る韋駄。楼夷亘羅と別れた後、色々な場所を探して旅をする。しかし、一向に消息は掴めなかったという。そんな時、風のたよりで情報を耳にする。それは、3人の聖者が従者と珍獣を連れて、4つの大陸を導き歩いているという噂話だった。

 噂を聞いた韋駄は、すぐさま経路をたどり、後を追いかけた。しかし、見つける事は出来なかった。その状況に、暫く途方に暮れ佇む。そんな時、ある街の聖者から、楼夷亘羅について奇妙な話しを聞く。それは、機密だったらしいが、自らの状況を説明し、必死に問い掛ける。想いが伝わったのか? 聖者は、少しだけ語ってくれた。

 楼夷亘羅は、人工遺物を集める旅をしていると……。そして、いずれ婆羅門へ帰還するであろう。

 言葉を頼りに、遥々大陸を渡り、やっとの思いで須弥山に辿り着く。そうして、婆羅門に到着するや否や、すぐさま門を叩き中へ入れてくれとお願いする。だが案の定、門前払いをくらい追い出されたのである。しかし、諦める事なく、来る日も来る日も門を叩く。その姿を見ていた婆羅門を治める大僧正は、不可解な面持ちで声を掛けてきた。

 韋駄は、その者が大僧正と知らずに語り掛ける。楼夷亘羅には恩義がある。どうか、首飾りだけでも渡してくれと、何度も懇願した。すると、大僧正は微笑みを浮かべ語り掛ける。

「『楼夷亘羅に助けて貰ったのか? それなら、それは自分で渡すといい。もし、そなたが願うなら、婆羅門で修練するもよし。このまま帰るのもよし。好きにするがいい』」

 そう言葉を残し、伽藍(寺院)の中へ消えて行ったという。

 入門を許可された韋駄は、楼夷亘羅の姿をあちこち探すが、まだこちらの大陸には戻ってなかったという。そんな入れ違いの状態が数十年続き、恩返しをしたいと願い修練に励む。そうして、ようやく巡り逢う事が出来たのだ。

「今は位を頂き、韋駄天(いだてん)として伝令役を承っております。これからは、楼夷亘羅様の手足となり、活躍したい所存でございます」
「そっかぁ、あの時の韋駄がねぇ……。凄いじゃん! 良かったね」

 当時の状況を思い馳せる楼夷亘羅は、喜びを分かち合い微笑みかけた。

「ありがとうございます。――ところで、先程から気になっていたのですが、その目に当てている布のような物はどうされたのですか?」
「これかい? 実は……。あの後、色々あってね。目を失ってしまったんだ……」

 目に覆われた帯紐を不思議そうに指差し、問い掛ける韋駄。

「目をですか……。その様な状態で、普段の生活は問題ないのでしょうか?」
「あぁ、心配しなくても大丈夫だよ。俺には心の眼である天眼があるから。これがあれば、相手の表情や周辺一帯の状況が全て分かるからね」

 その言葉に、韋駄は悲しそうな表情で語りかけた。

「とはいえ、何とおいたわしい姿なのでしょう。私が代われるものなら、代わって差し上げたい……」
「そんなにも気に留めなくてもいいよ。この事と俺が韋駄にした事は、また別の問題だからね」

 優しく語りかける楼夷亘羅は、そっと韋駄の両腕に触れ笑みをこぼす。

「ところで俺に話しって、なんだったの?」
「そ、そうでした。実は、七堂伽藍の大広間にて、張・女媧(ちょう・じょか)様がお呼びでございます」

 三皇の1人である女帝の呼び出しに気付き、慌てて要件を伝える韋駄。

「女媧様が俺に……?」

 突然の呼び出しに、楼夷亘羅は首を傾げながら問い掛ける。

「はい。急ぎ三皇の間へ来るように仰せつかりました」
「分かった! すぐ行くと、そう伝えてくれる。でも一体、何の要件だろう……?」

 韋駄へ伝言を伝えると、急ぎ七堂伽藍へ足を運ぶ楼夷亘羅……。