極楽の荘厳には境界がないのでは? そう思える程に、広大で果てしない大陸。
 
 そうでなくとも、何処にいるのか分からない龍音(りゅうおん)を探すなど、極めて困難なことであった。そのため、もし持ち場を離れ衆生に何かあれば、1人の責任だけでは償いきれないだろう。その重みを知る2人は軽率な言動を慎み、須弥山の大地から離れることが出来ない理由を知る。


「『先ほどから言っている澱んだ闘気。それはもしかして、魔王のような存在では……?』」

 処世(しょせ)でさえ捉えることの出来ない存在に、ふと系譜と一緒に記された書物の話を思い出す伊舎那(いざな)

「『うむ……。それも視野に入れ考えては見たんじゃが。その観点からだと、合点がいかない部分が幾つくかある。しかも、あれは不確かな伝承であり、実際に見た者は誰もおらん。けれど、千年前の話ではあるが、認めねばならん事も確かにあるかも知れん』」

 思慮深く識見を行い、起こりうる可能性として考慮してみる処世。不確かな状況ではあるが、とりあえず対策は講じているという。とはいえ、不安は消え去った訳ではなく、あれこれ思いを巡らせる。

「『魔王……ですか? それは、天空に浮かぶ大地のどこかへ封印されたという。……なるほど、一理ありますね。もしそうであるなら、封印が解けたという事じゃないでしょうか?』」

 どこでその情報を得たのか? 処世でしか知り得ない事まで詳しく話す吒枳(たき)

「『吒枳は本を読む事が好きと、楼夷亘羅(るいこうら)からは聞いておる。そのためか? 色々と物知りで、何かと詳しいのう。まぁ、今の段階では何とも言えんが。魔王でもなければ、封印が解けた訳でもないということじゃ!』」

「「『では、その存在は何なのでしょうか?』」」

 落ち着けとばかりに、心配する様子を和らげるように話す処世。されど、不安を感じる2人は声量を強め、言葉を揃え真意に迫る。

「『先ほども言ったが、儂にもよく分からん。しかし、2人が思っているような存在ではないと、そう思っておる。この表現をどう説明するのが最善なのか? うまく伝える事が出来ないが、全てが黒く澱んでいるという訳ではない。言ってみれば、光と闇を合わせたような存在。そんな感じかのう?』」



「「『光と闇……?』」」

 大地に漂う不穏な兆候、そこへ稀に現れる黒く澱みを帯びた闘気。それは、一概に邪を纏うものではないと話す処世。そうは言っても、波動から伝わる感じは余りよい気配ではない。そのため、度々天眼を使い姿を確認しようと試みるも、甲斐なく弾かれ打ち消される。それはどう考えても、動物や魔物の類いではなく、人に近い存在であるという。

「『うむ、天眼では確認できなかったが、少し波動は感じることが出来た。それは、何とも奇妙な闘気をしておった……。ゆえに、その存在が如何なるものなのか? もし民を脅かす存在ならば、滅しなくてはならん。そういう訳で、ゆっくりもしておれん。何故なら、儂の力も刻一刻と弱まってきておるからのう……。そんな理由から、希望の光である楼夷亘羅へ天界の未来を託したい。ところが、当の本人には過去の記憶がなく、不完全な状態じゃ。婆羅門を治めるには、過去生を知り全ての力を取り戻す必要がある』」

 力を失いつつある処世。お告げで現れた三世の諸仏が説く不穏な空気。それが今回の件に関係しているとは思えないが、楼夷亘羅の力が必要であるのは明白である。とはいっても、今の能力では黒く澱む闘気の(ぬし)を払いのける力は到底ない。そのため、不穏な兆候を消し去りたいと思うも、持ち場を離れる事はできない。

 そうした事情から、代わりに大陸の状況を調査して欲しいと、3人をこの場所へ呼び出したという。そしてもう1つ理由がある。それは54番目の統治者として、亡き後を楼夷亘羅へ後継して欲しいと願う。それには、伊舎那と吒枳の協力が必要であり、やはり記憶の回復が必要不可欠と話す。

「『なるほど、そのような事情だったのですね。私はてっきり、また楼夷(るい)が悪戯でもしたんだろう。そんな風に思ってました!』」
「『まぁ、信じてはいましたが、僕も少しだけ……。それと、調査程度の職務でしたら喜んで行って参ります』」

 処世から話された内容を理解し、2人は快く任務を引き受ける。

「『2人共、本当にすまんな! それと最後に、どうしても伝えなければいけない事がある……』」

「「それはなんですか?」」

 思い詰めた表情で話す処世。その顔色に妙な感じを覚え、身構える2人。

「『先ほども言ったように、この婆羅門は儂で53番目の統治者じゃ。僅か千年の間に、これほど多くの大僧正が入れ替わっておる。何故じゃと思う?』」

「『何故と言われましても……』」
「『……もしかして、生命力の酷使と何か関係が?』」

「『そうじゃ、吒枳! 千年前の3人を除けば、50人でこの婆羅門を支えているということ。1人が統治したとするなら年数は20年』」

「『千年の間に、そんなにも?』」
「『…………』」

「『うむ! ところが開祖の錠光(じょうこう)様は、1人で100年以上の時を治めていたと聞く。――んっ!? どうした吒枳、静かじゃのう。もしかして、身体の調子でも悪いのか?』」
「『いえ、そうではなく。先ほどの言葉が、少し気になったものですから?』」

「『言葉?』」
「『はい。統治したとするなら、そう仰っていた言葉。それだと、20年を満たしていないのでは? そう思った次第です』」

「『なるほど、流石じゃのう吒枳。実のところ20年ではなく、僅か2年なんじゃ! ゆえに、今までの大僧正が統治した期間は、多く見積もっても100年足らず。凡人と天才では、これほどまでに差が生じるというもの』」
「『しかし、それだと空白の時が生じるのでは?』」

 3代目以降、婆羅門を治めていた時代は100年。けれど、開祖である錠光が治めていた時代は千年前。空白の900年を一体、誰が治めていたのか? 矛盾を感じながら不思議に問う吒枳。

「『その通り! これから伝えようと思うのだが。とりあえず真意を話す前に、流れを最初に戻すとしよう』」

 処世はそう言って、成り立ちやこれまでの経緯について、真実を明らかにしていく……。