その伝承とは……。

 世界が闇に覆われる時。過去・現在・未来(三世)の時を越え現れる。

 【世】の人々を苦しみの中から救い。
 【(ゆた)】かな暮らしや安寧をもたらす。
 【王】として最も相応しい偉大なる導き者。

 ――その名も世饒王(せにょうおう)と呼ばれた……。


 しかし、天輪を何処かで見たことがあるという処世(しょせ)。その記憶は曖昧で、ハッキリと覚えてはいなかった。

「『――という訳で、楼夷亘羅(るいこうら)吒枳(たき)に法術を教えていたのは、菩薩である六観音の1人であろう』」

 指導者として、過去に教示していた存在。それは如来ではなく、菩薩と語る処世。

 それぞれの位と名は……。
 
 【位・聖観音】【名・亜璃阿(ありあ)
  被差別階級の者達を救うべく、時に4つの大陸を旅して巡り歩き、大慈の心で手を差し伸べる。
 
 【位・千手観音】【名・沙琶諏(さはす)
  階級に囚われる事なく、飢えに苦しむ全ての衆生を救済しようとする。

 【位・十一面観音】【名・永華(えいか)
  戦渦によって身寄りを失った人々を助け、心の支えとなり援助を行う。

 【位・如意輪観音】【名・磨爾(まに)
  婆羅門を守護する任を受け、天界の安寧に務める。

 【位・馬頭観音】【名・覇耶(はや)
  人々の安寧だけでなく、動物達も含めた、生きとし生けるものを救う。

 【位・准胝観音】【名・椿寧(ちゅんでい)
  聖観音と共に、手を取り合い衆生を扶助していく。

 それら6人いる中の1人、永華という聖者であるという。その人物は、様々な表情を持つ個性豊かな先生であった。


「『なるほど……。大僧正様に、そんな過去があったなんて。如来の地位とは、なろうとしても易々なれるものではない。改めて、偉大な存在だと気付きました』」
「『ですが、楼夷亘羅は絶対になってやる! そう言っていましたが? 記憶の戻らないままで、それは本当に可能なのでしょうか……?』」

 そのような過酷な修行を乗り越え、婆羅門の頂点へと立ち向かう楼夷亘羅。その身を2人は心配そうに案じた。

「『そうじゃな。記憶がなくては、少し厳しいかもしれん……。しかし、全てを取り戻せれば、可能性は大いにある。――と言いたいところだが、今の状態では何とも言えん。じゃが、楼夷亘羅なら大丈夫だと儂は信じておる……』」

 初めは顔を曇らせ、俯きながら話す処世であったが、木窓から見える晴天を眺めると、清々しい表情で呟く。

「『――私もそう思います。記憶がどうとか、そんなの関係ありません! 楼夷(るい)は言ってくれました。辛い修練などするなら、代わりになってやる。そんな優しい言葉をかけてくれたんです。その想いを信じて、これからも傍で支えていこうと思います』」
「『そうですね。楼夷亘羅なら、やってくれそうな気がします』」

 処世の言葉に、掌を地衿(胸元)へ当て熱く想いを語る伊舎那(いざな)

「『なるほど、そんな事は関係ないか。確かに記憶が戻らなくても、楼夷亘羅なら想い1つで、どうにかしてくれるかもしれんな。それにしても……。伊舎那は儂の師匠によく似て、ほんに気が強い。まるで、龍音(りゅうおん)先生と話しているようじゃのう!』」
「『――そうなんですよ! 気だけでなく力も強いから、たまったもんじゃない。大僧正様の言うように、僕も以前から思うとこがあったんです!』」

 微笑みながら、思い出を懐かしむ処世。同様に共感する吒枳は、いつものように何も考えず頷き呟く。

「『吒枳さん! 気のせいだとは思いますが、また何か言いましたか?』」
「『――はっ!? つい、いつもの癖で……』」

 漏れ出た声を、慌てて掌で覆う吒枳。

「『――つい?』」
「『いえっ、今のは……。――そう! 楼夷亘羅なら何とかしてくれると賛同したんです。あはは……』」

 掌を強く握りしめる伊舎那。虫を見るような目で、吒枳をジッと見つめる。

「『本当にそうかしら? 以前からって聞こえましたけど!』」
「『――そっ、そうですか? それは記憶違いですよ。あはは、はは……』」

 冷ややかな視線に、愛想笑いで逃れようとする吒枳。

(『はぁ……。それにしても、楼夷亘羅は怪力女のどこがいいんだろうね……』)
「『――え!! 何か言いましたか?』」

 聞こえないよう、小さな声で囁く吒枳。――にもかかわらず、微かな言葉を逃す事なく、声高に問い掛ける伊舎那。

「『いっ、いえ。独り言です……』」

 口ごもりしながら俯く吒枳は、落ち着き無く視線を逸らす。

「『――ほぉっ、ほぉっ。2人のやり取りを見ていると、儂が龍音先生に怒られている情景を思い出すのう……。――あれから随分と時を経たが、何処でどうされているんじゃろうか? 最後に顔だけでも見たかったが……』」

 2人の様子に、軽く笑い声を発する処世。過去を懐かしみ龍音の事を思い出すと、心の想いが口から溢れ出る。その願いを感じ取る2人は傍で思う。もしかしたら、先生の事を……。

「『そう想うのであれば、今からでも遅くはありません。これから、龍音先生を探しに行けばいいじゃないですか?』」
「『僕もそう思います。少しの間なら、聖職に影響はないはず!』」

 最後に想いを伝えるべきだと、行動に移すよう勧める2人。

「『2人が言うように、早くそうするべきじゃったのう……。そうすれば、このような気持ち、抱くこともなかったじゃろう。しかし、それは叶う事がない刹那の想いじゃ……』」

 掌を高く広げ、天を仰ぐように呟く処世であった……。