伊舎那(いざな)の言葉に反応する処世(しょせ)は、腰を少し上げ興奮気味に問い掛けた。

「『――伊舎那よ! 今、龍音(りゅうおん)と申したか?』」
「『はい。そのように申しましたが……?』」

 先ほどまで哀愁漂う顔をしていた処世。ところが龍音と聞こえた、――途端! 頬を緩ませ心躍らす。

「『なんと、伊舎那の師は龍音先生であったとは!』」
「『先生……?』」

 処世の口から発せられた快い弾む声。確かに先生と言ったように思えたが、聞き間違いなのか? 確認の意味を込めて、今一度その意味を問う伊舎那。

「『あぁ……。龍音とは、儂を指導してくれた師匠の名じゃ!』」

 処世が師匠と呼ぶその人物は、過去に婆羅門を治めていた大僧正である。その姿といえば、それはそれは大変美しく天界の中でも1、2を争う美貌。容姿に似合わず血気盛んな性格で、とにかく戒律や指導に厳しい人であったらしい。

 その龍音が作り出した修練のメニューは、過酷極まりないものが多く脱落者が後を絶たないでいた。だが、指導が終われば家族のように、とても優しく接してくれたという。そうした過酷な修行をしてきたからこそ、処世は大僧正として今の婆羅門を治める事が出来たのである。

「『いや……。儂が指導して貰ったのは、運が良かったというべきなのか? それとも、仕方なくという言い方が正しいのか……』」

 意味深な言葉で、その時の状況を話す処世。龍音は天界を少しでも良くするために、日々頭を悩ませていたという。そしてある時、何かを思いつくと1つの決断を下す。それは本来、婆羅門を治める大僧正は、1人というのが定石を踏む手段であった。

 しかし、龍音は大僧正の数を増やせば衆生を沢山救えると考え、自らの光が尽きる前に候補を探そうと試みる。けれども、余りに過酷な修行に耐えれなくなった僧は、1人また1人と婆羅門から離れていき、気がつけば処世1人を残し誰もいなくなっていた。

 そんな状況に落胆した龍音は、自らの過ちに気付き修練の内容を軽くする。そうした思いを汲み取る処世は、今までの量をこなし師匠のやり方は間違っていない。必ずや達成して見せると、励まし声を掛ける。

 それからというもの、より一層過酷な修練に取り組む処世。四季折々の風と共に、数年かけてようやく全ての課題を修得する。苦労の甲斐あって後の大僧正となるのだが、それらの事が原因で今では菩薩が下位の者達を指導する事になる。

 その菩薩と呼ぶ位には、旅をして衆生を救う者。1つの大陸を治め管理する者。婆羅門の中で指導する者。こうした3つに分けられた菩薩達がおり、それぞれがその持ち場にて使命を果たすべく修練に励む。

「『大僧正様。では僕と楼夷亘羅(るいこうら)を指導して下さった先生も、昔は婆羅門を治めていた人なのでしょうか?』」

 ふと、当時の指導員だった先生を懐かしみ、自分達を教えてくれた方も同じような聖者だったのか? そういった関心を抱き、思いの内を問い掛けて見る吒枳(たき)

「『じゃぁ、その前に婆羅門のことについて、少し詳しく説明しといてやろう。そうすれば、おのずと理解できるであろう!』」

 そう言って、階級や聖職の位について丁寧に分かり易く説いてくれる処世。


 衆生を救うべく修練に励む聖者達。今では、少しだけ余裕ある課題が与えられ、過酷極まりない修行も過去の話。そうした修練を積み重ね、上位の聖者へと昇りつめて行くのである。

 その序列とは……。
 天界の大地へ住む人々には4つの階級がある。それに準ずるように、婆羅門の中にも4つの階級があった。

 ――それは、上位から順に。

 【如来】と呼ばれる存在。
 悟りの境地を会得した偉大なる聖者であり、この広大な大陸を1人で治め、下位の序列を纏め上げる人物。婆羅門では大僧正(だいそうじょう)とよばれ、その後光は全ての衆生を照らし導くという。手首には金の天輪を嵌めている。

 【菩薩】と呼ばれる存在。
 如来には今一歩届かないが、その法力は負けず劣らずな能力を持っている人物。婆羅門では大僧都(だいそうづ)とよばれ、衆生へ手を差し伸べながら修行に励む。手首には銀の天輪を嵌めている。

 【明王】と呼ばれる存在。
 人々を天鬼から守り、菩薩が救いきれなかった衆生を導く人物。婆羅門では大律師(だいりっし)とよばれ、穢れの討伐に日々いそしむ。手首には銅の天輪を嵌めている。

 【天部】と呼ばれる存在。
 如来、菩薩、明王の手足となり、様々な使命をこなす人物。婆羅門では大法師位(だいほっしい)とよばれ、上位の者達を守護して見守る。手首には鉄の天輪を嵌めている。


 そういった事で、これら以外でも4つの序列に該当しない、もう1つの天輪が存在するという。



 そもそも天輪とは、右手に金具のような物を嵌めて優劣を証明するだけではない。それは利便性に優れており、大陸を横断する渡し船などを自由に使う事が可能である。その他にも、陸を往路する天馬車など、様々な交通機関が利用でき、なんと宿泊施設まで無料という厚遇な扱いであった。

 そして、最初に説明した序列の天輪。これら以外にも未知の天輪が存在する。加えて説明するなら、先ほど述べた金具のような物ではなく、左手の手首に何かの証として顕現化するという。その天輪は、天界における全ての序列を従え、天空の大地で暮らす4つの階級へ安らぎを与える。

 それは、天輪を制する者。つまり、天輪聖王の事を示している。その人物は、この天空に浮かぶ大地を温かい光で照らし、全ての人々や動物達だけでなく、生きとし生けるものを守護するという。けれど、今まで誰1人として顕現化した天輪を見たものはおらず、民からもこの上ない救世の存在として崇められ、幾年も語り継がれてきた……。