全ての衆生を救い、この天界を安寧へと導く。そして、必ずや心に決めた熱き志を達成させてやる。そう胸に秘めた想いを誓い、ゆっくり掌を握りしめる楼夷亘羅(るいこうら)

「『なるほど、そういう事だったんですね。大体の事情は理解しましたが、――ところで楼夷亘羅! 僕が思っている事が正しければ、その人物。もしかして、大僧正様の事を言っているのではないですか?』」 
「『あぁ、そうだけど。2人共、知らなかったのか? 俺はてっきり知っているとばかり思っていたんだけどな!』」

 ある程度の内容を状況から推察して判断する吒枳(たき)。じっちゃんと呼ぶ人物の真相に迫ってみるも、相変わらずといっていいのか? 自覚のない装いで、淡々とした表情で答える楼夷亘羅。

「「『――えぇぇっ!! やっぱりぃー』」」

 2人は何となく気付いてはいたが、まさかな? そう心の中で思うも、見事に予想が的中したのである。

「『2人共、どうしたんだ? そんなに驚いて!』」
「『だって、この婆羅門を治める大僧正様よ。それだけじゃないわ! 天空に浮かぶ大地、極楽の荘厳を治める方なのよ。その方をじっちゃんだなんて失礼でしょ!』」

 2人の驚いた姿に、今更なの? そう首を傾げ見つる楼夷亘羅。その淡々とした言葉に、両手を大きく広げ身振り手振りで限りない大陸を説明する伊舎那(いざな)

「『そっかぁ? じっちゃんは、そう呼んでくれると嬉しいって言っていたけど!』」
「『――だとしてもです。楼夷(るい)は、もう18歳になったんでしょ! だったら、そんな呼び方をしては駄目。ちゃんと大僧正様、もしくは処世(しょせ)様と呼ばなくちゃ』」

 あまり物事の状況について理解していない楼夷亘羅。そんな常識外れな行動を正そうと、大僧正の間へ行く途中、しっかり教育する伊舎那であった。

「『爺様でも駄目なのか?』」
「『駄目です。様をつけたらいい、そういう問題ではありません!』」

 この性格は天然なのか? それとも単に理解していないだけか? どっちにしろ、状況を呑み込めていない姿に骨が折れる伊舎那。暫く呆れた顔で楼夷亘羅を見つめ、溜息混じりに指導する。

「『へぇー、そうなのか? さすが、伊舎那。だてに年を食ってないよな!』」
「『――――――――――――――――――――!!』」

 言葉を発した瞬間――!! 伊舎那の拳は楼夷亘羅の頭に軽く触れ、重くのしかかる音が周囲へ響き渡る……。

「『――いてて、てて! 酷いよ、伊舎那。いきなり何すんの?』」
「『何の事でしょうか? 私は楼夷(るい)の頭に埃がついていたので、少し払ってあげただけですよ!』」

 鈍い音と共にしゃがみ込み、頭を撫でながら上目遣いで問い掛ける楼夷亘羅。そうした状況にも拘わらず、どうしたのかしら? そのように淡々とした様子で話す伊舎那。

「『少し……? だけど伊舎那は怪力なんだから、少しが命取りになるじゃん!』」
「『――――――――――――――――――――!!』」

 再び重くのしかかる音が周囲へ鳴り響き、同じ場所であった為か? 僅かに地面がひび割れたかに見えた……。

「『はぁっ? 乙女に向かって怪力とは、どういう意味なのかしらね』」
「『いっつつ、――今なんて? どこに乙女がいるの!』」

「『あのね、楼夷(るい)。そんなことばかり言っていたら、命が幾つあっても足りないわよ。もう大人なんだから、これからは少し言葉を選んでから話しましょうね。いい、分かったかしら?』」

 伊舎那は再び拳を強く握り、優しく語りかけているように見えるが、不敵な笑みにも窺えた。

「『――で、ですよね! お、乙女ですよね。あはは……。十分すぎるほど、よく分かりました』」

 口角をひくつかせ、これからは気を付けます。ですから3度目は勘弁してください。そういった態度を示す楼夷亘羅であった。そのような振る舞いを、すぐ傍で見ていた吒枳。同じ気持ちであったが、漏れそうな声を慌てて掌で覆う。

「『もう、そんな冗談はいいから早く行くわよ!』」

 先ほどの所業が何だったのか? 何事もなかったかのように、2人を追い越し先を進む伊舎那。それから半刻(1時間)ほど歩き、やがて須弥山の頂上へ降り立つ3人達。ようやく目的の場所へと辿り着き、安堵の表情を浮かべる。

 そこは、大僧正が住むとされる場所。周辺一帯には、門と建物を取り囲むかのように白蓮華(びゃくれんげ)紅蓮華(ぐれんげ)の美しい蓮の華が咲き乱れる。門の前には2つの灯籠が立ち並んでおり、地面には光輝く玉砂利が、周辺を清浄するかのように、隙間なく敷き詰められていた。



 その道は、一筋の光が暗闇を照らす光明の如く、建物まで一直線に続く。そして、周りを青蓮華(しょうれんげ)黄蓮華(きれんげ)の睡蓮が小さな(つぼみ)で迎えてくれた。それはまるで、そこから新たな魂が生まれてくるかのように、美しい輝きを放つ。

 まもなくして、部屋の前に佇む伊舎那と吒枳。緊張した様子で扉へ立ち、その気持を落ち着かせるため3度ほど深呼吸をする。そんな2人の状況をよそに、この場所へ何度か来た事があるのか? 慣れた手付きで扉を突き弾き、勢いよく押し開ける楼夷亘羅。

「『じっちゃん、――じゃなかった! 処世様、ただいま参りました!』」
「「『ただいま参りました。大僧正様!』」」

 部屋の奥に腰掛ける大僧正を確認する楼夷亘羅。言いかけた言葉を訂正し、改めて大きな声で挨拶を行う。同じように、伊舎那と吒枳も入口前で軽くお辞儀を済ませ、ゆっくり部屋の中へ足を踏み入れる。そうして3人は処世の近くまで歩いて行くと、2人は目の前で跪く。

「『おぉ、伊舎那と吒枳。――それに楼夷亘羅よ、よく来てくれた!』」

 嬉しそうな表情を浮かべる処世。跪く2人と立ったままの楼夷亘羅へ声を掛ける。

「『こら、楼夷(るい)。跪かないと駄目でしょ!』」
「『――えぇっ、そうなのか! 呼ぶ時の礼儀しか教わってないんだけど?』」

 あまりの常識外れな行動に、小声で着物の裾を軽く引っ張る伊舎那。同じように楼夷亘羅も、そんな話し聞いてないよ? そう伊舎那へ囁き、処世に聞こえないように小声で話すも……。

「『よい、よい! 楽にして構わんから足を崩すがいい』」

 言動の雰囲気から察する処世は、畏まらなくて良いと3人へ話しかけ掌を差しだす。

「『そうだって、伊舎那!』」
「『――――――――――――――――――――!!』」

 問い掛けた、――その直後!! またもや重くのしかかる音が周囲へ響き渡る……。