その耶摩女(やまめ)という天人の女性。楼夷亘羅(るいこうら)とは4つほど歳が離れており、母親を天鬼に殺された精神的な衝撃のためか? 過去の記憶が無く、誰とも打ち解ける事はない。ところが、ただ1人だけ心を許し、いつもお兄ちゃんと呼び慕っていた。

 それは精神的なものなのか? あるいは心寂しかったのか? 耶摩女は何処へ行くにも袖の(たもと)を掴み、楼夷亘羅の後をついて歩く。この人ならば信じ合えると、子供ながらに何か感じるものがあったのだろう。

 そのような光景を見た大僧正は、楼夷亘羅ならばと耶摩女を託すのである。そうして指導の下、法術を学んでいく事になるのだが、法力や法具の扱いが大の苦手。中々、教えるという行為も骨が折れる。

 けれども、火・風・水・土。この四大元素の中でも、唯一火だけは才能に恵まれたものがあった。その能力は天分と呼ぶに相応しく、通常の詠唱で顕現する火炎を耶摩女が唱えれば猛火になったという。
 


 そんな訳で、1週間の半分が耶摩女と共に。もう半分は伊舎那と過ごす。そういった理由から、忙しい毎日を送る事となる。

「『だから何度も言うけど。そこまでして慌ただしい日々を送る必要なんてないのよ。荷物ぐらい1人で持てるし、身の回りのことだって自分で出来る。それに、私から学べる事なんて何もないでしょ!』」

 何の利点があると言うのか? 納得がいかない伊舎那(いざな)は、お世話係へ固執する必要があるとも思えず、不可解な面持ちで問い掛ける。

「『だぁ――、かぁ――、らぁ――! それじゃぁ、一緒の時間が少なくなるじゃん……』」

 照れながら笑みを浮かべ、意味深な一言を呟く楼夷亘羅。淡々とした言葉を発すると、落ち着きなく前を先へ進む。

「『――えぇっ!? 楼夷(るい)、今なんて……』」

 想いの込められた言葉に動揺する伊舎那。あえて知らない振りで、ほんのり赤らめる表情を誤魔化し隠す。同様に胸の高鳴りも必死に抑えようと、掌を地衿(胸元)へ当て呼吸を深く行い整える。やがて平静を保つと、楼夷亘羅の背中を見つめ慈しみに満ちた表情を浮かべた。

 ――初めて自分の想いを伝えた楼夷亘羅。その言葉は遠回しではあったが、伊舎那はとても嬉しく思う。

「『――待ってよ、楼夷(るい)! さっき何て言ったのか聞こえなかったの。だから、もう一度言って欲しいな!』」
「『やだよ、そんなこと。何度も言わないよーだぁ!』」

 呼びかけながら小走りで後を追う伊舎那。その様子を少し振り返る楼夷亘羅は、にっこり微笑み歩いてゆく……。





 ――そんな平穏な時が何日か過ぎたある日の事。楼夷亘羅(るいこうら)伊舎那(いざな)吒枳(たき)の3人は、婆羅門を治める大僧正から呼び出しを受ける。

 婆羅門を統治する人物……。
 それは、菩薩・明王・天部の聖者達を1人で纏め上げていた如来。知徳に優れた、その名は処世(しょせ)という。

 呼び出しを受けた3人は、急いで須弥山の中心部へと向かう。すると、そこには螺旋状に伸びた階段があり、頂上まで高く果てしない道が続く。



「『――楼夷!! 最近、大人しくしていると思ってたけど。もしかして、また何かしでかしたの?』」
「『そうですよ、楼夷亘羅! もう蓮華の花は、抜き取らないと約束したんじゃないのですか?』」

 前科がある楼夷亘羅のこと。また何か悪さをしたのか? そう思う2人は、目を見開き問いただす。

「『――うぅっ。皆して責める……。俺って全く信用されてないわけ?』」

 唇を尖らせた楼夷亘羅は、涙目な様子で2人のことを見つめる。

「『えっと……。その様子だと、どうやら違うみたいね。楼夷ごめん、疑ったりなんかして。そんなつもりで言ったんじゃないからね』」
「『てっきり僕もやらかしたのかと思いましたよ。ですが違うとなると、そうですね……』」

「『どうしたの吒枳! 何か思い当たる節でもあるの?』」
「『はい。色々と考えて見たのですが、やっぱり不可解と思いませんか? 仮に楼夷亘羅が悪戯をしたとします。じゃぁ、なぜ僕達も呼ばれたんでしょうか?』」

「『――いやだから、やってないって!』」

 何度も疑念を抱かれ、呆れ顔で訴え掛ける楼夷亘羅。

「『それもそうよね。じゃぁ、連帯責任とか?』」
「『はぁ……。やっぱり信用してないじゃん!』」

「『楼夷、冗談よ。分かったから、そんなにも、ムキにならないで!』」
「『ぶう……』」

 頬を膨らませた楼夷亘羅のご機嫌を宥める伊舎那。

「『でも、このタイミング……。――もしかして! 僕ら全員が天部へと昇格した事に、何か理由があるんじゃないでしょうか?』」
 
 何かを思い付く吒枳は、考察めいた様子で語る。

 その思考とは……。
 それは戒律によって、決められていた項目。見習い中の天人は、上級者のお世話をするため、婆羅門の外へ出る事を禁止されていた。だが、天部となれば話は別。大陸を渡り歩き衆生を導く修行が、天部以上には求められていたからだ。
 
「『――分かったぞ! そんな事じゃなくて、俺が如来様に昇格とか? そして、ズバリ2人は俺のお世話係!』」
「『はぁっ――? 楼夷は、なに言ってるの! 戯言は寝て言いなさいって、いつも言ってるでしょ。それに2階級も飛び越え昇格するなんて、未だかつて聞いた事がないわ!』」

 前を歩いていた楼夷亘羅は、突然立ち止まり突拍子もない事を口にする。その姿に、呆れた顔で溜息混じりに呟く伊舎那。

「『でも、伊舎那さん。僕が思うに、そうでもないんじゃないかと……。楼夷亘羅は、数年で天部の全てをマスターしました。それに、今の実力は、明王まであるように思えます!』」
「『そうかなぁ? そんなに褒められると、照れちゃうよ!』」

 吒枳の言葉に得意げな様子の楼夷亘羅。

「『でも……。2階級の昇格は、まずありえないわ!』」
「『まぁ、婆羅門の規定ではそうですが。楼夷亘羅の不思議な力があれば、可能性は無きにしも非ずです』」

 奇妙な光景を目撃した吒枳は、一概に断言することは出来ないと語る。

「『――えぇっ! もしかして、それって……。吒枳、何か知ってるの?』」

 さっきまで明るく振る舞っていた楼夷亘羅。急に真剣な表情を浮かべ、暫く沈黙した状態が続く。

「『はい。何処へ行くのかと、そっと後を付けた事があるのです。そして、木陰で様子を見ていた僕は、何をしているんだろう? そう不思議に思い、暫く成り行きを眺めていました』」

 不審な行動の楼夷亘羅を目の当たりにした吒枳。こっそりと様子を窺い、状況を見つめていると、むしった蓮華や樹木の実へ掌を当て、詠唱をしていた。まもなくして、その植物には不可解な現象が起き、驚く事に失われた物が再生したという。

「『あの時は本当に驚きました!』」

 その時の様子を伊舎那へ淡々と話す吒枳。時折驚いた表情を見せては、身振り手振りで状況を語る。

「『はぁ……。バレちゃってるなら、仕方がないか? 2人には気味悪がられるから、ずっと内緒にしてた事があって。実は、万物を自在に操る事ができるんだ!』」

 沈黙していた楼夷亘羅は、溜息混じりにゆっくり2人へ話し掛けた。

「『けど……。それでも、ただ1つ出来ない事があるんだけどね……』」

 ただ1つ……。そう最後に意味深な言葉を呟く楼夷亘羅……。