少し離れた場所から、指導者の呼びかける光景を眺める2人。やがて、永華(えいか)の傍を心地よい風が吹き抜け、同時に見習いの天人も通りかかる。

「『おやっ、先生!? そんなにも血相を変えて、どうされたんですか?』」
「『はぁっ!? ――(わん)!! どの口がそう言っているの? どうしたかの前に、先ずはごめんなさいでしょ! ――たっくぅ、また貴方は蓮華の花をむしり取ったわね!』」

 何も知らない吒枳(たき)は、首を傾げながら問い掛けるが、やはりと言うべきであろうか? そうした白々しい態度に、感情を露わにさせ憤りを見せる永華。次第に表情は、落ち着いた顔から鬼の形相へと変わる。

「『――えっ!? 先生、ちょっと待って下さい。それは、僕じゃぁ……』」
「『また、そんな事を言って! いい加減、白状したらどうなの? その状況を見た子がいるのよ!』」

「『いやぁ……。でも僕は、先程まで本を読んでいた訳で……』」
「『いいえ、生徒が言っていたから間違いないわ! (わん)悪戯(いたずら)してました、確かにそう聞いたもの!』」

 威圧的な態度で迫られ、少し後ろへ仰け反り小さな声で呟く吒枳。弁明にて理解を求めようにも、反論の機会さえ与えられない。さらに、仁王立ちで構え甲高い声で睨みつける永華。

「『えっぇぇ!? そんなぁ……』」
「『――で、どうなの!!』」

 情けない声で言葉を発する吒枳。理不尽ではないでしょうか? そう言わんばかりの表情を浮かべ、両手を小さく広げ主張する。けれども、そんな事など知る由もない永華は、憤怒の面構えで真相に迫る。

「『……はぃ、先生すみません』」
「『――やっぱり!! じゃぁ、こっちへいらっしゃい。今日という今日は容赦しませんからね!』」

 自分ではない! そう切実に何度も訴え掛けた。ところが、やはり信じてもらう事が出来ず、沈黙の時は過ぎる。とはいうものの、結局のところ気が弱かったせいもあり、遂には犯行を認めてしまう吒枳。

 そうした結果から、ようやく犯人を捕まえる事ができた永華は、満足げな表情を浮かべ意気揚々と何処かへ連れていく……。

「『もっ、もしかして楼夷亘羅(るいこうら)! この蓮華の花って……?』」
「『――えっ、何のことだろう? 俺は池に落ちていたのを拾っただけだよ……』」

 俯く吒枳を連れて、2人の横を通り過ぎていく永華。嫌な予感がした伊舎那(いざな)は、咄嗟に手に持つ蓮華の花を後ろへ隠す。少し間を置き、事実を楼夷亘羅へ尋ねてみるも、目は泳ぎ落ち着きがない様子である。

「『はぁ……。反省の余地なしって顔をしてるわね。まぁ、いいわ! だけど、あの子には後でちゃんと謝っておくのよ』」
「『はぁぃ……』」

 今回だけは、黙っておいてあげる。そう楼夷亘羅へ伝えると、小さな声で頷いた……。



 ――そうして、次の日。再び吒枳のことを呼びかける声が、晴天の空に響き渡る。

「『――(わん)!! (わん)は、何処にいるの?』」
「『はい、先生。今日はどのようなご用件でしょうか?』」

 前日同様に、甲高い声で呼びかける永華。何も知らない吒枳は、同じように訪れ問い掛けた。

「『どのようなご用件? なるほど、自分じゃありません。そう言って、あくまで白を切るつもりね!』」
「『いぇ、その様なつもりなどなく。先生が何の事を言っているのか? 僕には皆目見当がつかないのですが!』」

 両腕を組み、まじまじと見つめる永華。一体、先生は何を言っているのか? 状況が理解できないでいた吒枳。暫く掌を胸へ当て、身の潔白を訴えかける。

「『へぇー、皆目ねぇ? じゃぁ、(わん)が菩提樹の実をもぎ採ってました。そのように、生徒から聞いた私の耳が勘違いだった! あなたは、そう言いたいのかしら?』」

 自分の耳へ指先を3度ほど触れ、覗き込むように見つめる永華。

「『はぁ……。またですか?』」
「『――何ですか、その溜息は! 少しは反省というものをしなさい!』」

 溜息をつき浮かない表情でそっと呟く吒枳。今回も同様に、何を言っても駄目だろう? 半ば諦めかけ永華と共に、その場を去ろうとする。

 ――すると!? 突然、ゆく手を遮る伊舎那。

「『先生! いきなり目の前に現れて、大変申し訳ありません。私の名は伊舎那! これでも一応、天部の地位を持っており、今は五天様にお仕えしています』」
「『――いてて! ちょ、ちょっと待ってよ、伊舎那』」

 嫌がる楼夷亘羅の手を引き、指導者の永華へ語り掛ける伊舎那。

「『その歳で天部とは、優秀ですね。ところで、その天部の伊舎那さんが、私に何かご用ですか?』」
「『はい。先生が手にしている沙弥の名前は、王・吒枳(わん・たき)。こっちにいるのは、王・楼夷亘羅(わん・るいこうら)。お探しの腕白小僧は、こちらの(わん)ではないでしょうか?』」

 突然の自己紹介に、永華は上から下まで容姿を確認すると、不思議そうな面持ちで問い掛ける。その言葉に、どうして不意にこの場へ現れたのか? 状況を詳しく説明する伊舎那。

 沙弥とは……。
 それは見習いの僧である少年、少女の事をそう呼ぶ。男性であれば沙弥(しゃみ)といい、女性ならば沙弥尼(しゃみに)と呼んでいた。

「『そっ、そんなぁ――! 伊舎那、酷いよぉー』」
「『何を言ってるの? 自業自得なのよ。悪いことをしたら罪を償う、そう教わったでしょ!』」

 その場に連れて来られ、引き攣る表情を浮かべる楼夷亘羅。永華の顔を一瞥すると、気まずそうに俯き黙る。どういった経緯だったのか? 今までの事情を話し、伊舎那は身柄を指導者へ引き渡す。


 少しの間、吒枳と楼夷亘羅を見つめる永華。遠くの空を眺めるかのように、その時の状況を思い出す。

「『そういえば……。あの子達も、王・楼夷亘羅(わん・るいこうら)と言っていたような。姓が似ていたから、つい。――という事は、もしかして……?』」
「『はい、僕じゃありません……』」

 状況を思い返す永華は、そっと身体へ触れるように指差した。その光景に、ゆっくりと頷き安堵の表情を浮かべる吒枳であった……。