婆羅門では、見習いの天人は簡素な袈裟と呼ばれる服を覆い。天部へと昇格すれば、古代の装束を思わせる着物を纏う事になる。その衣装には、穢れを祓う力があり、僅かな邪気であれば遮る事が出来る。また、風貌といった事では、民族衣装のような雰囲気ある佇まいを想像させた。

 そんな風情を醸し出してくれる衣装。天人の男が纏えば、凛々しく引き締まった風格に。天人の女が纏えば、どこか妖艶で美しい印象を与えてくれる。そのような事から、見習いの修行僧は、早く高みを目指したいと、修練により一層、励むのであった。



「『でも、ホント凄いよな! 俺と3つしか違わないのに、もう天部だもん!』」
「『そんな事はないわ、私よりも早くから天部になっている人達なんて、沢山いるのよ!』」

 両手を頭の後ろで組んだ楼夷亘羅(るいこうら)は、ゆっくり歩きながら嬉しそうに話しかける。その言葉に、掌を揺らめかせ、謙虚な態度を見せる伊舎那(いざな)。 

「『へぇー、そうなのか? でも、伊舎那は既に五天達のお世話係までやってるから、次の候補に間違いないな!』」
「『いいえ、そんなに甘くはないのよ。この婆羅門には派閥があって、五天達にも色々と事情があるの。だから、そう易々と昇格なんて出来ないわ』」

 実力があれば、直ぐにでも五天になれるんじゃないか? そんな風に楼夷亘羅は何気に問うが……。思い悩むように、伊舎那は分かり易く説明してくれた。


 ――五天と呼ばれる存在。元々は護法善神(婆羅門の守護者)である天空の父、苉头璃(ぴとり)が天界の安全と天人の平和な暮らしのため作られた守護する部隊である。その構成は天空神を含め、妻の地天、堅牢(けんろう)。長男の帝釈天、沙玖羅(しゃくら)。次男の火天、唖俱忎(あぐに)。長女の夜を司る天女、羅㻌娳(らとり)。次女の摩利支天、暁紅(ぎょうこう)。この6人で天界の安全に努めていた。

 しかし、その活動は昼夜行われたため、闇夜の平和を長女に託し、五天として守護部隊は再結成された。ところが、闇夜を長女1人で警護するのは非常に負担が大きく、次女と共に闇夜を守護する事となる。そして、摩利支天の暁紅(ぎょうこう)が抜けたことにより、後継者として息子の日天、蘇利耶(すーりあ)が部隊へ加わる。

 だが、そんな平安な世は長い間続く事はなかった。天空の父、苉头璃(ぴとり)は、黄泉を支配者していた大天狗との戦いに破れ、命を落とす事になる。その後、長男の沙玖羅(しゃくら)が指揮をとり再び活動を始め、苉头璃(ぴとり)の親友である月天、旃陀羅(せんだら)を迎え入れて、帝釈天・火天・地天・日天・月天。この五天で、天界の安全に努める事となる。


「『そうだったのか! でも、伊舎那1人で五天達のお世話なんて、大変だよな……』」
「『ありがとう、楼夷亘羅。その事なら大丈夫よ。私1人じゃなく、蘇摩(そーま)という女の子と二人でお世話をしているから』」

 2人でお世話をする伊舎那と蘇摩。五天達から詠唱や技の使い方について修行を受けていた。その中では、学べる事は沢山あり、苦と思った事は1度もないという。

「『――本当か? それなら良かったよ。伊舎那が辛い顔をしていると、なんか胸が苦しくてさ。だから、いつも笑っている顔を見ると、俺は安心する』」
「『いつも、気にしてくれていたのね……。私も同じよ。嫌なことが遭っても楼夷亘羅の顔を見ていると、凄く落ち着くわ』」

 伊舎那の言葉に、胸元を抑え安堵の表情を浮かべる楼夷亘羅。

「『そっ、そうか? じゃぁ、何もない時は、毎日顔を覗かせるよ!』」
「『ふふっ、ありがとね。でも、無理はしなくていいのよ。寄れる時だけで、私は十分だから』」

 そんな一生懸命に取り組む姿が、心嬉しく笑みを浮かべる伊舎那。

「『それにしても……。どうして、そこまで頑張って上を目指すんだ! 今のままじゃ駄目なのか?』」
「『上かぁ……。それはね、身寄りのない私を、ここまで大きく育ててくれた人がいるの。そのような人になりたいと、そう願うからかな?』」 

「『――えっ! 伊舎那って、身寄りがなかったのか……?』」
「『そうよ。今があるのは、こんな私に手を差し伸べてくれた恩師のお陰。数年前までは、引退しても婆羅門で指導者をしていたのよ。でも今は、下界で人々を導ているらしいの』」

「『そうか、色々と大変だったんだな……』」
「『だから私は、この天界を争いのない住みやすい場所へと変えたいの! そして、いつかは下界も救えるようになりたいわ……』」

 遠くの空を見つめ語り掛ける伊舎那。それは、少しでも恩師に近づきたいという想いだった。いつか自分の手で、この天界を安寧に導き恩返しがしたい。そう心の中で願い、いつも寝る間を惜しんで修練に励んでいた。そして、唯一の休息を楼夷亘羅と共に過ごしていたという。
 
「『それなら、俺が代わりになってやる! そうすれば、伊舎那が辛い修練など、しなくてすむからな』」
「『ふふっ、楼夷亘羅が私の代わりに?』」

 任せろとばかりに、楼夷亘羅は自らの胸を軽く叩き、真剣な表情で話す。そうした優しさに触れ、胸の高鳴りを感じる伊舎那は、口元へ掌を当て薄っすら微笑む。

「『あぁー! また、そうやって笑う』」
「『気のせいよ。ふふっ』」

 楼夷亘羅の呟きを軽く受け流す伊舎那。けれど、その言葉はとても嬉しく、今まで1人で頑張ってきた想いが胸に込み上げる。そんな想いからか? 薄っすら目に涙が溢れ出し、悟られまいと慌てて指先で拭い去る。

「『やっぱり、笑い泣きしてる!』」
「『だから、気のせいだって……』」

 それから暫くの間、和やかに笑い合っていた2人。すると、遠くの方から指導者の呼ぶ声が聞こえてきた。

「『――(わん)!! (わん)は何処にいるの? 早く出てきなさい!! 今なら許してあげてもいいのよ!』」

 指導者の名は、六観音のうち1人、十一面観音の永華(えいか)

 (わん)という人物の名を甲高い声で呼び掛け、今なら免責で済ませると言ってはいるが? にしても、声量から察するに今出ていけば徒では済まされない雰囲気だ。

「『楼夷亘羅、先生が呼んでいるみたいだけど。行かなくて大丈夫なの……?』」
「『いーの、いーの。大丈夫だから!』」

 落ち着いた様子の楼夷亘羅。何を暢気にしているの? そんな風に、不可解な面持ちで見つめる伊舎那だった……。