「……俺どれくらい気を失ってた?」
「三十秒くらいですけど真柴先輩、起きて大丈夫なんですか?」
トラックにはねられた時に気絶耐性が身についていたのか俺は人生で二度目の気絶からはすぐ回復したようだった。

「ああ、大丈夫だ。それより……」
俺は立ち上がると生物室を見回した。
三年のひょろ長い男子生徒も警報器を押した真犯人と見られる田中さんも他の生物部の部員も文芸部のみんなも俺に注目している。だがさくらだけはそっぽを向いていた。
「一応場は収まったみたいだな」
俺も殴られた甲斐があったというわけだ。

「ええ、まあ……いつものことながら姉さんがすみませんでした」
「いや、気にするな」
流星が頭を下げるが今回ばかりは全面的に俺が悪い。
さくらの胸を鷲掴みにしてしまったのだからな、殴られて当然だ。

「真柴くん、さくらちゃんに謝った方がええで」
「……わたしも謝罪は必要だと思う」
若干怖い顔をした土屋さんと高橋に促され、
「さくら、悪かった。怒ってる……よな?」
俺はさくらの背中に声をかける。

さくらは少し赤みがかった顔をこっちに向け俺を睨みつけると、
「……当然でしょ。次やったらマジで殺すからね」
低いトーンで言った。
ごめんなさい、反省してます。

「そんなことよりあんた! あんたが警報器のボタンを押したんでしょ、わかってるんだからねっ!」
田中さんに詰め寄るさくら。
俺への怒りがまだ残っているであろうさくらは怒りの全てを田中さんにぶつけるように田中さんの胸ぐらを掴んだ。
「いい加減、正直に吐きなさいよっ!」

「姉さん、ここは穏便に」
流星が仲裁に入る。
俺はさっきのこともあるから黙って静観を決め込むことにした。

ひょろ長い男子生徒が田中さんの背中を手の甲で叩いた。
「田中、お前本当にそんなことしたのか?」
「……部長。そ、そうだよ……おれがやった」
田中さんはひょろ長い男子生徒に白状した。
っていうかあの人部長さんだったのか。

「ほら見なさい!」
「ま、毎日の受験勉強でむしゃくしゃしてたんだ。だからつい……」
「これでわかったわね。さあ職員室にいくわよ! 先生たちの前でちゃんと自分がやったって認めなさい!」
さくらは田中さんの腕を取った。

と、
「ま、待ってくれ!」
声を上げたのは部長さんだ。

「何よ、あんただって今の聞いたでしょ。こいつが警報器を鳴らした真犯人よ」
「わ、わかってる。で、でもそんなことをしたら田中が……受験を控えているのに……」
「そんなことあたしには関係ないわよっ。あたしの方こそ犯人にされていい迷惑なんだからっ。ほら来なさい!」

さくらが強引に田中さんの腕を引っ張りドアに向かって一歩足を踏み出したその時、
「この通りですっ!」
部長さんがさくらの前に出て土下座をした。

「部長……!」
「……なんのつもり?」
部長さんを目を細め見下ろすさくら。

「田中はつい魔が差しただけだと思うんです……だ、だからどうか、見逃してやってくださいっ! お願いしますっ!」
恥も外聞もなく後輩の部員たちの前で一年の女子に土下座をする部長さん。
「この通りですっ!」

「部長止めてください! おれが悪いんですから、そんなことしないでください!」
「この通りですっ!」
部長さんは何度も何度も頭を床に押し付ける。
俺はその光景に不覚にも心を揺り動かされてしまった。

「だから何? 代わりにあたしにやってもいない罪を被れっていうわけ?」
だがさくらは態度を変えない。
それどころか土下座をしている部長さんを冷たい目で見下ろす。

「そ、それは……」
部長さんは唇をかみしめた。

はぁ~……。
さくらは態度を軟化させることはまずないし、部長さんたちの友情も捨て置けない。

……まあいいか。

「俺がやったことにしますよ」
俺は口を開いた。

「えっ……!?」
土下座の体勢から部長さんが俺を見上げる。
「ど、どうして、きみが……?」

「さあ、どうしてでしょう。俺にもよくわかりません」
「何考えてるの、あんた?」
怪訝な顔でさくらが俺を見る。
本当に何考えているんだろうな。自分でもよくわからんがこうしたくなったんだからしょうがないだろ。
決してお前の胸を触ってしまった後ろめたさからではないからな。

俺は文芸部にどっぷり浸かり過ぎたのかもしれない。
そのせいでこんなバカなことを思いついてしまったんだ、きっと。
「ほら、さくら。田中さんの手放せ。俺の気が変わらないうちにさっさと職員室に行くぞ」
「あっ、こら待ちなさいよ良太っ」


◇ ◇ ◇


職員室にさくらたちと出向いた俺はさくらが犯人ではないということと俺がやったんだということを先生たちに説明した。
その結果さくらの誤解は解け、代わりに俺は二日間の停学処分になった。


「本当にあれでよかったんですか?」
職員室を出ると後ろから流星が心配そうに訊いてくる。

「ああ」
せっかく出来た休日だ、ゆっくり過ごさせてもらうさ。

「……これ、貸してあげる。休みの間読んで」
隣を歩く高橋がいつも持っている文庫本を俺に差し出した。

「それ、お前のお気に入りだろ。いいのか?」
「……構わない」
「なら借りておくよ、ありがとな」
「真柴くん、うち見舞いに行ったろか?」
もう片方の隣を歩く土屋さんが俺を見上げる。

「土屋さん、俺別に病気で休むわけじゃないんで大丈夫です」
「じゃあ遊びに行ってもええ?」
「いいですけど、土屋さん俺の家知らないですよね」
「ガーン……そうやった……」
はい、生ガーンいただきました。

「良太、あんたってやっぱり正真正銘のバカね」
前を歩くさくらが振り向くこともなく言った。

「……かもな」
これで俺も晴れて変わり者が集まった文芸部の仲間入りってわけだ。


ん、そういえば一つ忘れていたことがあったっけ……。

俺たちの先を一人歩くさくらの背中に俺は声をかけた。
「さくら」
「ん、何よ?」
面倒くさいのか振り向きもしない。だがそれでいい。俺も顔を見ながらだと照れくさいからな。

「言ってなかったから今言うが……マラソン大会優勝おめでとう。よく頑張ったな」

「ふん、当たり前でしょ!」とでも返してくるかと思ったがさくらは予想外の反応を見せた。

「あ、ありがと……」
「え、なんだ? よく聞こえなかったんだが」

するとさくらは立ち止まり振り向きざま、
「ありがとうって言ったのよっ! 二回も言わせるんじゃないわよ、耳まで悪くなったのっ!」
廊下に響くくらいの大声で怒鳴った。
俺はそのさくらの顔を見て呆けてしまった。

「さっさとあたしたちの部室に戻るわよっ。まだ図書室で借りてきた本、一冊も読んでないんだからねっ!」
そう言うなりさくらは廊下を駆け出した。

「あ、待ってよ姉さん」
「さくらちゃん待ってぇな~」
「……さくら待って」
みんなも駆け足でさくらについていく。

「まったく……」
あの時さくらの顔が紅潮していたのは怒りからくるものだったのかそれとも恥ずかしさからくるものだったのか。
「……廊下を走るなよな」

まあ、そんなことはどうでもいいか。

「う~、寒っ」

廊下の窓から吹き込んできた風が俺の頬を撫でていった。
もうすぐ十二月。季節は秋から冬へと移り変わろうとしていた。