「やれやれ、やっと捕まえたぜ」
「離してっ……」

 細い路地裏で、数人の男たちが一人の女性を取り囲んでいる。

「暴れるんじゃねぇ」
「おい、手は出すなよ。奴隷としての値が下がっちまうからな」

 男の一人が、女性の華奢な腕を掴み、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。

「おい、お前ら」

 突然、男たちの背後から声が響く。

 振り向くと、そこには仁王立ちで男たちを睨むリルアの姿があった。

「何だ、てめぇ」
「一度だけ聞く。その女性に何をしようとしている」

「は? 正義の味方ヅラしやがって。部外者が口を出すんじゃねぇよ」

 男たちの人相は悪く、路地裏の暗い雰囲気も相まって、とてもじゃないがカタギには見えない。

「助けて……助けてっ!」

 女性が声を振るわせながら、リルアに向かって必死に懇願する。

「なるほど、状況は理解した。お前ら……悪いやつだな?」

 リルアは女性を心配そうに一瞥した後、男たちの顔を睨みつけた。

「やっちまえ! 殺したところでどうせ足はつかねぇ」

 男たちがリルアに襲い掛かる。

 その手には、小型のナイフや暗器が握られていた。
 その慣れた手つきは素人ではない。

 どうやら単なるごろつきではなく、それなりに裏の仕事をしている人間たちらしい。

「……振動〈トレモロ〉」

 リルアはその場から一歩も動くことなく、右手の人差し指をクルリと回した。

 魔法の発動の合図。

 すると、一瞬でその場にいた男たちが、一人を残して崩れ落ちた。

「な、なんだこれ⁈ 何をしやがった!」

 一人だけ残された男は、倒れた仲間たちを慌てた様子で眺める。
 想定しなかった異常事態に、動揺を隠せないようだ。

「これは……魔法?」

 道にへたり込んでいる襲われていた女性も、目の前の光景が理解できないようだ。

「悪人退治は専門じゃないんだが……まあいい。お前ら、素人じゃないな? いったい何者だ? 場合によっては警備隊に突き出すぞ」

 リルアは歩を進めて、その場に立ち尽くす男と、道にへたり込む女性に近づく。

「く、くそ! 近づくな、この女がどうなっても良いのか!」

 男は手にしたナイフを女性に向けようとする。
 しかし間髪入れずに、

「酸化〈オキシデーション〉」

 リルアは、再び右手の人差し指をくるりと回す。
 すると、

「な、なんだと…」

 男の手に握られていたナイフは、みるみるうちに錆びて、ボロボロと朽ちていった。
 男と女性はまるで夢でも見ているように目を見張る。

「女性に物騒なものを向けるんじゃない。さあ、武器は無くなった。これで話す気になったか?」
「く、くそぉ!」

 男は自暴自棄になったように、拳を握りしめてリルアに襲い掛かる。

「殴り合いなら勝てると思われたか……心外だな」

 リルアは一見すると、痩身で線も細い。
 対して男は筋骨隆々で、明らかに喧嘩慣れしていた。

 しかし、振りかざされた男の拳がリルアに届くことはなかった。

「っが……」

 見事なカウンターパンチが、男のアゴを捕らえていた。

 リルアはその場からほとんど動くことなく、男の拳をするりと避け、コツンと男のアゴを打った。

 あまりに簡単そうな、スムーズな動き。
 しかし男は白目を剥き、卒倒する。

 確認するまでもなく、完全に失神していた。

「すごい……あんなに簡単に、倒しちゃうなんて」
「しっかりと相手の動きを見極めれば、難しいことじゃないよ。それに、相手の勢いを生かせば、大した力も必要ないんだ」

 目を丸くする女性に、リルアは微笑みながら説明する。

「っと、せっかく正体を聞き出すために一人残したのに、倒してしまったな。どうしようか」

「あの、ありがとうございました。本当に助かりました」

 女性は立ち上がり、ペコリと頭を下げる。

「いやいや、女性が襲われたら助けるのは当たり前です。でも、その格好は……」

 リルアは改めて女性の身なりを確認する。

 すらりとした手足に、くびれのはっきりした腰つき。
 男性目線から見て、かなり魅力的なプロポーションと言って良い。

 しかし、問題はそこではなかった。

 ボロボロでところどころ汚れの目立つ、簡易的な麻の服。
 これは、この国で奴隷が身につけることが多い格好だ。

「それに、その耳」

 リルアがそう言うと、女性はハッとしたように頭を隠した。

 女性の頭には、明らかに人間のものとは異なる、ふさふさの毛に覆われた獣の耳が飛び出していた。

「獣人、だよね」
「……はい。そうです」

 女性はぽつりと答えて、悲しそうに俯く。

 リルアが次のセリフを口にしようとした時、

「おい! 怒鳴り声が聞こえたぞ! そこで何をしている!」

 少し離れた場所からそんな声が聞こえた。
 どうやら、騒ぎを聞きつけた警備隊が駆けつけたようだ。

「ちょうど良いや、警備隊が来たから、こいつらを引き取ってもらおう」
「私、逃げないと!」

 警備隊が到着するというのに、何故か女性は慌て始めた。
 リルアはその不穏な雰囲気に、眉をひそめる。

「どうしたの? 警備隊が来たら安全だよ。君も安全に匿ってもらえるはず」
「違うの! 私、逃げないといけなくて……」

 女性をよく見ると、そのか細い華奢な体がわずかに震えている。
 よく分からないが、警備隊にも任せられないような特殊な事情がありそうだ。

 リルアは考えるよりも先に体が動いていた。

「よっと」
「え、ちょ、ちょっと」

「落ちないように、しっかり捕まってね。行くよ!」

 リルアは軽々と女性を肩に担ぐと、まるで脚に羽が生えたように軽やかに飛んだ。
 女性一人を担いでいるとは思えないほどの身軽さ。

 まるで空を駆けるフクロウのように、リルアたちは路地を抜けてその場を後にした。