七不思議その二

 うちの学校には旧校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下がある。新校舎は三年生の教室が主で特別教室も少なく、一、二年生が教室移動で使う機会もそこまでないのだが、ここが出来た当初から流れている噂が「夜ここを歩くと違う足音が混ざってくる」というものだった。恐らく当時の三年生から流れ始めたと思うのだが、今でも文化祭前や部活で遅くなった奴らからけっこう体験談が上がる為、噂の信憑性はかなり高かった。ちなみにやっぱり「何故、足音が増えるのか?」のエピソードはやはりない。
「よし! 誰から行く?」
 山根はまた挙手を求めた。しかし、今回は誰も手を挙げない。さっきまではしゃいでいた女子達もおとなしくなっている。もちろん俺も固まっていた。
「よし。俺が一番に行って向こうで待ってるから、一人ずつ渡って来るんだ」
 この状況を見かねた山根は溜め息混じりに言って暗やみに消えていった。
「次は誰が行く?」
 沈黙に耐えかねて聞きたくもない事を俺は女子に問い掛ける。
「無理! 無理!」
 薄暗闇の中、二人は大きく首を横に振った。髪の毛が振り乱れる姿が少し恐かった。
 さっきまであんなにテンションが上がっていた森さんも今は明らかにテンションが下がっている。これはもう仕方が無い。
「よし。そんなら二人で行っちゃいなよ! せめて私が一人で行けば山根坊っちゃんもご機嫌が悪うなる事はないでしょう」
 ちびまる子ちゃんに出てくるヒデじいの声真似で場の空気を和ます。俺が唯一出来る物まねだ。いつもの空気でやったらかなり外しそうなもんだが、この緊張感が上手く作用したのか、二人はクスクスと笑った。
「ありがとう。行って来るね」
 二人は手を繋いで暗やみに消えていった。
 笑顔で二人を見送って俺は重大な事実に気づく。
 気付けば俺は夜の学校に一人きりになっている。
 マズイ!
 非常にマズイ!
 かといって走って彼女達を追いかけるのは男として選べない。どうする?
 どこからともなく笑い声が聞こえた気がした。後ろを振り向く。
 どこからともなく足音が聞こえた気がした。また前に向き直る。
 誰かがいるような気がした。どこにも顔を向けられない。
 俺はもうダメだと諦め、走ろうとした時、向こう側の校舎から声が飛ぶ。
「誰だ! 誰かいるのか!」
 ほぼ同時に山根の声が響いた。

「逃げろ!」

 俺はたった一人、訳もわからないまま後ろの階段を駆け上がった。
 何なんだ? 何が起こったんだ? みんなは平気か? てゆうか俺一人じゃん! どうする? どこへ行く? どこへ行けば良い!
 頭がパンクして、震える足で必死に駆け上がるも、おぼつかない足取りは階段の踊り場で俺を盛大にすっ転ばせた。
「キン!」
 ポケットから何かが落ちた。
 そうだ! いざという時のために持ってきておいた山根が作った屋上の合鍵があったんだ。
 俺はもう迷っている暇なんかなかった。拾った鍵を握り締め、必死に階段を駆け上がった。
 屋上の入り口で鍵を指そうとするも焦って中々入らない。
「クッソ! おい! クソ! 早く! 早く!」
 ガチャガチャと苦戦するも、定まらない手は何とか鍵を開けて、屋上に出る。そして急いで扉を締めて鍵をかけた。そして扉の窓からじっと様子を伺う。
 とりあえず後ろから誰か来る気配はない。鍵も閉めてあるから、ここで身を隠していれば安心だろう。
 ホッと一息ついたとたん体の力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。
 しかし、一体何があったんだ?
 あの声は誰なんだ?
 みんなは無事なのか?
 俺は何もわからないまま、その場にずっと座り込んでいた。ただ不安で仕方なかった。
「あーー」
 ネガティブな気持ちを取り去る様にわざと声を出して、寝転がる。
 見上げた空。星がすごい綺麗な事に気付いた。
 そういえば最近、星を眺める事なんてしてなかったなぁと思いながら名前も知らない星達をぼーっと見ていた。

「ガチャガチャ! ガチャガチャ!」

 安心したのも束の間に、扉のノブがガチャガチャと回る音がした。俺は飛び起きて扉を確認する。
「おいおい……マジかよ」
 俺は思わず声に出してしまった。ノブがガチャガチャと暴れている。
 屋上にまつわる幽霊話は今のところ聞いたことはない。でもそれは、誰も屋上に行かないからだ。
 もしかしたら八つ目の不思議が今、出来上がろうとしているのかもしれない
 一人目の犠牲者は……俺。
 背筋が凍るとはまさにこの事だろう。ゴクッとつばを飲み込む。俺は立ち上がり、屈みながら足はゆっくりとドアの方へ向かい始めた。何故向かっているのか自分でもわからない。恐怖より好奇心の方が勝ってしまったのか。俺は依然ガチャガチャと回り続けるドアノブの前に着くと屈んだ状態でソーッと手を伸ばし勢い良く鍵を開けた。
「バンッ!」
 ドアは勢い良く開いて、俺は驚きのあまり仰け反って勢い良く尻餅を着く。
「え! あれ? 椎名君! え? ごめん!」
 声の主は尻餅を着いた俺に声をかけながら扉を急いで閉めて鍵をかけた。ホッと一息ついて振り向く声の主。ようやく俺は扉を開けた人が杉川さんだと気付いた。
「わー! ごめん! ビックリさせちゃって! もう私も気が動転しちゃって!」
 杉川さんは屈んで顔の前に両手を合わせて申し訳なさそうな顔をした。
「あ、あぁ! 全然! 気にしないで!」
 大げさに手を振って俺は座りなおす。そして今がどういう状況なのかを杉川さんに聞いた。
「っていうか何が起こったの?」
 杉川さんもゆっくりと俺の前に腰を下ろし、話し始めた。
「先生がいたの。しかも数学の岡本」
 杉川さんは悲しそうな顔をして続けた。
「それでね。岡本は泥棒か何かと勘違いしたのか大声を出しながら走ってきたの。もうみんな一斉に逃げたんだけど、突然の事にビックリして、みんなバラバラになっちゃって。私はなんとか追い掛けられなかったんだけど、他の二人はわからない。もしかしたらどっちかは捕まっちゃってるかも……」
 杉川さんは今にも泣きそうな顔をしている。俺は慌ててポケットの中を探る。ポケットを探った意味も、何故これが入っているのかもわからないが、ポケットに入っていたガムを取り出して彼女に渡す。
「あー! 大丈夫だよ! 全然! 絶対に山根が追い掛けられてるから! あいつそういうオーラ出してるし! ほらこれ食ってこれからどうするか考えよう!」
 慌てふためきながら謎にガムを渡して来る俺が面白かったのか、杉川さんは口元を押さえて笑った。
「フフ! ありがとう! でも食べ物で元気出るなんて幼稚園児みたいだね!」
 渡されたガムを口に入れて杉川さんは笑った。俺は、食べてくれたのが嬉しくて大げさに身振り手振りをつけて喜びを表した。
「そんな事ないよ! ガムはみんな大好きだし、やっぱりこれを出せば泣く子も黙るって言うか、ガムは世界を救うから!」
「いや、それは言いすぎでしょ」
 俺の喜びを表す熱弁は彼女の一言で脆くも崩れ去った。
「え?」
 俺は身振り手振りをして振り上げた手を上げたまま固まる。
「もう! 嘘! 嘘! もう本当におかしい! ごめんね!」
 杉川さんは笑って俺の振り上げたままの手を下ろした。
「ありがとう! 元気出たよ! ごめんね? からかって。」
「い、いやいや! 全然!」
 俺が両手を振りながらと返すと、杉川さんはニコっと笑って頷くと手すりの方へと歩いていき、そこに肘をかけて外を眺めた。
「見て見て! 椎名くん! ほら!」
 杉川さんは俺の方を向いて手招きする。
「何? 何かあった?」
 俺は小走りで近寄り、手すりに体を預けて外を見た。


「うわー……」


 そこから見える景色は想像もしていないものだった。僕たちの住む町の一つ一つの小さな光がまるで星空のように広がって見えた。
「ね? すごくない?」
 杉川さんはこの景色にすごく興奮しているのか、俺の袖をしきりに引っ張りながら、ほらあそこが私の家! とか色々喋りかけてきた。
 俺は少し間があったはずの二人の間隔が、杉川さんのそれによってかなり近づいてしまったのが気になって仕方なく、すぐ隣にいる杉川さんに聞こえてしまうんじゃないかってくらいにドキドキしながら、ただただ相槌を打っていた。
「これ発見したのってもしかして私たちが初めてかなぁ?」
 杉川さんが俺の方を向いたのがわかった。俺はこんな近い距離で向かい合う事なんて出来るわけも無く、景色の方へ顔を向けたまま少し微笑んだ。
「うん。きっと、そうだと思う」
「そっかぁ……」
 杉川さんも微笑んで、また景色の方へ顔を向ける。
 少しの沈黙が流れる。
 不思議とそれが苦じゃなかった。むしろ自然に感じた。
 昼間ならこの景色は山根と見飽きる程見てきたのに、夜になるとこんなにも表情を変えるのかと思うと、また今まで見てきた景色を新しい角度で見てみたくなった。
 幸せだ。ずっとこんな時間が続けばいいのにと思った。願った。
 俺は雰囲気に乗せられ、思わず自分の気持ちを伝えようと杉川さんに顔を向ける。
 その時、校庭で雄叫びが響いた。

「うおーーーーーー!」

 山根だ。
 山根が雄叫びを上げながら全力疾走で校舎の端から飛び出し、それを数学の岡本が少し遅れながら追っていた。山根はそのまま校庭を横断して、フェンスを飛び越えて外に消えていった。
 肝心の岡本は直前で足がもつれたのか、転んでしまいフェンスに顔から突っ込んだ。
 ガッシャアアアァンとでかい音が夜空に響く。
 俺達は口を押さえながら爆笑した。
 俺は腹を抱えながら転げ回った。杉川さんは笑いすぎてしゃがんでいる。
 あれは反則だ。


 ようやく笑いも落ち着いてきた時に杉川さんは、トムとジェリーみたいだったね。と一事言うと、自分の言葉にまた笑った。
「ってか聞こえた? 岡本の奴ぶつかる時、グギャって言ったぜ?」
 俺の一言に二人でまた笑う。杉川さんは、もうやめてお腹痛い。と腹を押さえた。
 おかげさまで俺達は10分ほど笑いの渦から逃れられなかった。



 ひとしきり笑いおわった後、俺と杉川さんはそのまま寝転がって空を見た。
「あー……やっぱ本物の星には適わねぇな」
 俺は見上げた空に呟く。杉川さんは寝たまま伸びをした。
「世界で一番、星空がキレイな場所ってどこかな?」
 伸ばした腕をそのまま空に向けて杉川さんが言う。
 俺は、うーん。と考えてみたが、答えなんかわかる訳もない。
「どこだろうね?」
 そう答える他なかった。
「そうだよね。わかるわけないよね」
 杉川さんはクスっと笑いながら空に伸ばした手を下ろした。
「でもさ、結局は見る人の心境がかなりのパーセンテージを占めてると思わない?」
 杉川さんはムクッと上半身を起こして、寝転がっている俺に振り向く。
「雰囲気って大事って事。例えば、今ここにこれよりもっとすごい星空を見てきた人がいるとします。その人からすればこの星空に今さら感動しないかも知れません。しかし、傍に大好きな人がいたとします。ずっとこのまま一緒にいたいと思える人です。そんな人と綺麗な星空だねなんて言いながら寝っ転がってる時、その人にはこの星空は今まで見てきたどの星空よりキレイに見えて、どの星空より心に残ると思わない?」
 ね? と俺の顔を覗き込んで杉川さんはまた笑った。
 俺には何となく意味深な発言に聞こえた。もし、この例え話の二人が俺と杉川さんがモデルになっているとしたら?
 俺は胸のドキドキが止まらなかった。ついこの前まで遠くで眺めてる事しかできなかった憧れの人が今こうして隣で一緒に夜の屋上で星を見ているだなんて。
「うん。確かにそうだなぁ」
 俺は心を落ち着かせてムクリと起き上がり、笑ってみせた。
 杉川さんも笑うと、また空を見上げた。
「あーぁ。聡美にも見せてあげたかったなぁ」
 その言葉に俺はある疑問が浮かぶ。そういえば森さんはどうしているんだろう? 山根は逃げきった訳だし。って事は森さんは今一人? この夜の校舎で? それはさすがにまずいだろう!
「ね、ねぇ! 森さんに電話できないかな?」
「う、うん! もう岡本に追われてないのはわかったから今なら出るかも!」
 俺の質問に杉川さんは直ぐに携帯を取り出して電話をかけた。
「あっ! 出た! もしもし聡美?」
 杉川さんは俺に早く早くと手招いて、こっちに来てとジェスチャーする。一瞬ためらったがそんなことより森さんが気になる。俺は杉川さんの携帯に耳を近づけた。何となく声がするのはわかる。どうやら無事みたいだ。
 ん? でも、なんか後ろで男の声がするぞ? あれ? これ山根か?
 杉川さんは森さんの話を聞いて、ホッとしたような顔で電話を切った。俺はあまり状況が理解できなかったので、山根の声は置いといて森さんは今どこにいるかと聞く。
「聡美は今、山根君と一緒にいるって! なんか先に外に逃げて隠れてたら山根君が全速力で向かってきたんだってさ! それで私も今、椎名くんといるよって言ったら山根君が、んじゃ先に帰るから君たちも適当に帰ってくれだって。今日はもう解散って」
 杉川さんは笑って立ち上がる。
「私たちも帰ろうか!」
 そう言うと杉川さんは早足でドアの方へ向かっていった。
「あ、うん」
 思わぬ展開に出遅れた俺は慌てて杉川さんについて行く。帰りは思ったよりもスムーズで五分足らずで外に出られた。
「いやー違う意味でビビッたね!」
 俺は七不思議探検が終わり、学校を出た事で気が晴れ、思いっきり伸びをする。
「ねぇ気付いた? 屋上の椎名くんの後ろの方にいたの」
 杉川さんは足を止めず、少し下を向きながら俺に衝撃の言葉を投げる。
「え?」
 背筋が凍りついた。
「言ったら驚くと思ってあえて言わなかったけど、ずっとこっちを見てたよ。女の人が。私、恐くなって急いで帰ろうと思ってつい早歩きになっちゃった」
 顔を上げた杉川さんはすごい不安そうな顔を俺に見せた。俺は開いた口が塞がらずポカーンとしたまま隣を歩く。。
「うそだよー!」
 杉川さんは背中をバシッと叩いてきた。
「え? え?」
 俺は理解できずに「え」を繰り返すばかり。杉川さんはそれを見て笑っていた。
「うそうそ! そんなのいなかったよ! もう椎名くんって騙されやすいんだから! ホントおかしい!」
 涼しくなった? とイタズラに笑って顔を覗き込んでくる。
「ひゃい」
 俺は気が抜けて、はい。と言えなかった。杉川さんは笑って空に手を伸ばす。
「でも今日あった事は絶対に一生忘れないなぁ。」
 俺もつられて空を見上げる。でも直ぐに杉川さんに向き直る。
「それも嘘?」
 俺は疑いの目をつくり聞くと。
「ホント!」
 杉川さんもこちらを向き、少し強調したように言った。
「忘れないよ! 七不思議も星空や夜景も椎名くんがだまされやすいって事もね!」
 笑いながら言う杉川さんに俺は(本当は疑いやすいのになぁ。君にだから騙されちゃうのに)と思ったが勿論口には出さない。
「そこは覚えてなくていいから!」
 笑いながらツッコミを入れるだけにしておいた。杉川さんも笑う。
 笑いながら二人で帰った帰り道も俺は忘れないだろう。

 こうして恐怖の七不思議探険は終わりを迎えた。