近藤さんが相談をしに来てからちょうど二週間が経った。近藤さんは鈴音さんに言われた通りまた〈夜這星〉へとやって来た。

「実は私、彼のスマホを見ちゃったんです」

 近藤さんは居間の椅子に腰掛けるなり、すぐに口を開いた。無理やり笑っているようで口角は上がっていても、目は赤く腫れぼったい。泣いた直後のように見えた。

「あなたが感じた違和感は、正しかったわね」

 鈴音さんは足を組み、コーヒーを一口飲んでから言った。

「ええ、まあ」
「あなたの恋人が働いているところに、彼をやったの」
「え?」

 近藤さんは僕を見た。

「とても人柄がよくて、職場のみんなが松下さんをよくできた子だと褒めていました」
「でも、本当は違うのよね?」

 鈴音さんが僕に訊ねる。

「彼は、おそらくいくつか嘘をついていると思います」

 何から話していいのかわからず、僕はまずそう近藤さんに告げた。
 きょうは化粧っ気がない。先日来たときは、ばっちりメイクをしていた。松下のスマホを見て何かを知ったのだろう。きっと、散々泣いたんだ。

「知ってます。私だけじゃなくて、いろんな人に嘘をついていることがわかりました」
「そう。それじゃあ、話は早いわね」

 鈴音さんはそう言ってパンと手を叩く。

「さっさと別れて、次へ行くのね」

 いとも簡単に鈴音さんは話をまとめた。

「いやでも……」

 近藤さんは鈴音さんの言葉に頷かなかった。何度も瞬きをして、テーブルの上をぼんやり見つめている。

「別れるつもりはないです、まだ今は……」

 僕は近藤さんを見た。初めて会ったときの近藤さんのあの瞳。幸せいっぱい、恋に輝く瞳だった。だけど今目の前にある近藤さんの瞳は、深海のように光がない。
 別れを切り出すのが苦手な人がいる。たぶん、近藤さんも僕もそういうタイプだろう。僕は自分から人との縁を切ったことはない。恋愛でも、それ以外でも。すべて、向こうに判断を任せている。

「嘘はついていましたけど、彼はいい人だと思うんです」
「いい人?」

 鈴音さんは高い声で訊き返す。

「私と一緒にいるときもすごく気遣ってくれるし、優しいし」
「あなた、彼の何を見てそう判断しているの?」

 強い言葉で鈴音さんはまた質問を繰り返した。

「話している雰囲気とか、しぐさとか……」
「でも、嘘だったでしょ? いくつ嘘をつかれていたのか、もう一度よく思い出した方がいいわ」

 鈴音さんはそう言って、僕を見た。瞬きもせず、怖いくらいじぃっと見つめられる。

「ご両親が交通事故に遭ったというのは嘘です。健康そのもので、普通に生活されていると思います」

 僕は鈴音さんに無言の圧力をかけられ、つい話した。

「大学中退の話はわかりませんが、この四月から専門学校へ通われる予定です。どうやら、何か夢があるそうです。それから……」

 僕は一度言葉を止めて、近藤さんを見た。俯いたままじっと動かない。鈴音さんは相変わらず僕を見ている。

「それから、ご友人に近藤さんのことを……その……」

 メンヘラだとか、包丁で脅されただとか、いろんな話をしていた。近藤さんの様子から、これも松下がついた嘘だと僕は察した。

「浮気をされて、それなのに別れないって包丁で脅されて、別れたいのに別れられないと友達数人に話しているのを見つけました」
「あなたは浮気をしたの?」

 すかさず鈴音さんが訊ねた。
 近藤さんは静かに首を横に振った。ぽつん、と涙が一滴落ちる。

「先日、急に彼から別れ話を持ち掛けられました。何の前触れもなくて、別に喧嘩もしていなかったので私は別れたくないと言ったんです」
「なぜあなたは彼のスマホを覗いたの?」

 鈴音さんの質問に、近藤さんはなかなか答えなかった。答えないのではなく、答えられないのではないか、と僕は思った。答えてしまったら、松下がついた嘘を認めてしまうだろう。

「誰にどんな嘘をついているのか、私にも全部はわかりません。たぶん、ご両親やお姉さんにも嘘をついていると思います。でも、私はそれでも別れたくないんです」

 好きになった人だ。僕たちには語っていない、素敵な思い出があるはず。でも、なぜ松下は嘘を重ねるのだろう。何か隠したい秘密があるのだろうか。

「私はあなたの恋人を知らない。でも、私なら今すぐにでも別れる。どんなに優しい人だとしても、嘘をつく男だ。それも、あなたに関する嘘もばら撒いている。そんな男、夢中になる価値もないし一緒にいる時間だってもったいない」
「わかっています。私の選択がおかしいのは、私自身もわかっているんです」
「いいや、わかっていない」

 鈴音さんは間髪容れず近藤さんを強く否定した。その言葉に、近藤さんはびくっと身体を強張らせた。

「まだ好きで別れたくないって気持ち、僕はわかります。でも、近藤さんはこれから先、松下さんを信頼できますか?」

 僕にはちょっと難しいです、と僕は僕なりに意見を言ってみた。鈴音さんの鋭い視線が顔のあちこちに突き刺さる。痛い。