「酷い目に遭ったんだね」

 僕は履歴書を持って、鈴音さんから指定された会社の面接を受けていた。面接官の男は青い作業着姿で、僕の履歴書を見て言った。面接官が言っているのは、僕が以前勤めていた地域密着情報誌の会社の話だ。決して僕に対する鈴音さんの態度ではない。面接官は見た感じ四十代、いや五十代前半くらいにも見える。

「ええ。本当に驚きました」

 あれから会社は倒産した。他の人たちがどうしているのかわからないが、おそらく僕だだけくすぶっているのだろう。この先何がしたいのかよくわかっていない。このまま鈴音さんのもとで働き続けたって、実際には働いたと認められない。保険だって出ない。

「ちょうど今人手が足りていないので、こちらとしてはあしたからでも来てもらえたら嬉しいよ」

 ここはいろんな部品や器具、机や椅子などの貸し出しを行っている倉庫会社だ。僕が受けているのは、ここの清掃のアルバイト。松下隆成がしているのと同じ仕事だった。

「主婦の人が多いんだけどね、ひとり辞めちゃってちょうどよかったよ。でも、アルバイトなんかでいいのかい? 正社員の募集もあるんだけど興味ない?」

 どうせ一ヵ月もしないうちに辞めてしまうのだ。人が良さそうな面接官には申し訳ないが、アルバイトでいいと答えた。

「ひとり男の子で、町田くんと年が近い子がいるよ」

 僕は面接官に連れられて、倉庫の中を案内してもらった。企業や学校、個人にいろんなものを貸し出ししていると言う。倉庫の中はとにかくモノで溢れていた。何に使うかわからない大きな機材もあれば、椅子や机、パラソルなんかもある。

「これは今年の夏頃にレンタルされるんだ。夏祭りだとか、そういうイベントで使われるんだよ」

 倉庫の中は広い。面接官と同じ青色の作業着を着た男性従業員たちがフォークリフトに乗って移動している。

「この倉庫内の掃除だけじゃなくて、レンタルから帰って来た商品やレンタルに出される前の掃除なんかもお願いしているんだ」

 女の人が三人、軍手をはめて隅の方で椅子を拭いている。僕がこれからやろうとしている仕事は、こういう感じか。

「時間は朝からお昼まで。モノがとにかく多いから、金具入りの安全靴をこっちで用意するよ。汚れてもいい服装で来てね」

 僕はあっさり面接に合格した。あしたからここで働く。
 面接が終わって僕はまじまじと大きな倉庫を見上げた。本当の目的はここで働くことではなくて、松下隆成を監視するためだ。スパイになったような気持ちになって、少しわくわくしている自分がいた。

 実家はここから近いが寄らずに帰る。平日の真昼間に遊びに寄ったら、母はびっくりして倒れてしまうだろう。
 きょうは風が強い。もうさっさと帰ろうか、と考えるもすぐ鈴音さんの姿が思い浮かぶ。最近はいつもそうだ。もしかして、僕は鈴音さんに憑りつかれているんじゃないだろうか、と思うほどに頭の中も心の中も鈴音さんでいっぱいになっていた。

 ひとりでいるときって、いつも何をしていたんだっけ。

 大学を卒業してからずっと忙しかった。働いていた頃の僕の週末は、仕事の疲れを癒すために家で眠りこけて全日使い果たしていた。そしてすぐに月曜がやって来る。その繰り返しで、二年も使ってしまった。今の僕はもったいないと感じているが、あのときを生きていた僕はくたくたに疲れ切っていた。ここ最近は、鈴音さんにこき使われているわりに心にはゆとりがあった。

 鈴音さんはあの家にあるモノを売り払い、金に変えているようだった。フリマサイトや買取店に出して、換金している。僕はその金を給与としてもらって生きていた。よくよく考えてみれば、あの家のモノは源次郎さんとハルさんのモノだ。人の方のだが。
 不安はある。この先どうなるのか。生きていくためには、働かなければならない。鈴音さんの仕事は正直仕事ではない。相談を訊くだけならただのボランティアだ。ちゃんとした仕事に就いていない僕は、社会から抹消されたみたいな気分だった。

 でもなぜか僕の心は空を舞う羽のように軽かった。働いていた頃の重圧感はなく、自由を感じる。たくさんの金は掴めないが、この解放感は金にも代えがたい気がする。それに、これまで僕が知らなかった世界を覗き見ることができた。あのまま地域情報誌を作る会社にいては、知り得なかった世界だ。
 なるようになる、なるようにしかならない。僕は相変わらず、すべて流れに身を任せていた。鈴音さんという大きな川に。鈴音さんの川は僕にとって未知だ。
 冷たい風が肺を凍らせる。冷たくて、息を吸うのも苦しい。

 追い風ならまだしも向かい風だから、足が重い。身体が前に進まない。夢の中でうまく走れないときのようだった。
 ふと、風に乗って美味しそうな匂いがした。
 ラーメン屋の前を通り過ぎようとして、今朝から何も食べていないと気づく。ちょうどタイミングよくぐーっとお腹が鳴ったので、店に入って一番安いラーメンを一杯頼んだ。昼過ぎだったので、店内は空いていた。
 涙が出るほどうまかった。寒さが吹っ飛んで、身体が温まった。汁まで残さず全部平らげた。