ランドールのメニューは基本ひとつだけ。
そう、コーヒーしかない。

もちろん、コーヒーには様々な種類があるから豆を選ぶことはできるのだけれど、結局は飲み物。
まだ十代のわたしにとっては物足りなそうにも見える。

「いや、相変わらず尊くんの作るコーヒーは美味しいね」

それでも、ランドールの常連のひとり、佐伯さんは満足そうに言った。
佐伯さんはもうお仕事を引退したおじいちゃんで、マスターとも古い知りあいだそう。

「これしか得意なものはありませんから」

そう言葉を返したのは、カウンターを挟んで立つ若い男性、このランドールのマスターである春日部尊さんだ。

「いや、これだけでも十分だよ。わたしはね、尊くんのコーヒーを飲むと、ああ、生きているんだと実感をするんだ。この歳になるといろんなものに鈍感になってしまうものだが、きみのコーヒーはいつも新鮮な驚きをわたしに与えてくれる」

それは案外、嘘とは言えないのかもしれない。
マスターは佐伯さんの健康を考えて、エッセンスを調整して入れているのかもしれない。

「佐伯さんはそこまで老け込む歳でもないでしょう」

「いや、もう孫もいる年齢だからね、どうしても心身の衰えは否定できないよ」

「そう言えば、孫の優愛さんは高校に入学したばかりでしたね」

いまは六月、今年の冬の寒さは例年に比べて長く続き、春らしさはあまり感じられずに梅雨の時期へと突入した。
幸いまだに大雨の気配はなく、比較的過ごしやすい毎日が続いている。

「そうだね。時が過ぎるのは早く感じるよ。ついこの前までよちよち歩きだった孫が、もう魔法の勉強を始めるんだから」

「魔法の才能も認められたんですね」

「うん。クラス分けのために、入学前に検査が行われるからね」

「ちょうどいいタイミングでしたね。途中でのクラス替えとなると、いろいろ面倒な部分もあるでしょうから」

「実はそのことで、尊くんにお願いがあるんだ」

「というと?」

「孫の友達のことなんだけれど、どうも魔法の才能がまだ開化していないらしいんだよ」

「そうですか。それもまた一つの人生ですからね、嘆くことはありませんよ」

魔法の才能はだいたい思春期に芽生えるもの。
すべての人が魔法士になれるわけではなくて、限りある人が得られる特別な力。

魔法が使えるかどうかは人生に大きな影響を与える。
もちろん、使えたほうがメリットは大きい。

学校では魔法士かどうかでクラスがわかれ、その時点で立場も決まる。

学校では平等を謳ってはいるものの、実際には一般の生徒は魔法士の言いなりというのが現状。
魔法士の生徒が廊下を歩けばみんな脇によけるし、何か買ってきてと頼まれれば断ることは難しい。

教師もそんな状況を黙認している。
国にとって重要な魔法士という存在。

その後の活躍が学校の評価にも繋がり、卒業生との繋がりを保ち続けたい学校側は魔法士の気分を害するようなことはなるべくしたくないというのが本音。

だからみんな魔法士になりたいと願っているのだけれど、なれない確率のほうがずっと高い。

「本人は魔法士にこだわりがあってね、その才能もあるはずだと確信しているらしい。だから尊くん、ひとつ試してはくれないかな」

「構いませんよ」

このようなお願いは決して珍しくない。

だからといってマスターは誰の願いでも叶えるわけではなく、あくまでも信頼関係に基づいて決める。

古い知りあいの佐伯さんだからこそ速答することができたのだと思う。

「ところで、本人は誤解はしてませんか?わたしの力のことは」

「その点は大丈夫だよ。才能のない人を目覚めさせることはできない。あくまでも隠れたままの力を起こすきっかけをつくるだけだと、孫を通して説明したから」

佐伯さんはコーヒーを眺めながらそう言った。

マスターも魔法士のひとりで、その手で作られるコーヒーにも魔力が込められている場合がある。

魔力の含まれたコーヒーをここではミストやエッセンスと呼んでいる。
これを口にするとその人の内部に眠っている魔法士としての本質を刺激して、目覚めさせることがある。

これはあくまでも才能があることが前提。
一般人を魔法士に変えることはできない。

ただ、ミストやエッセンスには別の力もある。それを目的にやってくるお客さんもいる。

「悪いね。君の力もそう安売りするものではないと理解はしているんだけど」

「お孫さんの頼みなら断れませんよね。友達が魔法士であってほしいと願う気持ちもよくわかります」

マスターのコーヒーは人を幸せにする。
わたしはそれで救われてきた人を何人も見てきた。
その一人はわたしでもある。

マスターのコーヒーによって人生を救われたわたしはいま、こうしてランドールで働いている。