「りっ……理事長っ!?」

 現れたのは、この花籠学園の理事長、三日月静夏(みかづきしずか)だったのだ。
 整った顔立ちと落ち着いた雰囲気が相まって、生徒だけでなく父兄からも絶大な人気を誇る学園の顔。

 いつも穏やかな微笑をたたえている完璧なイメージの理事長は、今は素の表情といった感じを隠すこともなく、ため息までついている。

「雫様、どういうことですか? 私のいない間にまた勝手なことを」

 理事長は呆れ顔でため息をつき、雫さんを見た。

「三日月、違うんだよ。ムギちゃんは勝手にこまるが連れてきちゃったの」
「こまるが勝手に……ねぇ?」

 理事長は冷ややかに雫さんの肩に乗ったこまるを見下ろした。

「き、きゅっ」

 すると、こまるは焦ったように雫さんの髪の中に隠れた。栗鼠のくせに、こういうところはちゃっかりしている。

 というか、雫さんを盾にするなんてなんて奴だ。

「雫さん? あの……」
 僕はおずおずと雫さんに声をかける。

「あ、ムギちゃん。紹介するね。私の執事で、花籠学園の理事長代理の三日月静夏さん」
「雫さんの執事? しかも、理事長代理って……理事長はじゃあ……」

「そ。本当は私が理事長なの。でも私は魔女だし、足も悪いし、まだ学生だし。代わりにやってもらってるんだ。あ、ちなみに私、ムギちゃんのクラスメイトだからね? 不登校だけど」

「え!?」

 僕は今日最大の驚きで彼女を見た。たしかに、同年代なのになんでこんなところにいるのだろうとは思っていたが、まさかクラスメイトだったなんて。

 そういえば、教室にいつも空いている席がひとつあったような気がしなくもない。

 しかも、理事長が代理で、雫さんが理事長だったなんて……。もう訳が分からない。

「知らなかったの?」
 呆れ顔で僕を見る雫さんから、いたたまれずに目を逸らす。
「全然知らなかった……」

 雫さんには秘密があり過ぎて、僕はその秘密を知るたび驚かされる。だって、秘密の内容があまりにも突飛過ぎるもんだから。

「クラスメイトだったのかぁ……へへっ、なんか嬉しいな」
「不登校だから名ばかりだけどね。制服も着たことないし」
「どうして来ないの?」

 雫さんならすぐに人気者になれそうなのに。

 僕の問いに、
「……私は、普通の女の子じゃないから」

 雫さんはふと目を逸らし、寂しそうに小さく呟いた。それは、体のことを言っているのか、それとももっと他のことを言っているのか。
 僕はその横顔に、なにも言えなくなる。

 すると、その空気を察したのか、彼女は唐突に話を変えた。

「それよりも、三日月。用があってきたんでしょ?」
「はい。願い屋七つ星(ねがいやななつぼし)に依頼が届いているようです」

 理事長はさっと懐から純白の手紙を雫さんに渡した。彼女は慣れたようにそれを受け取る。

「依頼ね、分かった。読んでおく」

 また、彼女の口から聞きなれない言葉が。

「ねえ、雫さん。願い屋って、なに?」

 訊ねると、雫さんは「あぁ、言ってなかったっけ」と小さく呟き、説明してくれた。

「私、魔女だから。困ってる人の願いを叶える仕事をしてるの」
「へぇ……」
「私ならどんな願いでも叶えられるからね。その代わり報酬は貰うけど」
「そんなことしてたんだ。人の願いを叶えるなんて、素敵な仕事だね」

 誰かの願いを叶えるなんて、魔女である彼女にしかできることではない。

「……誰かの役に立ちたくて、私にできることっていったら、これくらいしかないから」

 その瞳が少しだけ寂しげに揺れたような気がして、僕は口を噤む。

 いつも彼女は、自分を卑下して言う癖がある。

 そのときの僕はまだ、その理由が彼女が魔女だからなのだと、僕とは違う世界線で生きている人だからなのだと楽観的に思っていた。

「僕も雫さんが願いを叶えるところ、見てみたいなぁ」

 少しだけ期待して言ってみると、それに乗っかってきたのは雫さんではなく、意外にも理事長だった。

「それならば手伝ってもらいましょう、雫様」
「えっ?」
 雫さんが驚いたように理事長を見る。

「私は理事長職で忙しいので、依頼人に会いに行くときなど、私の代わりに彼に同行してもらえると助かります」
「でも……」

 雫さんの視線が泳ぐが、僕はこんなまたとない絶好の機会をみすみす見逃すほど奥手ではない。

「行く行く! お願い、雫さん! 僕、ちゃんと役に立つから!」

 雫さんは少しだけ眉を寄せて悩んだ後、
「まあ……ムギちゃんがいいなら、いいけど」
 渋々了承してくれた。

「やった!!」

 こうして僕は、『願い屋七つ星』の仕事を手伝うことになったのだ。