真っ暗の中、徐々に脳が起床する。振動を感じ取り、周囲の音を拾った。聴覚は鮮明になり、電車が走っている音がより大きく聞こえる。

 目を開けると、隣にはスーツで身を包んだ中年の男性が携帯を片手に座っている。目の前にはピンク色のブックカバーを付けた本を黙々と読んでいる若い女性。

 周囲を見渡すと、つり革に掴まる大人や学生の姿が何人も視界に飛び込んだ。一人や二人でないということは、空席は彼らの視界で捉えられる範囲に一つもない。


(貸し切りじゃなかったのか?)


 いつの間に電車はこんなに混んでいたのだろう。席は殆ど埋め尽くされている。

 車掌室の方を見ると、志波さんではない車掌と目が合った。志波さんのことを聞いてみようか迷う。席を立って一歩進んだ瞬間に、この席は誰かに取られるだろうけど。


 それはいい。いや、よくない。

 電車は走り続け、次に止まる駅がどこだか分からない今、目的の駅までどのくらいで辿り着くのか不明の状態だ。ぐっすりと眠ったことで三十分少しなら問題なく立っていられるが、一時間は辛い。途中で車両が満員になったら十分が限界だ。

 聞きにいくのはやめておこう。そう決めて背もたれに再び身体を預けると、車掌が車掌室から出てきたことに気が付く。車掌は俺の顔を覗き込んだ。


「気分でも悪い?」


 車掌の存在とその一言で、近くにいた人の視線が一気に集まる。注目された驚きと羞恥が少しばかり込み上がる。

 恥ずべき事ではないと車掌は意志が硬いのだろう。もしくは種を撒いた本人だから。他人の目など気にも留めずに続ける。


「次の駅で降りて、駅長室で休むかい?」

「いえ、大丈夫です」

「本当に?」


 疑心の目を向けられた。先に反らしたら負けだと、負けて損があるわけではない勝負を持ちかけられる。

 居心地の悪い中、戸惑いながらも頷いた。


「良かった。随分と長くグッタリと眠っていたから、少し心配していたんだ」