『今日、夏向のやつ帰ってこないってさ』

『ずっと帰って来なくて良いよ。アイツいると、家の空気悪いし』

『言っちゃ悪いけどさ、マジで嬉しいってか久しぶりのお休みに感じるわ』

『家が嫌なら、早く出て行ってくれればいいのにね』



 あの家に、居場所なんてない。

 居場所は自分の手でなくした。





◇◇◇◇◇


「夢……」


 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。少し肌寒さを感じる室内に対し、外はとても暖かそうだ。

 身体を起こすと、そこは知らない場所。いつも眠っているベッドの上ではなく、畳に敷かれた布団の上。寝ぼけた頭は一時的に記憶を無くしていて、昨夜のことを思い出す。


「そうだ、車掌さんの……志波さんの家に泊めてもらったんだ」


 隣で眠っていた志波さんの姿はなく、布団が綺麗に畳まれている。

 カーテンを開けると、室内の温度が即座に上昇する。雲に隠れていながらも確かに存在している太陽の明るみは宙に舞う埃を視界に映した。布団を畳むとより多く、吸い込めば身体に悪そうなそれらが舞い上がり、勝手ながらに窓を開けた。


(空気が美味しい……)


 小鳥の鳴き声も、どこからか聞こえてくる水の音も、耳に心地良い。

 目を瞑って音に意識を集中させた。背後からも均等なリズムの低い音が聞こえてくる。その音は地とも連動していて、音に合わせて微かに床が響いている。徐々に近付いてくるそれが鳴り止むと、部屋の襖が開かれた。


「おはよう。昨日はよく眠れた?」

「はい。おかげさまで」


 本当は夢見が悪く、意識が半分くらい浮上した浅い睡眠だ。四時間程度の熟睡と大差なく、眠気は完全には取れていない。睡眠時間を取り戻せるわけではないのだから、昨夜疲れている身体で客用の布団を洗濯し、乾燥機をかけて用意してくれた優しいこの人にそんな正直なことを告げる必要はない。

 空間の共有を遮断していた襖が開けられたことで、食欲がそそる出汁の良い香りが飛び込んでくる。硫化アリルによるネギの香りと混ざり合ったこれは、おそらく味噌汁のものだろう。


「朝ご飯出来てるから、顔を洗ったらおいで。洗面所に置いてあるブラシとか好きにつかっていいから、寝癖直してきな」


 ふふっと小さく笑うと、志波さんは和室から立ち去った。右手にお玉、左手にフライパンを持っている。あれで起こす気だったのだろうか。

 寝癖の酷さがどれほどか、鏡を見なくては分からない。