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小さく古い一軒家。少し錆びている門を開けるとキィと小さく鳴った。
「ここ、おばあちゃんちなの。空き家になってたところを借りたんだ。まわりは山に囲まれて、自然がいっぱいでのんびりしてるでしょ」
前に住んでいた場所とはまるで違う。人も街も時間の流れさえもゆったりと感じられ、まとう空気も澄んでいるようだ。
リビングに通されると「座ってて」と言われ、素直に従う。すぐ横にはキッチンがあり、一人暮らしの慎ましやかな生活が見てとれた。
ふいに指先にふわっとした感触があり、目線を落とす。
「ニャア」
「……トロ、元気だったか?」
体を擦り付けるようにしたトロは、頭を撫でられ気持ち良さそうにゴロゴロと鳴いた。
ポットでコーヒーを淹れる、コポコポとした音でさえ耳に優しく響いてくる静かな環境に、静はひとつ深呼吸をした。
春花がいてトロがいて、部屋の片隅には使い込まれた電子ピアノ。そんな緩やかな感覚が妙に心地好い。
静の目の前にマグカップがコトリと置かれる。一緒に住んでいた頃には何とも思わなかった行動ひとつが、今はとても愛おしく感じられた。