2
初顔合わせから翌日の朝。
国王様から正式に魔術師として『勇者・シオン』を護り、マーシャ王女様を無事救出する任務を拝命したソフィアは装備を調え、カーネリアン家を訪れた。
下調べなどの予備知識の共有をはじめ、マーシャ王女様救出作戦はソフィアとレオナルドの二人で練り上げた。ソフィアはシオンの参加も申し入れたが、
『キャロラインちゃんの洋服作りで超多忙だから無理!』
と、レオナルド経由であっさり断られてしまった。
洋服作りなどしなくてもいいのに。むしろそんな事はどうでもいいのに、とソフィアは思ったが、それが今回シオンが重い腰をあげる条件なのだから仕方がない。
なので、シオンに会うのはあの初顔合わせの時だけだ。
確かに、シオンがデザインした洋服を着る事を条件に成立した今回のパーティだが、シオンは一度も作戦会議に出ないまま出発の日を迎える事に恐怖はないのだろうかと、ソフィアは思っていた。それと同時に、ソフィア自身もこの作戦がはたして上手くいくのだろうか。
自分はシオンやレオナルドに傷を負わせる事なくマーシャ王女様を救出できるだけの魔力を持っているのか、との不安で心が張り裂けそうで、できる事なら逃げ出したい気持ちも抱えていた。
ソフィアはこの先の心配でいっぱいだどいうのに、現れたシオンは実に晴れやかな表情をしていた。
「やあ、キャロラインちゃん昨日ぶり! 今回も良い作品ができたよ!」
そう満面の笑みのシオンの目の下には青黒いクマができている。よく見るとあまり寝ていない様子で目も充血していた。
「大至急で作ったけれど、出来は良いから着てみてよ」
もしかしたら徹夜で制作をしていたのかもしれない。シオンは無造作にまとめていた髪をほどきながらソファに腰掛けた。その様子は、今にでも寝転んでうたた寝をしまいそうなくらいだった。
シオンは気だるそうな仕草で閉じられている扉を指さした。
「向こうの部屋がクローゼットなんだけど、そこに白い布をかけたトルソーに着せてるから。鏡もあるからそこで着替えてきてよ。レオ、案内してあげて」
「はい。ソフィアさん、こちらです」
レオナルドに連れられて、ソフィアはウォークインクローゼットと化している広い別室に入った。その部屋はシオンの部屋よりは半分くらいの広さだったが、一般人のソフィアには自宅のリビングの倍はある広さだった。そんな広い部屋に所狭しと何台ものラックがあり、たくさんの個性的な洋服がつり下げられていた。
普段は魔術師のローブを着ているのでファッション誌を購入したり、洋服屋に行ったりはしない。そのため流行にはてんで疎いソフィアだが、どの洋服も街では誰も着ているところを見た事がないデザインのものばかりだった。
シオンのクローゼットなので圧倒的にメンズの洋服が多かったが、ワンピースやドレスなど女性物もあった。それが清楚で洗練したデザインでソフィアはシオンの才能を認めるしかなかった。
思わずソフィアはワンピースやドレスを手に取った。
「すごい。デザインもオシャレだし縫い目も完璧。とても手作りとは思えないわ」
こんな素敵な洋服なら着てみたいと、ソフィアは瞳を輝かせた。
「ソフィアさんの洋服は向こうのトルソーにあります。では私は失礼いたします」
数々の洋服で埋め尽くされている部屋の真ん中に、シオンが言っていた通りの白い布がかけられたトルソーがあった。
トルソーの下には、膝丈までありそうな長い編み上げの黒いブーツが置かれていた。
「このブーツも履きなさいって事かしら。ずいぶんと厚底でヒールが高いわね」
ヒールは七センチくらいかしら?
ピンヒールではなかったが、歩きにくそうね。そうソフィアは思いながら屈み込みブーツを手に取った。
「あら? 意外と軽い」
ソフィアは、思わずひとりごとをつぶやいた。
手に取ったブーツは見た目を裏切り、今ソフィアが履いているヒールの低いシンプルなブーツよりも軽かったのだ。
値段の高いブーツは軽くて歩きやすいと聞いた事があった。
ブーツの底には市販の物なら必ずあるサイズ表記がなく、ソフィアのためのオーダーメイドである事がわかった。
そういえば初顔合わせが終わったあとにレオナルドからカーネリアン家ゆかりの靴屋に行って足の採寸をしてきたのを思い出した。
ブーツまで用意するなんてシオン様のこだわりはすごいのね。これなら洋服も期待できるかもしれないわ。なんて思いながらブーツを床に置いてトルソーにかけられている白い布を剥いだ。
どんなに素敵な作品なのだろうとわくわくしながら洋服を確認したソフィアは、いきなりクローゼットから飛びだしてシオンに問いつめた。
「俺を信じろって言いましたよね……? なんなんですかあれは! ここここんなハレンチな……!」
頬を紅潮させて大声をあげるソフィアに、案の定疲労のためにソファに寝転んでいたシオンはむくりと身体を起こした。
「ハレンチなんてひどいなぁ。俺のセンスに圧倒される気持ちもわからなくないけど、もっと言葉を選んでよね。今の、地味に失礼極まりない発言だよ」
「失礼なのはどっちですか! まさかこのわたくしに、こ、こんな服を着せようなどと本気で思っていないですよね」
覆いを取り除かれた洋服は、シオンご自慢の自信作。魔術師の伝統を重んじて、色は黒のロングワンピースだった。
ただ、長袖なのに片方の肩が露出していたり、胸元が少々空きすぎではないかと思われるV字になっていたり、スカートに至っては左右同様に深いスリットが入っていて、歩くたびに膝が見えてしまいそうだった。
「こんな、胸が開いていたり、足が出る洋服など着れません!」
ソフィアは声をあげて抗議した。
「俺がデザインした洋服にケチつける気」
シオンは寝不足の瞳でギロリとソフィアを睨みつけた。
シオンはカーネリアン家のご子息。
本来なら対等に話す事も許されない相手だ。いくらシオンの作った洋服にびっくりしたかといっても、非常に失礼な行為をしたのは、シオンの顔色をうかがえばあきらかだった。
「ケチなんてそんな……。ですが、わたくしは魔術師です。このような一般の方向けの服は少し似合わないと……」
慎重に言葉を選び、シオンのご機嫌をうかがう。
しかしシオンはかたくなで、
「じゃあマーシャ王女様の救出の話はなかった事になるけどいいんだね?」
「そ、それは……」
条件を突きつけられるとソフィアは言葉を失う。
もともと魔術師のローブ以外着たくはなかったのを、シオンの勇者の血筋の力を借りたくてしぶしぶ了承したのだ。
まさかこんなデザインの洋服を用意してくるとは思ってはいなかった。
「シオン様、申し訳ありません。わたくしは魔術師です。シオン様のデザインされた作品は素晴らしいと存じますが、わたくしには似合いません。どうかご容赦ください」
深々と頭を下げ、ソフィアはシオンに懇願した。だが、
「絶対ダメ! それ作るのに、俺がんばって徹夜したんだよ? かなりの自信作なのになにがいけないわけ? 絶対キャロラインちゃんに似合う! それ着てくれないなら行かない!」
シオンは、子どもの駄々をこねるようにソフィアの懇願を拒否した。
「シオン様、どうかお願いでございます」
「ヤダったらヤダ! 着ないならこの話は終わり!」
こんな同じやりとりを繰り返すソフィアとシオン。
あげくには、
「じゃあ俺、シャワー入って寝るから。二人とも出て行って」
と、シオンは腰まで伸びてしまった髪をクシャクシャとさわりながら、シャワールームへと行ってしまった。
「シオン様、お待ちください!」
「うるさいぞレオ。俺はシャワーも浴びずに制作にとりかかっていたっていうのに作品にケチつけられたんだぞ。この気持ちがおまえにわかるか!」
ドンとレオナルドの肩をつくように避けさせると、シオンはシャワールームの扉を閉めてしまった。
バタンと、大きな音を立てて閉まる扉と、ガチャンと強くかけられた鍵。まるでシオンのいらだちを現しているようでレオナルドは声すらもかけられなかった。
シオンは、自分の造り出す作品に並々ならぬ努力と自信を持っている。
ソフィアの洋服も、ソフィアの為だけにイメージし、たった一日の短い時間で作品に仕上げたのだ。思い入れもはかりしれないのはレオナルドも痛いほどわかるだけに、これ以上はシオンに譲歩するようにとは口が裂けても言えない。
しかし、出発の時間は刻々と迫ってきているので、こんな事で初めからつまずいているわけにはいかない。クリエイターとしてのプライドは世界一と言ってもいいくらい高いシオン。
それに加え、頑固でワガママなのは身をもって知っている。ここはなんとかソフィアに折れてもらうしか方法はない。
レオナルドはどうしていいかわからなくなってうなだれているソフィアに声をかけた。
「ソフィアさん、シオン様はソフィアさんにお似合いになる最高のデザインを形にされているのですよ。一度、着てみるだけでもされてみてはいかがでしょうか? シオン様は長風呂ですし、もし着てみても嫌でしたら私にも見せなくてよろしいので」
国王様への忠誠心が強く、まるで堅物のように真面目なソフィア。そんな彼女の、魔術師としてのしきたりを守りたい気持ちもよくわかる。
ソフィアもまた、困り果てているレオナルドの気持ちが痛いほどに伝わってきていた。
いくら説得されてもあのような洋服といえるかもわからない衣装を着るのには抵抗がある。絶対にというほど着たくはない。
しかしシオンは貴族。いち魔術師が逆らっていい身分ではない。しかもランドルフ王国随一の貴族で、その上勇者の家系なのだからなおさらだ。
そして拝命した任務はもう始まっていて、今更引き返す事などできやしない。
どんなに嫌でも自分が折れるしかない。
「……はい」
ソフィアは小さな声でそう言うと、重い足どりで衣装部屋へと向かった。
一方、バスルームでは、レオナルドが用意したであろう、花の形をしたシオンが好んでいる入浴剤がバスタブに入れられていた。花の形はなかなかお湯に溶けず、癒しの効果があるのかについてはわからないが。
現に、バスタブにつかっていたシオンは、ソフィアの反応に納得がいかない様子で苛立っていた。
「俺のセンスがわかってない! すごい可愛くて巨乳だったからそのスタイルを存分に活かすデザインだっていうのに! だいたい、着もしないのにハレンチってなんだよ!」
バスルームではシオンの怒りが響いた。
* * *
「準備はできそうですか?」
バスルームから白地のガウンを着て出てきたシオンにレオナルドが尋ねた。
シオンは、そのままソファに深く腰をかけると、
「キャロラインちゃん次第だな」
と、一言。あとは人ごとのような仕草で、濡れた髪をゴシゴシとフカフカの白いタオルで拭いていた。
「そんな事言わないでくださいよ! もう外には国王様が催しになった、シオン様の壮行パレードの準備だって整っていますし、人だかりもできているんですよ!」
「へぇ。どれどれ」
シオンは、人通りに面しているバルコニーへ向かうと、窓を開けた。
通りからも、バルコニーに出てきたシオンの人影が確認できたらしい。
「シオン様ーっ!」
「勇者様ーっ!」
勇者を輩出した家というのは小学生の歴史の授業で習うほど国民に浸透している事実だけれど、国王家と遠戚でもあり、元来家柄も良いカーネリアン家は、複数ある貴族とは格が違い、周囲の人々からは羨望の的となっていたが、いつも遠巻きにされるだけ。このように邸宅の前に国民が集まるような事はなかった。
それが一転。黄色い歓声がとどろき、まるで人気絶頂のアイドルを見ているかのような過熱ぶりだ。
シオンは満面の笑みでその声援にこたえると、部屋の中へと引っ込んだ。
「まだなにもしてないのに勇者様だって。なんかこそばゆいけど、こういうのも悪くないね。でもどうだろう? 彼女達、俺らがマーシャ王女様の救出に行かないなんて知ったらね」
くるりとレオナルドの方に向き、にやりと白い歯を見せるシオン。『勇者様』と呼ばれた事によって、いささか機嫌が直った様子だった。
そんなシオンとは正反対に一気に青ざめるレオナルド。
「そ、そんな恐ろしい事言わないでくださいよ! 暴動が起きますよ! それより国王様への顔向けができません!」
レオナルドは急ぎ足でソフィアのいる部屋の扉をノックした。
「ソフィアさん! シオン様の作られた洋服を着てくださいましたか?」
扉の奥にいるソフィアにも聞こえるよう、少し声をはりあげる。
「ソフィアさん! お返事をください! お願いいたします!」
シオンをマーシャ王女様救出に連れて行けるか行けないかはソフィアにかかっている。
ソフィアに折れてもらうしかないのだ。レオナルドは返答のない扉の奥に訴えかけた。
すると、
「……わかりました。シオン様の洋服を着させていただきます」
うついたまま、ソフィアが扉を開け、観念したようにつぶやいた。
「え 本当ですか 了承してくださるのですか」
レオナルドが訊き返す。
シオンの作った洋服は、レオナルドも目にしている。
家庭教師としてのひいき目でなくても、シオンには才能があると思っている。
ソフィアにと作られた洋服も、肩と胸元の露出が高いのが目立つが、デザインとしてはかっこいい。スタイルのよい綺麗なモデルと同じくらい美しいソフィアが着て歩けば、映えるだろう。
けれど、ソフィアの伝統に則った飾り気もなく、慎ましい今の服装を見れば、開口いちばんに「ハレンチ!」と叫んで嫌悪した気持ちもわかる。
シオンは言い出したら引かない性格であるし、国王様のお触れはもう全国に伝わっていて出発の時間も差し迫っている。
ソフィアが折れくれたのでなんとか国王様や国民の期待にこたえる準備が整ったが、無理強いはしたくないというのもレオナルドの本音だった。
シオンがここのところ、本気でクリエイターを目指して洋裁に夢中になっているのは確かだが、すべての時間をそれに費やしているわけではなかった。
レオナルドという優秀な家庭教師がついているように、十七歳という年齢である彼には自由時間よりも勉強に励む時間の方が長く課せられていた。
学問と武術。文武両道を求められていたのだった。カーネリアン家が名家と謳われる事と、『勇者の家系』であり続けるために。
レオナルドはとりあえずシオンとソフィアの問題をクリアできた事でホッと一息つき、シオンの向かい側のソファに腰掛けた。
その一方で、
「紅茶持ってきてくれる? ホットで、三人分」
と、インカムを使ってメイドに指示をするシオン。
「キャロラインちゃんもようやく俺のセンスにひれ伏したか。レオ、さっきから元気ないけど大丈夫か?」
と、あいかわらず傍若無人なシオン。
『シオン様! あなたのせいですよ!』
と、レオナルドは言ってやりたかったが、いままでそうしてきたようにその言葉を飲み込んだ。
シオンはワガママで自分の意見は絶対にと言っていいほど曲げないし、ソフィアはシオンが貴族だからと黙って従ってはいるが、本来は完璧主義者で、プライドが高そうに思えた。またいつソフィアの怒りが爆発するかわからない。
出発前からこの調子で上手くやっていけるのかと、レオナルドは頭を抱えた。
トントンと、扉をゆっくりノックする音が聞こえた。レオが扉まで開きに行く。
すると扉をノックした相手は、金縁ではあるがさりげなく薔薇の模様があしらわれた高級感あらわれるカップと、カップと同じ模様があしらわれたソーサーが三つ。それと入れたての紅茶が入ったティーポットをトレイの上に乗せて持ってきたメイドの一人だった。
「シオン様にお紅茶を届けにまいりました」
メイドはレオナルドに一礼して、そう言った。
だれが頼んだのだろうと、レオナルドは一瞬思ったが、「ありがとうございます」と礼を言ってトレイを引き受けた。
「あ! 紅茶きた! みんなで飲もうぜ!」
紅茶のほんのりと甘い香りに、シオンが早くテーブルに置くように急かす。
レオナルドはシオンとソフィアの事で半ばパニック状態になっていたので、シオンが紅茶を頼んでいた事に気づかなかった。
そのような事はいつもレオナルドの役目だったのにそれを怠ってしまった事に余裕のなかった自分を心の中で叱咤した。
「失礼いたしました、シオン様。さあ、どうぞ」
片膝を紫色の絨毯につけ、中腰の姿勢でソーサーとカップをテーブルの上に置く。絨毯が紫色など珍しい。
屋敷の他の部屋の絨毯は全部おとなしい赤茶色だ。絨毯の色ひとつにしてもシオンのこだわりが感じ取れる。
レオナルドは、慣れた手つきでティーポットからカップへ紅茶をそそいだ。
「どうもー」
シオンはすぐさま紅茶の入ったティーカップをすくいあげ、口元へ運ぶ。そしてなんのためらいもなく飲んだ。
「さすがカーネリアン家のメイドだね。俺の好みの温かさだ」
「それはようございました」
機嫌が良くなってきたシオンは、レオナルドにも「ソファに座って飲んだらいい」とすすめた。
一方、ソフィアは自分のために作られた洋服をながめていた。
魔術師が着るのを許されるデザインではない。
しかし、シオンがパーティに入る条件は、今、目の前にある洋服を着る事。
頭ではわかっている。カーネリアン家の前から声援をおくる声も聞こえてきている。
考えるだけで恐ろしい事だが、一刻も早く出発して救出しないとマーシャ王女様が何者かによってその命を落としてしまうかもしれない。
マーシャ王女様の命を、魔術師としての規則や自分のちっぽけなこだわりと天秤にかけてはいけない。
ソフィアは目の前の洋服に手をふれた。
薄手ではないのに、シルクのようななめらかな手触り。
スカートのスリット部分を少しめくってみると、布の端処理も縫い目も驚くほど丁寧な仕上がりだった。
この技術、本当にあのまだ十七歳のシオン様がたった一晩で作ったのか。信じられないとソフィアは思った。
ソフィアは、着ていた魔術師のローブを脱ぎすて、トルソーから脱がせた洋服に着替えた。
職業柄、つねに首元や足元が隠れるほどのローブを着用しているが、ソフィアもまだ二十二歳。街の通りを歩いている時に目にする、素敵なワンピースやドレスに興味がないわけではない。
しかし、シオンの作ったようなワンピースに興味を抱いた事はない。
それも当然だった。シオンがデザインしたワンピースは、あまりにも個性的すぎているからだ。
露出が高いところばかり見ていたが、胸のあたりやスカート部分には編み上げなどの凝ったデザインがされていた。
「ローブより軽い」
本当に意外で、手に取った瞬間思わず口から感想がでてしまった。
トルソーの横にあった姿見に映った自分の姿を見てみる。
「こんな露出の高いの、わたくしに似合うわけないのに」
まだそんな事を言いながら、ソフィアはワンピースを着てみた。
あんな採寸で何がわかるのだろうと思っていたが、胸、ウエスト、ヒップともにジャストサイズだった。
こんなハレンチな洋服なんて着るものかと思っていたが、ソフィアの身体にぴったりでセクシーというよりソフィアの美しい体をよりひきたたせている。ただの露出ではない。
ソフィアは鏡に映る、初めて着た個性的なワンピース姿の自分の姿に驚いた。
伝統あるローブも魔術師としての誇りに思っていたが、今見ているワンピース姿の自分も素敵に思えてしまったからだ。
* * *
「あの、シオン様、レオナルドさん、いかがでしょうか?」
扉を、顔が突きだされるくらい控えめに開け、着替えた事を報告する。
「ソフィアさん着てくださったのですね!」
すぐさまソファから立ち上がり、ソフィアの元へ駆けよったレオナルド。
扉を大きく開けて、ソフィアの両手を包み込むようにしながら「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」と、頭を下げた。
それに対し、ソフィアは恐縮していまい、「こちらこそ申し訳ありませんでした」
と、頭を下げ続けた。
そんな二人のやりとりを見てハアと一息つくと、シオンも手にしていたティーカップをソーサーの上に置き、ゆっくりとソファから立ち上がった。
「キャロラインちゃん、着た感じどう?」
扉を全開にし、自分が作った洋服を纏ったソフィアに訊く。
その一方で、思い通りの出来映えに満足した。
「少し露出があるかと存じますがサイズもぴったりしていますし、着ごこちは良いです」
「それはようございました! ソフィアさん、とってもお似合いです! さすがシオン様ですね!」
まだ気恥ずかしそうにしているソフィアとシオンに拍手をおくるレオナルド。
「ま、俺のセンスと才能の賜だろ?」
と、シオンは得意げに言葉を浴びせると、自分の着る洋服を選びに衣装部屋へと入っていった。
それを追うようにレオナルドがシオンに声をかけた。
「シオン様! 洋服でしたら国王様から拝受しております!」
勇者のシオンには特別にと、襟元や袖口に白のレース。
並ぶボタンに沿って左右対称にあしらわれたレースと刺繍。
裏見頃の着丈が燕尾服のように長いブルーのジャケットと、中に白のベスト。
パンツは足にぴったりとした白のタイツのようなものと、膝まである黒いブーツが支給されていた。
それこそ、貴族の勇者だといわんばかりのものだった。
「そんないかにも貴族です! みたいな目立つもん着れるかって!」
部屋の中からシオンが大きめの声で返す。
たしかに今風の洋服ではなかったが、国王様からの賜り物ものだ。
「シオン様! しかし、これは国王様からの賜り物ですよ?」
レオナルドは部屋に入ってもう一度シオンに言い聞かせる。
しかし、
「やだったら、やだ! そんなに言うならレオが着れば?」
などと笑う始末。
もっと、これ以上ないというくらい厳しく指導していれば良かったのだろうかと後悔にも似た念を持ちながらレオナルドは、手にした国王様からの勝負服に目を落とし、『私だって一度でもいいからノーって言いたいですよ』と、心の中でつぶやいた。
* * *
国民の声援を浴びながら、黒の大型四輪駆動車がカーネリアン家の門から走り去った。
真新しい艶のあるボディと、ボンネットの上に輝くランドルフ王国の紋章がより格式高く見え、沿道でランドルフ王国の国旗の旗を振って応援する国民たちの期待感も伝わり、ハンドルを手にするレオナルドは身が引き締まる思いで両手にグッと力を入れていた。
結局、シオンは自分で作った黒のロックテイストの上下。スカルマークこそは入っていないが、チェーンのネックレスをはじめ、洋服にもチェーンや銀色の安全ピンが無数ついていた。
とても貴族とは思えない。
いつもはレオナルドが反対するのだが、この日は時間がなかった事と、今までの経験上シオンは着替えないと判断したのもあり、見逃す事にした。
ソフィアは諦めたのか、シオンの作ったワンピース。
レオナルドにも国王様から賜った、グリーンのジャケットに白のパンツと黒のブーツという勝負服があったが、シオンがそれはダサイと却下した。
そんんなシオンが思い出したかのように持ってきたのは、修道士風の洋服だ。
『俺が勇者って事は、レオは一応賢者って事なんだろ? なら、この服が良くね?』との一言で決定した。
シオンが作る洋服は、半分は趣味の自分用で、半分はオーダーメイドだ。
今回、これを着ろと持ってきたという事は趣味で作った洋服なのだろう。カーネリアン家に修道服の制作依頼は来ていない。
なにを思って修道士風の洋服を作ったのかはわからない。シオンが興味あるとしたらシスターの方だと思うのだが。なんていう事がレオナルドの頭をよぎった。
国王様から賜った勝負服は、この誘拐事件を解決し、国王様へご報告する時に無理矢理にでもシオンに着せようと、レオナルドは心に決めたのだ。
初顔合わせから翌日の朝。
国王様から正式に魔術師として『勇者・シオン』を護り、マーシャ王女様を無事救出する任務を拝命したソフィアは装備を調え、カーネリアン家を訪れた。
下調べなどの予備知識の共有をはじめ、マーシャ王女様救出作戦はソフィアとレオナルドの二人で練り上げた。ソフィアはシオンの参加も申し入れたが、
『キャロラインちゃんの洋服作りで超多忙だから無理!』
と、レオナルド経由であっさり断られてしまった。
洋服作りなどしなくてもいいのに。むしろそんな事はどうでもいいのに、とソフィアは思ったが、それが今回シオンが重い腰をあげる条件なのだから仕方がない。
なので、シオンに会うのはあの初顔合わせの時だけだ。
確かに、シオンがデザインした洋服を着る事を条件に成立した今回のパーティだが、シオンは一度も作戦会議に出ないまま出発の日を迎える事に恐怖はないのだろうかと、ソフィアは思っていた。それと同時に、ソフィア自身もこの作戦がはたして上手くいくのだろうか。
自分はシオンやレオナルドに傷を負わせる事なくマーシャ王女様を救出できるだけの魔力を持っているのか、との不安で心が張り裂けそうで、できる事なら逃げ出したい気持ちも抱えていた。
ソフィアはこの先の心配でいっぱいだどいうのに、現れたシオンは実に晴れやかな表情をしていた。
「やあ、キャロラインちゃん昨日ぶり! 今回も良い作品ができたよ!」
そう満面の笑みのシオンの目の下には青黒いクマができている。よく見るとあまり寝ていない様子で目も充血していた。
「大至急で作ったけれど、出来は良いから着てみてよ」
もしかしたら徹夜で制作をしていたのかもしれない。シオンは無造作にまとめていた髪をほどきながらソファに腰掛けた。その様子は、今にでも寝転んでうたた寝をしまいそうなくらいだった。
シオンは気だるそうな仕草で閉じられている扉を指さした。
「向こうの部屋がクローゼットなんだけど、そこに白い布をかけたトルソーに着せてるから。鏡もあるからそこで着替えてきてよ。レオ、案内してあげて」
「はい。ソフィアさん、こちらです」
レオナルドに連れられて、ソフィアはウォークインクローゼットと化している広い別室に入った。その部屋はシオンの部屋よりは半分くらいの広さだったが、一般人のソフィアには自宅のリビングの倍はある広さだった。そんな広い部屋に所狭しと何台ものラックがあり、たくさんの個性的な洋服がつり下げられていた。
普段は魔術師のローブを着ているのでファッション誌を購入したり、洋服屋に行ったりはしない。そのため流行にはてんで疎いソフィアだが、どの洋服も街では誰も着ているところを見た事がないデザインのものばかりだった。
シオンのクローゼットなので圧倒的にメンズの洋服が多かったが、ワンピースやドレスなど女性物もあった。それが清楚で洗練したデザインでソフィアはシオンの才能を認めるしかなかった。
思わずソフィアはワンピースやドレスを手に取った。
「すごい。デザインもオシャレだし縫い目も完璧。とても手作りとは思えないわ」
こんな素敵な洋服なら着てみたいと、ソフィアは瞳を輝かせた。
「ソフィアさんの洋服は向こうのトルソーにあります。では私は失礼いたします」
数々の洋服で埋め尽くされている部屋の真ん中に、シオンが言っていた通りの白い布がかけられたトルソーがあった。
トルソーの下には、膝丈までありそうな長い編み上げの黒いブーツが置かれていた。
「このブーツも履きなさいって事かしら。ずいぶんと厚底でヒールが高いわね」
ヒールは七センチくらいかしら?
ピンヒールではなかったが、歩きにくそうね。そうソフィアは思いながら屈み込みブーツを手に取った。
「あら? 意外と軽い」
ソフィアは、思わずひとりごとをつぶやいた。
手に取ったブーツは見た目を裏切り、今ソフィアが履いているヒールの低いシンプルなブーツよりも軽かったのだ。
値段の高いブーツは軽くて歩きやすいと聞いた事があった。
ブーツの底には市販の物なら必ずあるサイズ表記がなく、ソフィアのためのオーダーメイドである事がわかった。
そういえば初顔合わせが終わったあとにレオナルドからカーネリアン家ゆかりの靴屋に行って足の採寸をしてきたのを思い出した。
ブーツまで用意するなんてシオン様のこだわりはすごいのね。これなら洋服も期待できるかもしれないわ。なんて思いながらブーツを床に置いてトルソーにかけられている白い布を剥いだ。
どんなに素敵な作品なのだろうとわくわくしながら洋服を確認したソフィアは、いきなりクローゼットから飛びだしてシオンに問いつめた。
「俺を信じろって言いましたよね……? なんなんですかあれは! ここここんなハレンチな……!」
頬を紅潮させて大声をあげるソフィアに、案の定疲労のためにソファに寝転んでいたシオンはむくりと身体を起こした。
「ハレンチなんてひどいなぁ。俺のセンスに圧倒される気持ちもわからなくないけど、もっと言葉を選んでよね。今の、地味に失礼極まりない発言だよ」
「失礼なのはどっちですか! まさかこのわたくしに、こ、こんな服を着せようなどと本気で思っていないですよね」
覆いを取り除かれた洋服は、シオンご自慢の自信作。魔術師の伝統を重んじて、色は黒のロングワンピースだった。
ただ、長袖なのに片方の肩が露出していたり、胸元が少々空きすぎではないかと思われるV字になっていたり、スカートに至っては左右同様に深いスリットが入っていて、歩くたびに膝が見えてしまいそうだった。
「こんな、胸が開いていたり、足が出る洋服など着れません!」
ソフィアは声をあげて抗議した。
「俺がデザインした洋服にケチつける気」
シオンは寝不足の瞳でギロリとソフィアを睨みつけた。
シオンはカーネリアン家のご子息。
本来なら対等に話す事も許されない相手だ。いくらシオンの作った洋服にびっくりしたかといっても、非常に失礼な行為をしたのは、シオンの顔色をうかがえばあきらかだった。
「ケチなんてそんな……。ですが、わたくしは魔術師です。このような一般の方向けの服は少し似合わないと……」
慎重に言葉を選び、シオンのご機嫌をうかがう。
しかしシオンはかたくなで、
「じゃあマーシャ王女様の救出の話はなかった事になるけどいいんだね?」
「そ、それは……」
条件を突きつけられるとソフィアは言葉を失う。
もともと魔術師のローブ以外着たくはなかったのを、シオンの勇者の血筋の力を借りたくてしぶしぶ了承したのだ。
まさかこんなデザインの洋服を用意してくるとは思ってはいなかった。
「シオン様、申し訳ありません。わたくしは魔術師です。シオン様のデザインされた作品は素晴らしいと存じますが、わたくしには似合いません。どうかご容赦ください」
深々と頭を下げ、ソフィアはシオンに懇願した。だが、
「絶対ダメ! それ作るのに、俺がんばって徹夜したんだよ? かなりの自信作なのになにがいけないわけ? 絶対キャロラインちゃんに似合う! それ着てくれないなら行かない!」
シオンは、子どもの駄々をこねるようにソフィアの懇願を拒否した。
「シオン様、どうかお願いでございます」
「ヤダったらヤダ! 着ないならこの話は終わり!」
こんな同じやりとりを繰り返すソフィアとシオン。
あげくには、
「じゃあ俺、シャワー入って寝るから。二人とも出て行って」
と、シオンは腰まで伸びてしまった髪をクシャクシャとさわりながら、シャワールームへと行ってしまった。
「シオン様、お待ちください!」
「うるさいぞレオ。俺はシャワーも浴びずに制作にとりかかっていたっていうのに作品にケチつけられたんだぞ。この気持ちがおまえにわかるか!」
ドンとレオナルドの肩をつくように避けさせると、シオンはシャワールームの扉を閉めてしまった。
バタンと、大きな音を立てて閉まる扉と、ガチャンと強くかけられた鍵。まるでシオンのいらだちを現しているようでレオナルドは声すらもかけられなかった。
シオンは、自分の造り出す作品に並々ならぬ努力と自信を持っている。
ソフィアの洋服も、ソフィアの為だけにイメージし、たった一日の短い時間で作品に仕上げたのだ。思い入れもはかりしれないのはレオナルドも痛いほどわかるだけに、これ以上はシオンに譲歩するようにとは口が裂けても言えない。
しかし、出発の時間は刻々と迫ってきているので、こんな事で初めからつまずいているわけにはいかない。クリエイターとしてのプライドは世界一と言ってもいいくらい高いシオン。
それに加え、頑固でワガママなのは身をもって知っている。ここはなんとかソフィアに折れてもらうしか方法はない。
レオナルドはどうしていいかわからなくなってうなだれているソフィアに声をかけた。
「ソフィアさん、シオン様はソフィアさんにお似合いになる最高のデザインを形にされているのですよ。一度、着てみるだけでもされてみてはいかがでしょうか? シオン様は長風呂ですし、もし着てみても嫌でしたら私にも見せなくてよろしいので」
国王様への忠誠心が強く、まるで堅物のように真面目なソフィア。そんな彼女の、魔術師としてのしきたりを守りたい気持ちもよくわかる。
ソフィアもまた、困り果てているレオナルドの気持ちが痛いほどに伝わってきていた。
いくら説得されてもあのような洋服といえるかもわからない衣装を着るのには抵抗がある。絶対にというほど着たくはない。
しかしシオンは貴族。いち魔術師が逆らっていい身分ではない。しかもランドルフ王国随一の貴族で、その上勇者の家系なのだからなおさらだ。
そして拝命した任務はもう始まっていて、今更引き返す事などできやしない。
どんなに嫌でも自分が折れるしかない。
「……はい」
ソフィアは小さな声でそう言うと、重い足どりで衣装部屋へと向かった。
一方、バスルームでは、レオナルドが用意したであろう、花の形をしたシオンが好んでいる入浴剤がバスタブに入れられていた。花の形はなかなかお湯に溶けず、癒しの効果があるのかについてはわからないが。
現に、バスタブにつかっていたシオンは、ソフィアの反応に納得がいかない様子で苛立っていた。
「俺のセンスがわかってない! すごい可愛くて巨乳だったからそのスタイルを存分に活かすデザインだっていうのに! だいたい、着もしないのにハレンチってなんだよ!」
バスルームではシオンの怒りが響いた。
* * *
「準備はできそうですか?」
バスルームから白地のガウンを着て出てきたシオンにレオナルドが尋ねた。
シオンは、そのままソファに深く腰をかけると、
「キャロラインちゃん次第だな」
と、一言。あとは人ごとのような仕草で、濡れた髪をゴシゴシとフカフカの白いタオルで拭いていた。
「そんな事言わないでくださいよ! もう外には国王様が催しになった、シオン様の壮行パレードの準備だって整っていますし、人だかりもできているんですよ!」
「へぇ。どれどれ」
シオンは、人通りに面しているバルコニーへ向かうと、窓を開けた。
通りからも、バルコニーに出てきたシオンの人影が確認できたらしい。
「シオン様ーっ!」
「勇者様ーっ!」
勇者を輩出した家というのは小学生の歴史の授業で習うほど国民に浸透している事実だけれど、国王家と遠戚でもあり、元来家柄も良いカーネリアン家は、複数ある貴族とは格が違い、周囲の人々からは羨望の的となっていたが、いつも遠巻きにされるだけ。このように邸宅の前に国民が集まるような事はなかった。
それが一転。黄色い歓声がとどろき、まるで人気絶頂のアイドルを見ているかのような過熱ぶりだ。
シオンは満面の笑みでその声援にこたえると、部屋の中へと引っ込んだ。
「まだなにもしてないのに勇者様だって。なんかこそばゆいけど、こういうのも悪くないね。でもどうだろう? 彼女達、俺らがマーシャ王女様の救出に行かないなんて知ったらね」
くるりとレオナルドの方に向き、にやりと白い歯を見せるシオン。『勇者様』と呼ばれた事によって、いささか機嫌が直った様子だった。
そんなシオンとは正反対に一気に青ざめるレオナルド。
「そ、そんな恐ろしい事言わないでくださいよ! 暴動が起きますよ! それより国王様への顔向けができません!」
レオナルドは急ぎ足でソフィアのいる部屋の扉をノックした。
「ソフィアさん! シオン様の作られた洋服を着てくださいましたか?」
扉の奥にいるソフィアにも聞こえるよう、少し声をはりあげる。
「ソフィアさん! お返事をください! お願いいたします!」
シオンをマーシャ王女様救出に連れて行けるか行けないかはソフィアにかかっている。
ソフィアに折れてもらうしかないのだ。レオナルドは返答のない扉の奥に訴えかけた。
すると、
「……わかりました。シオン様の洋服を着させていただきます」
うついたまま、ソフィアが扉を開け、観念したようにつぶやいた。
「え 本当ですか 了承してくださるのですか」
レオナルドが訊き返す。
シオンの作った洋服は、レオナルドも目にしている。
家庭教師としてのひいき目でなくても、シオンには才能があると思っている。
ソフィアにと作られた洋服も、肩と胸元の露出が高いのが目立つが、デザインとしてはかっこいい。スタイルのよい綺麗なモデルと同じくらい美しいソフィアが着て歩けば、映えるだろう。
けれど、ソフィアの伝統に則った飾り気もなく、慎ましい今の服装を見れば、開口いちばんに「ハレンチ!」と叫んで嫌悪した気持ちもわかる。
シオンは言い出したら引かない性格であるし、国王様のお触れはもう全国に伝わっていて出発の時間も差し迫っている。
ソフィアが折れくれたのでなんとか国王様や国民の期待にこたえる準備が整ったが、無理強いはしたくないというのもレオナルドの本音だった。
シオンがここのところ、本気でクリエイターを目指して洋裁に夢中になっているのは確かだが、すべての時間をそれに費やしているわけではなかった。
レオナルドという優秀な家庭教師がついているように、十七歳という年齢である彼には自由時間よりも勉強に励む時間の方が長く課せられていた。
学問と武術。文武両道を求められていたのだった。カーネリアン家が名家と謳われる事と、『勇者の家系』であり続けるために。
レオナルドはとりあえずシオンとソフィアの問題をクリアできた事でホッと一息つき、シオンの向かい側のソファに腰掛けた。
その一方で、
「紅茶持ってきてくれる? ホットで、三人分」
と、インカムを使ってメイドに指示をするシオン。
「キャロラインちゃんもようやく俺のセンスにひれ伏したか。レオ、さっきから元気ないけど大丈夫か?」
と、あいかわらず傍若無人なシオン。
『シオン様! あなたのせいですよ!』
と、レオナルドは言ってやりたかったが、いままでそうしてきたようにその言葉を飲み込んだ。
シオンはワガママで自分の意見は絶対にと言っていいほど曲げないし、ソフィアはシオンが貴族だからと黙って従ってはいるが、本来は完璧主義者で、プライドが高そうに思えた。またいつソフィアの怒りが爆発するかわからない。
出発前からこの調子で上手くやっていけるのかと、レオナルドは頭を抱えた。
トントンと、扉をゆっくりノックする音が聞こえた。レオが扉まで開きに行く。
すると扉をノックした相手は、金縁ではあるがさりげなく薔薇の模様があしらわれた高級感あらわれるカップと、カップと同じ模様があしらわれたソーサーが三つ。それと入れたての紅茶が入ったティーポットをトレイの上に乗せて持ってきたメイドの一人だった。
「シオン様にお紅茶を届けにまいりました」
メイドはレオナルドに一礼して、そう言った。
だれが頼んだのだろうと、レオナルドは一瞬思ったが、「ありがとうございます」と礼を言ってトレイを引き受けた。
「あ! 紅茶きた! みんなで飲もうぜ!」
紅茶のほんのりと甘い香りに、シオンが早くテーブルに置くように急かす。
レオナルドはシオンとソフィアの事で半ばパニック状態になっていたので、シオンが紅茶を頼んでいた事に気づかなかった。
そのような事はいつもレオナルドの役目だったのにそれを怠ってしまった事に余裕のなかった自分を心の中で叱咤した。
「失礼いたしました、シオン様。さあ、どうぞ」
片膝を紫色の絨毯につけ、中腰の姿勢でソーサーとカップをテーブルの上に置く。絨毯が紫色など珍しい。
屋敷の他の部屋の絨毯は全部おとなしい赤茶色だ。絨毯の色ひとつにしてもシオンのこだわりが感じ取れる。
レオナルドは、慣れた手つきでティーポットからカップへ紅茶をそそいだ。
「どうもー」
シオンはすぐさま紅茶の入ったティーカップをすくいあげ、口元へ運ぶ。そしてなんのためらいもなく飲んだ。
「さすがカーネリアン家のメイドだね。俺の好みの温かさだ」
「それはようございました」
機嫌が良くなってきたシオンは、レオナルドにも「ソファに座って飲んだらいい」とすすめた。
一方、ソフィアは自分のために作られた洋服をながめていた。
魔術師が着るのを許されるデザインではない。
しかし、シオンがパーティに入る条件は、今、目の前にある洋服を着る事。
頭ではわかっている。カーネリアン家の前から声援をおくる声も聞こえてきている。
考えるだけで恐ろしい事だが、一刻も早く出発して救出しないとマーシャ王女様が何者かによってその命を落としてしまうかもしれない。
マーシャ王女様の命を、魔術師としての規則や自分のちっぽけなこだわりと天秤にかけてはいけない。
ソフィアは目の前の洋服に手をふれた。
薄手ではないのに、シルクのようななめらかな手触り。
スカートのスリット部分を少しめくってみると、布の端処理も縫い目も驚くほど丁寧な仕上がりだった。
この技術、本当にあのまだ十七歳のシオン様がたった一晩で作ったのか。信じられないとソフィアは思った。
ソフィアは、着ていた魔術師のローブを脱ぎすて、トルソーから脱がせた洋服に着替えた。
職業柄、つねに首元や足元が隠れるほどのローブを着用しているが、ソフィアもまだ二十二歳。街の通りを歩いている時に目にする、素敵なワンピースやドレスに興味がないわけではない。
しかし、シオンの作ったようなワンピースに興味を抱いた事はない。
それも当然だった。シオンがデザインしたワンピースは、あまりにも個性的すぎているからだ。
露出が高いところばかり見ていたが、胸のあたりやスカート部分には編み上げなどの凝ったデザインがされていた。
「ローブより軽い」
本当に意外で、手に取った瞬間思わず口から感想がでてしまった。
トルソーの横にあった姿見に映った自分の姿を見てみる。
「こんな露出の高いの、わたくしに似合うわけないのに」
まだそんな事を言いながら、ソフィアはワンピースを着てみた。
あんな採寸で何がわかるのだろうと思っていたが、胸、ウエスト、ヒップともにジャストサイズだった。
こんなハレンチな洋服なんて着るものかと思っていたが、ソフィアの身体にぴったりでセクシーというよりソフィアの美しい体をよりひきたたせている。ただの露出ではない。
ソフィアは鏡に映る、初めて着た個性的なワンピース姿の自分の姿に驚いた。
伝統あるローブも魔術師としての誇りに思っていたが、今見ているワンピース姿の自分も素敵に思えてしまったからだ。
* * *
「あの、シオン様、レオナルドさん、いかがでしょうか?」
扉を、顔が突きだされるくらい控えめに開け、着替えた事を報告する。
「ソフィアさん着てくださったのですね!」
すぐさまソファから立ち上がり、ソフィアの元へ駆けよったレオナルド。
扉を大きく開けて、ソフィアの両手を包み込むようにしながら「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」と、頭を下げた。
それに対し、ソフィアは恐縮していまい、「こちらこそ申し訳ありませんでした」
と、頭を下げ続けた。
そんな二人のやりとりを見てハアと一息つくと、シオンも手にしていたティーカップをソーサーの上に置き、ゆっくりとソファから立ち上がった。
「キャロラインちゃん、着た感じどう?」
扉を全開にし、自分が作った洋服を纏ったソフィアに訊く。
その一方で、思い通りの出来映えに満足した。
「少し露出があるかと存じますがサイズもぴったりしていますし、着ごこちは良いです」
「それはようございました! ソフィアさん、とってもお似合いです! さすがシオン様ですね!」
まだ気恥ずかしそうにしているソフィアとシオンに拍手をおくるレオナルド。
「ま、俺のセンスと才能の賜だろ?」
と、シオンは得意げに言葉を浴びせると、自分の着る洋服を選びに衣装部屋へと入っていった。
それを追うようにレオナルドがシオンに声をかけた。
「シオン様! 洋服でしたら国王様から拝受しております!」
勇者のシオンには特別にと、襟元や袖口に白のレース。
並ぶボタンに沿って左右対称にあしらわれたレースと刺繍。
裏見頃の着丈が燕尾服のように長いブルーのジャケットと、中に白のベスト。
パンツは足にぴったりとした白のタイツのようなものと、膝まである黒いブーツが支給されていた。
それこそ、貴族の勇者だといわんばかりのものだった。
「そんないかにも貴族です! みたいな目立つもん着れるかって!」
部屋の中からシオンが大きめの声で返す。
たしかに今風の洋服ではなかったが、国王様からの賜り物ものだ。
「シオン様! しかし、これは国王様からの賜り物ですよ?」
レオナルドは部屋に入ってもう一度シオンに言い聞かせる。
しかし、
「やだったら、やだ! そんなに言うならレオが着れば?」
などと笑う始末。
もっと、これ以上ないというくらい厳しく指導していれば良かったのだろうかと後悔にも似た念を持ちながらレオナルドは、手にした国王様からの勝負服に目を落とし、『私だって一度でもいいからノーって言いたいですよ』と、心の中でつぶやいた。
* * *
国民の声援を浴びながら、黒の大型四輪駆動車がカーネリアン家の門から走り去った。
真新しい艶のあるボディと、ボンネットの上に輝くランドルフ王国の紋章がより格式高く見え、沿道でランドルフ王国の国旗の旗を振って応援する国民たちの期待感も伝わり、ハンドルを手にするレオナルドは身が引き締まる思いで両手にグッと力を入れていた。
結局、シオンは自分で作った黒のロックテイストの上下。スカルマークこそは入っていないが、チェーンのネックレスをはじめ、洋服にもチェーンや銀色の安全ピンが無数ついていた。
とても貴族とは思えない。
いつもはレオナルドが反対するのだが、この日は時間がなかった事と、今までの経験上シオンは着替えないと判断したのもあり、見逃す事にした。
ソフィアは諦めたのか、シオンの作ったワンピース。
レオナルドにも国王様から賜った、グリーンのジャケットに白のパンツと黒のブーツという勝負服があったが、シオンがそれはダサイと却下した。
そんんなシオンが思い出したかのように持ってきたのは、修道士風の洋服だ。
『俺が勇者って事は、レオは一応賢者って事なんだろ? なら、この服が良くね?』との一言で決定した。
シオンが作る洋服は、半分は趣味の自分用で、半分はオーダーメイドだ。
今回、これを着ろと持ってきたという事は趣味で作った洋服なのだろう。カーネリアン家に修道服の制作依頼は来ていない。
なにを思って修道士風の洋服を作ったのかはわからない。シオンが興味あるとしたらシスターの方だと思うのだが。なんていう事がレオナルドの頭をよぎった。
国王様から賜った勝負服は、この誘拐事件を解決し、国王様へご報告する時に無理矢理にでもシオンに着せようと、レオナルドは心に決めたのだ。