母はしゃべりにくい舌で、それでも賢明に話し始めた。
 私が人魚化しつつあることに風呂場で気がついたこと。
 恋の相手が、向かいの郵便局に通う青年であることを知ったこと。
 そして日野陸斗に、私の秘密――恋をすると醜い人魚になると告白したこと。

「日野さんは、いい人だわ」
 母は涙を拭うこともせずに、声を震わせる。

「彼はちかげを人魚にさせないことを私に約束してくれたの」

 それはつまり――私の恋心を断ち切ること――。
 ふと頭の中に蘇る陸斗の言葉。

――ちかげの何もかもが俺は嫌いだ。

 すべて合点がいった。
 彼は、日野陸斗は、すべて私のために――。

「母親なら誰でも、自分の子どもを失いたくないものだって思ってた。ちかげを海の世界へ行かせたくなかった。いつまでも私のもとで――光降る大地の世界で生きていてほしかった。だけどそれは親のエゴでしかないのよね」

 母は怖ず怖ずと私に向かって手を伸ばした。私も母の手を取る。なんて細い手なんだろう。この手が今まで私を支えてきたんだ。そして今、母は――。

「ちかげの幸せは、ちかげが決めること。親が決めることじゃないのよね」

 母は握った手をぱっと離した。
 母は、私を一人の人間として送り出そうとしている。
 自分の手元から旅立たせようと。

 つまりは、人として生きるか、人魚として生きるかを、私の意志に委ねようとしている。

 母が手放した私の手。自分自身の手のひらを、ぐっと握りしめる。

 私は――やっぱり今でも陸斗が好きだ。