あまりにも自分のことしか見えていなかった私は、その前兆を前兆として捉えきることができていなかったのかもしれない。

「なんだか頭が痛むのよね」

 これまで頭痛なんてものとは無縁だった四十代の母が、頻繁にこぼし始めたSOSを、私は聞き逃していたらしい。

「暑いから疲れたんでしょ」

 そんな風に、何事もないよ、なんて顔をして。

 その母が、夜に倒れた時に初めてことの大きさに気がついたのだから。

「お母さん?」

 リビングの床に倒れる母の姿に、うろたえることしかできない。

 こんな時、「普通の人間」なら迷いもなく119番を押せるのだろう。
 だけど私たちは違う。
 それが人と同じ理由で倒れたのか、人魚の血を引くゆえに倒れたのか、咄嗟に判断することができない。

 だけど、ここで救急車を呼ばなかったら――

「絶対後悔する……!」

 そうして辿り着いた病院で、医師から告げられたのは、「破裂脳動脈瘤」――くも膜下出血だった。

(ああ、良かった……)

 いや、客観的に見て、良かったと言えるのかは定かではない。後遺症が残る場合もあるという話だ。
 だがそれ以上に、ちゃんと診断名が下りたこと、つまり人間としての不調だったことに少しだけ安堵してしまう娘がいた。

 医師からの説明を受けた後、ベッドに横たわる母のもとへ歩み寄る。看護師も立ち去って、個室に母と二人きり。

「……ごめんね」

 いつもより遙かに呂律の回らない舌で、母は唐突に謝った。
 目は確かに私の目を見つめている。

「どうってことないよ。救急車を呼んだだけで――」
「違うの。そのことじゃ、ないのよ」
「え?」

 首を振りたいのに、それができないといった感じの身動きを母はする。
 その表情は、今にも自分の首を絞めてしまいそうなほど切羽詰まっていた。

「お母さん、ちかげのことを裏切ったの」
「……なんの話?」

 母は唇を震わせて目を閉じる。暗い病室の中でも、母の目から涙がこぼれるのがはっきりとわかった。

「ちかげの恋を、壊したのは、お母さんなの。……今日倒れたのは、きっとその罰なのよ」