◇◇◇

「くそっ……!」

 俊熙(ジュンシー)は部屋から飛び出すと、悪態をつきながら奥の間へと向かって走り出した。そこには、彼にとって命よりも大切なものがある。
 俊豪(チンハオ)を――俊熙(ジュンシー)にとって唯一成功した屍鬼術の被検体を失った今となっては、体勢を立て直さなくてはならない。せめて、手元に置いておきたいそれだけは、との思いで必死に駆けて、駆けて。

「……俊熙(ジュンシー)
「……(ユウ)桜綾(ヨウリン)……っ」

 ばたんと朱塗りの扉を開いた先で、俊熙(ジュンシー)を待ち受けていたのは、簡素な棺の横に立ち、哀れみの表情を浮かべた桜綾(ヨウリン)だった。

◇◇◇

「それで、俊熙(ジュンシー)はすべて自白したのですか?」
「ん、まあな……。これ、花琳(ファリン)、薬草を一つ入れ忘れているぞ、これもすり潰して」
「あ、は、はい」

 ごりごりと乳鉢に入れた緑の葉をすりこぎですり潰しながら、花琳(ファリン)は額の汗を拭った。その隣で涼しい顔で盃を傾けているのは桜綾(ヨウリン)だ。師匠に向けて若干恨めしげな視線を向けた花琳(ファリン)だったが、細めた目を向けられて慌てて手元の乳鉢に視線を戻す。
 そうして、はあ、と小さくため息をついた。

 俊熙(ジュンシー)の自供により、燕徳妃とその父である吏部尚書が劉帆、哉藍(セイラン)の母の死に関与していることが明らかとなった。
 当然、二人は容疑を否認。俊熙(ジュンシー)のことなど名を聞いたこともないと突っぱねたのだというが、俊熙(ジュンシー)がとっておいた印入りの文が証拠となったらしい。

「しかし、俊熙(ジュンシー)はなぜ……?」
「……雹華(ヒョウカ)公主だ」

 花琳(ファリン)の疑問に、桜綾(ヨウリン)は苦笑してそう答えた。
 奥の間にあった棺、そこに眠っていたのは――死亡した時のままの姿を保った雹華(ヒョウカ)だったのだ。
 元々、俊熙(ジュンシー)は燕徳妃が野望を成就させた暁には、雹華(ヒョウカ)公主を降嫁させてもらう予定だったのだという。しかし、そのためには身分が足りず、それを補うために国内でも随一の道士となる必要があった。
 游家に弟子入りしていたのはその一環で、桜綾(ヨウリン)の婿となるのを断ったのはそういった理由からであったらしい。
 そう言って肩をすくめた桜綾(ヨウリン)は、少し陰りのある瞳で空を見上げた。

雹華(ヒョウカ)公主は――俊熙(ジュンシー)の言によれば、俊豪(チンハオ)に惹かれていた。いくら俊熙(ジュンシー)が願っても、万が一雹華(ヒョウカ)公主が俊豪(チンハオ)へ降嫁すれば、自分の望みが潰えてしまう……だから、殺したと」

 あげく、その身を鬼に堕とした。
 続けられなかった桜綾(ヨウリン)の言葉を脳裏で補完して、花琳(ファリン)は唇を噛む。

俊熙(ジュンシー)がおまえを狙ったのは、星見の「血」があれば雹華(ヒョウカ)公主を生き返らせられる、と信じていたからだそうだ」
「えっ……?」

 突然の言葉に、思わずぽかんとした表情を浮かべた花琳(ファリン)だったが、その意味を理解したのかぎゅっと身体を抱きしめると小さく息を吐いた。
(本当に……?私の血に、そんな力が……?)
 まったく、自分でも未だ扱えない星見の力。聞かされた話によれば、花琳(ファリン)の母は星見の一族の中でも「巫女」の直系だったという。そのお陰か直感には優れていたが、力は全くといっていいほどなかった。
 花琳(ファリン)は先祖返りなのか力が強く、そのことで母親は桜綾(ヨウリン)にいろいろと相談をし、自分の亡き後のことを託していたのだという。

「実際には眉唾物の話だがね、俊熙(ジュンシー)はもう……それに縋るしかなかったのさ」

 ごり、と乳鉢とすりこぎが嫌な音を立て、花琳(ファリン)ははっと手元に目をやる。すり潰された緑の葉と、そこから染み出しだ汁の匂いがつんと鼻をついた。その苦さが目にしみる。
 じわりと涙があふれたのは、だからそのせいだ。
 俊熙(ジュンシー)の絶望も、雹華(ヒョウカ)の恋も、俊豪(チンハオ)の死も。
 花琳(ファリン)の力でどうなるものでもなく、そもそも、どうにかしていいものでもない。
 覆水盆に返らず、という。

「すべて、天命だ」

 まるで独り言のように桜綾(ヨウリン)は呟いて、花琳(ファリン)を振り仰いだ。

「さて、薬湯はできたかい?できたのなら、もっていっておやり」
「え、ええ……?」

 つんとした匂いのするすり潰した薬草を、清潔な手巾で絞る。これが最後の手順だ。搾った汁を慎重に注ぎ入れながらかき混ぜると、どろりとした、少し茶色みを帯びた薬湯が完成した。
 これをもっていかなければならない相手を脳裏に描いて、花琳(ファリン)がうめき声を上げる。

「そ、その……わ、わたし……いや、その……師匠、お願いしますう……!」
「馬に蹴られろっていうのかい?師匠たる私に?」
「だ、だってぇ……」

 情けない悲鳴じみた声を上げた花琳(ファリン)は、縋るように桜綾(ヨウリン)を見た。だが、肝心の桜綾(ヨウリン)はどこか面白そうな表情を浮かべてこちらを見ているばかりだ。

「首を長くして待っているぞ、哉藍(セイラン)が」
「う、うう……」

 待っているから問題なのだ。思わず唇に手をやってしまい、すっと撫でた感触であの日のことを思い出してしまう。
(あ、あれは……あれは応急手当で……!)
 だが、唇を合わせたのは事実だ。それによって、哉藍(セイラン)が命をつないだことも。
 だが、あれは俗に「気写し」と呼ばれる、気を使いすぎた術者への手当であって、そこには何の意図もなかった。だというのに――!
哉藍(セイラン)さまったら……)
 駆けつけた武官達の手で自室に運ばれた哉藍(セイラン)が目を覚ましたのは、翌朝のこと。様子を見に行った花琳(ファリン)は、その場で熱烈な求婚を受ける羽目になったのだ。
 しかも、衆人環視の中で。口づけの――いや、あれはあくまで手当だ――事実までばらされて。
 それ以来、面白がった桜綾(ヨウリン)と――弟に激甘の劉帆(リュウホ)は、すっかり哉藍(セイラン)の味方だ。

「なんだ、嫌か?哉藍(セイラン)が嫌い?」
「そうじゃないから困ってるんですよお……」

 そう。花琳(ファリン)とて、哉藍(セイラン)のことは好ましく思っている。けれど、問題は――彼が皇太子の弟、つまりは皇族で、元下級貴族の自分とでは、釣り合わないことだ。
 はあ、と小さくため息をついたとき、かたんと小さな物音がした。

「――盗み聞きとは、行儀が悪いぞ」
「いや――そんなつもりは……」

 ぎくり、と花琳(ファリン)の背がこわばる。少しかすれた低音は、ここのところ毎日聞いている声で。

花琳(ファリン)……」
「い、いやっ……そ、そのっ……」

 真っ赤になった顔をどうにかして隠そうと、頬を手で押さえる花琳(ファリン)。そんな彼女にそっと近づいていく哉藍(セイラン)を横目に見て、桜綾(ヨウリン)は酒の入った盃を手にその場をあとにする。

「いやはや、これも天命か……」

 桃がひときわ強い芳香を放っている。
 その桃園の中で、飛び跳ねるようにして桃をねだる笙鈴(ショウリン)と、手を伸ばしてもいでやる劉帆(リュウホ)の姿が小さく見える。
 すべて、おさまるようにおさまるのだ。
 小さく肩をすくめ、桜綾(ヨウリン)は鼻歌交じりに歩き出した。


END