皇太子に会うことができたのは、さすがに翌日、日が登ってからのことであった。
 通された部屋でまず目についたのは、色鮮やかな朱塗の格子がはまった窓。うっとりするほどいい匂いのする香と、艶のある、磨き込まれた調度品。
 そして、正面にはそっくりな男二人。片方は紅国皇太子のまとう瑠璃色の袍を、もう片方は、濃い紺色の袍をまとっている。
(双子って、ここまでそっくりなものなの……)
 確かに雹華(ヒョウカ)公主の記憶にあった彼らも同じ顔をしていた――ように思う。正直なところ、哉藍(セイラン)には悪いのだけれど雹華(ヒョウカ)はよほど皇太子・劉帆(リュウホ)にご執心だったようで、彼以外の輪郭は朧げだ。だから、はっきりと二人が並んでいるのをみるのは、やはり初めてのことになると言っていいだろう。
 それにしても、紅髪金眼が二人も並ぶと迫力だ。思わず目を瞬かせると、瑠璃色の袍を着た青年・劉帆(リュウホ)が口を開いた。

「そなたが黎花琳(レイ ファリン)か。話は哉藍(セイラン)からよく聞いている」
「は、はい」

 意外と威圧感のある空気をまとった青年だ。これが、次代の皇帝となる責任、いや、威厳――とでもいうやつなのだろうか。
 思わず頭を下げると、小さく笑う声が聞こえた。

劉帆(リュウホ)、そう威圧するものじゃない」
「そういうつもりではなかった」

 哉藍(セイラン)が嗜める声と、それに少し拗ねた感じの返答をする劉帆(リュウホ)の声。こうして聴き比べてみると、同じ声なのに響きが違う。不思議なものだ。
 顔を上げると、苦笑した哉藍(セイラン)が頷いた。

花琳(ファリン)、もう少しこちらへきて。兄にきみの眼を見せたい」

 はっと息を呑んで彼の顔を見返す。昨夜説明を受けたけれど、花琳(ファリン)にとって「眼」を人にまじまじとみられることは、未だに少し恐ろしい。
 けれど、哉藍(セイラン)は体を強張らせた花琳(ファリン)の手を取ると、その肩に優しく触れて――瞳を、覗き込んでくる。

「いいんだ、俺は昨日のことで確信した。間違いなくきみの『眼』は『星見の眼』。きみの母上の一族に伝わる、巫女の『眼』だ」

 このことについては、昨夜哉藍(セイラン)から聞かされた。桜綾(ヨウリン)花琳(ファリン)を引き受けてくれた理由の一つがこの『眼』であることも。
 星見の眼は、過去と未来を見通す眼――と言われているらしい。その希少さから狙われて、母の一族はほぼ散り散りになったことも。
 純粋な黒ではない、夜空にも似た紺色の瞳と、その奥に光の散る、不可思議な瞳。
 けれど、突然そう言われても「はいそうですか」と言うには――花琳(ファリン)はこの眼の色を随分と貶められてきた。まだこうしてじっと見つめられるのは、本当は怖い。
 ほら、と小さな声で囁いた哉藍(セイラン)は「綺麗な眼だよ」と言ってくれる。けれど、花琳はそう言う哉藍(セイラン)の金眼こそ美しいものに見えて仕方がない。昨日もそう思ったし、今もそう思っている。みられるのは怖いのに、みているとそれを忘れそう。
 お互い魅入られたようにして見つめ合っていると、ごほん、と咳払いをする音が聞こえた。それから、少しからかうような口調で劉帆(リュウホ)が言う。

「いつまでやっているつもりなんだ、哉藍(セイラン)
「……い、いや」

 ごにょごにょと呟く哉藍(セイラン)の顔が少し赤い。それに気づいて、なんだか花琳(ファリン)も頬が熱くなる。どこか呆れたように二人を見た劉帆(リュウホ)が、小さく肩をすくめた。

花琳(ファリン)、話して差し上げてくれ」
「あ、はい」

 ごくり、と唾を飲み込んで、花琳(ファリン)は胸元で拳をぎゅっとにぎりしめた。
 花琳(ファリン)がこうして劉帆(リュウホ)への面会を希望したのは、自分の『視た』ものを伝えるためだ。それから、あの亡霊の正体を。
 おそらく、あの亡霊を浄化するのに必要なのは、道士の術ではなく――劉帆(リュウホ)だと思うから。
 そして、花琳(ファリン)が自分の目的を果たすためには、彼の協力が必要だから。
(兄さま……)
 そっと胸を押さえ、花琳(ファリン)は顔を上げてしっかりと劉帆(リュウホ)の顔を見ると、自分の見たものを話すために口を開いた。



「……そうか……あれは、雹華(ヒョウカ)だったか……」

 全てを話したあと、劉帆(リュウホ)はぽつりとそうこぼした。哉藍(セイラン)と同じ色をした瞳に、一瞬よぎった影を見て、花琳(ファリン)ははっと息を呑む。
(そうか、この方……)
 そっか、と胸に手を当てて、雹華(ヒョウカ)に語りかける。
 あなたたち、兄妹でさえ、なかったら……。
 けれど、その仮定は無意味と言わざるを得ないだろう。兄妹でなければ、出会うことなどなかったのだから。
 さて、ここからが問題です。花琳(ファリン)は気合を入れ直すと、しんみりとした表情を浮かべる劉帆(リュウホ)に向き直った。

「ところで皇太子殿下、つかぬことをお伺いいたしますが」
「なんだ?」
「現在の皇太子妃候補の中に、本命の方はいらっしゃいますか?」
「はあ……?」

 何を突然言い出したのか、と劉帆(リュウホ)哉藍(セイラン)が顔を見合わせる。その様子に、花琳(ファリン)は少しだけ口元を緩ませた。
(やれることは全部やります、見ていて兄さま……! あなたの仇、この花琳(ファリン)がとります……!)
 決意を胸に、花琳(ファリン)は二人に向かってこれからの計画を話し始めた。



「お聞きになって……?」
「ええ、でも……」

 ひそひそ、ひそひそ。女の園では、噂が駆け巡るのには一夜もあれば充分だ。突き刺さるような視線と囁き声に満足そうに頷いて、花琳(ファリン)は背後の哉藍(セイラン)を振り返った。
 今日の花琳(ファリン)は、いつもよりも派手な装いだ。これまで宝の持ち腐れと化していた美々しい襦裙になめらかな光沢のある被帛、頭には簪を挿し、化粧もすこしばかり濃い目に施してもらった。
 哉藍(セイラン)は一目見るなり微妙な顔つきをしたが、自分ではそこそこの美人に化けたものだと自負している。笙鈴(ショウリン)に借りた侍女の美雨(メイユイ)も褒めてくれていたので、ここは哉藍(セイラン)がおかしいのだということにしておこう。
 なるべく淑やかに見えるように気を付けて、哉藍(セイラン)を従えて瑠璃宮の中央へ。つまり――皇太子・劉帆(リュウホ)の部屋へと歩いていく。少しだけ遠回りするのも忘れない。
 目撃者は多く、なるべく目立つように。噂がさらに広がるように。

 ――紅劉帆(リュウホ)皇太子殿下が、とうとう皇后の候補をお決めになったらしい。

 たった一日で、瑠璃宮のなかはその噂でもちきりである。もちろん、その候補というのが花琳(ファリン)のこと。
(よしよし、思惑通り……さすが皇太子殿下)
 発案・黎花琳(レイ ファリン)、企画・紅劉帆(ホン リュウホ)。丸一日かけて行われた作戦会議で決めたのは、花琳(ファリン)が囮になるという作戦だった。
 花琳(ファリン)の視た亡霊の記憶が間違いのないものだ、というのは当時を知る劉帆(リュウホ)哉藍(セイラン)二人の言からも明らかである。
 二人の母の死には不自然な点が多く、にもかかわらずお抱え道士たちの調査がおざなりであったこと。それまで皇帝の寵を一身に受けていた妃が亡くなったとたんに燕昭儀(イェンしょうぎ)を傍に置くようになった不自然さ。
 そして、その頃から姿をあまり見せなくなった妹。
 その皇帝が病を得たと見るや、次世代の皇帝である劉帆(リュウホ)に擦り寄ってくる厚顔無恥さ――。

「女狐め……」

 劉帆(リュウホ)がそう怒りをあらわにしたのも最もであろう。昨夜の二人を思い出して、そっと息を吐く。その時の哉藍(セイラン)も悔しそうに奥歯を噛みしめて目つきを険しくしており、劉帆(リュウホ)ほど面には出さずとも怒りの深いことがうかがえた。
 母と、そして可愛がっていた異母妹とを陥れ、命を奪った相手だ。本当なら、今すぐにでも捕縛し、相応の罰を与えたい――いや、それどころか、すぐにでも殺してやりたいのに違いない。
 皇帝が倒れて二年、まともに皇太子が政治の指揮をとれなかったのも、燕徳妃(イェンとくひ)とその父である燕吏部尚書(イェンりぶしょうしょ)による妨害があったからだ。本当に、二人にとっては、彼女は仇敵にも等しい存在だろう。
 花琳(ファリン)とて、その気持ちは痛いほどに理解できる。いや、理解できるなどというのはおこがましいかもしれない。が、自身の異母兄の処遇を思えば、はらわたが煮えくり返る思いがするのは当然だった。
(兄さま……)
 目を閉じて、そっとその思いに蓋をする。このことについては、二人にはまだ話をしていなかった。
 ちいさく首を振ると、後ろから「大丈夫か」と小さく問いかける声がした。振り返ると、心配そうな顔をした哉藍(セイラン)がこちらをじっと見つめている。
 今声を出してしまうと、心の内を見透かされるような気がして花琳は小さく頷くにとどめた。

「行きましょうか」

 昨夜、この計画に最も反対したのは、この哉藍(セイラン)だった。そんな、身を危険にさらすような真似をしなくとも、これまで同様に燕徳妃(イェンとくひ)の周囲を探っていけばよいと。
 しかし、それに反対したのは、花琳(ファリン)本人だった。

「早くしないと、師匠まで……」

 口の中で小さく呟くと、花琳(ファリン)は顔を上げ、目的の場所――劉帆(リュウホ)の待つ皇太子の私室へと歩を進めた。