「確か、この辺でしたよね……」
「ああ……いや、もう少し奥だったような気もするな。なにせ暗かったから……」

 とりあえず、明るくなってから現場をもう一度見たい、と希望したのは花琳(ファリン)だった。哉藍(セイラン)が迷いながらも頷いたのは、おそらくは花琳(ファリン)の気持ちを慮ってくれたからだろう。
 哉藍(セイラン)らしい、とこっそり胸の内で呟いて、小さく笑みをこぼす。
 だって、じっとなんてしていられない。桜綾(ヨウリン)の行方を、哉藍(セイラン)のほうでも人を使って探してくれているとは聞いたが、自分でも探したかった。
 兄の時には、できなかったこと。もう後悔はしたくない。ぎゅっと手を握り合わせて、しっかりしろ、と心の中で呟く。
 夜が明けるのを待って、花琳(ファリン)哉藍(セイラン)の案内に従い注意深く足元を見ながら移動した。推測が正しければ、おそらくこの辺りに痕跡があるはずだ。
 あの、空を舞う衣が漂っていたのはだいぶ奥まった、人もそれほど踏み入らない場所だから、昨日今日のうちなら、まだ、きっと。
 しゃがみ込んだ花琳(ファリン)は、それこそ這いつくばるような勢いで、地面に顔を近づけた。襦裙(じゅくん)の裾が地面に擦れて、おそらく汚れてしまっただろう。それに気づいたのか、おい、と哉藍(セイラン)が慌てた声をあげるが、それに構っている場合ではない。必死になって、目的のものを探す。
 しばらくそうしていると、視界の端に何かがひっかかった。

「あっ……!」

 数歩先に、白っぽい紙の破片が落ちているのが見えて、花琳(ファリン)は思わず大声を上げた。そうっと近寄って指を伸ばす。
 よく見れば、予想した通りその紙は端が少し焦げており、まだ新しい墨の色がわずかに残っていた。

「ありました、哉藍(セイラン)様」
「先ほども聞いたが、それが桜綾(ヨウリン)殿のものである可能性は?」
「うーん」

 もっともな問いだと思う。頷いた花琳(ファリン)は拾い上げた紙片を鼻先に近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ。もう二日近く野ざらしの状態だった紙片である。それほど期待はしていなかったのだが。
 ――かすかに香の匂いが残っている。花琳(ファリン)の鼻がひくりとうごめいた。

哉藍(セイラン)様、(ユウ)家の――師匠の邸にいらしたときのこと覚えてますか?」
「あ? ああ……」
「変わったお香が焚いてあったでしょう」

 突然の花琳(ファリン)の言葉に、哉藍(セイラン)は一瞬考え込むような素振りを見せた。だが、すぐに心当たりを思い出したのだろう。苦笑を浮かべると、哉藍(セイラン)は「ああ」と頷いた。

「随分変わった匂いがするとは思っていた。あれが何か……?」
「ええ」

 花琳(ファリン)は頷いた。

「あれは、桜綾(ヨウリン)師匠が独自に調合したお香なんです」

 これは、紅国の道士ならば誰もがやっていることである。そう前置きして、花琳(ファリン)は話をつづけた。
 道士としての力には、それぞれ各個人に「得意とする術」があるように、持っている力に特性がある。それに合わせ、めいめい相性のいい「香り」を持っているのが一般的だ。まあ、道士の間で、という注釈がつくけれど。
 道士を頼ったことのある人間ならば、常に道士の邸には一風変わった香りがただよっていることに気付くだろう。
 この「香り」には、道士の力を安定させ、またその術の効力を高める効果がある、と言われている。それに加え、邸の中に焚き染めることで一種の結界の役割を果たし、外敵の侵入を防ぐと言われているのだ。
 そんなことを簡単に説明すると、花琳(ファリン)はひらひらと燃え残った紙片をつまみあげた。
 そうして、もう一度鼻を近づけると、すんすんと匂いを嗅ぐ。

「これは、師匠のお香の匂いとは全く違います」
「ふむ……」

 首を傾げた哉藍(セイラン)は、花琳(ファリン)が摘まみ上げた紙片に鼻を近づけると、くんくんと匂いを嗅いでみたようだった。だが、不可解そうな顔をしているところを見ると、どうやら匂いを感じ取れないか、もしくは違いがわからないかのどちらかのようだ。
 花琳(ファリン)だって、桜綾(ヨウリン)のもとで過ごした毎日がなければ、香の匂いなど覚えていなかっただろうからそれは仕方がない。
 それよりも、気になることが一つあった。
(この匂い、どこかで近いものを嗅いだ気がする……)
 頭を捻ってみたものの、どうにも思い出せない。けれど、なんだか良くない感じのする匂いだ。
 甘くて、むせそうな――こう言ってはなんだけれど、腐る直前の桃の香りに似ていなくもない気がする。嗅いでいると、背筋がぞわぞわしてくるようだ。
 ううん、ともう一度唸ると、花琳(ファリン)哉藍(セイラン)が手を差し出したのをいいことに、その紙片を彼に委ねた。なんとなく、持っているのが怖いと感じたからだ。
 哉藍(セイラン)に保管してもらうのが、なんだか一番安心できるような気がした。
 兎にも角にも、これで謎の道士がこの一件に絡んでいるのは間違いのない事実。だが、その目的は判然としない。
 もちろん、推論は立てたが、果たしてそんな簡単な話なのだろうか。
 先を行く哉藍(セイラン)の後ろ姿をチラリと見て、花琳(ファリン)は小さなため息をついた。



花琳(ファリン)、聞いたぞ……災難であったな!」
「ま、まあ笙鈴(ショウリン)様……わざわざお越しに……」

 哉藍(セイラン)と連れ立って部屋に戻った花琳(ファリン)を待ち受けていたのは、元気な八歳の幼女、笙鈴(ショウリン)であった。思わず目を丸くした花琳(ファリン)が、災難とはなんの話か分からずしどろもどろに答えを返す。
 そこに助け舟を出してくれたのが哉藍(セイラン)だ。

「まったく、災難なことでございました。たった一人の侍女殿がまさか病にかかるとは……」
「うむ……」

 笙鈴(ショウリン)はえらそうに腕組みすると、大きく頷いた。それに向って、哉藍(セイラン)が神妙な顔つきをして見せているのが妙におかしい。
 どうやら、桜綾(ヨウリン)の不在については病気で宿下がりしているという設定で乗り切ることになっているようだ。どうせなら先に教えておいて欲しかった、と哉藍(セイラン)に視線を送る。だが、神妙な顔つきをしたままの彼は、それにたいしてちょっと肩をすくめただけだった。

「ところで花琳(ファリン)、おぬし侍女がおらぬのでは困るじゃろう?」
「え、い、いえ……」

 もともと、自分のことは自分でしていたし、桜綾(ヨウリン)も侍女らしいことはさほどしていなかった。そのため、花琳(ファリン)としてはそれほど困ることはないのだが、笙鈴(ショウリン)はそうは思わないようだった。
 まあそれもそうだろう。生まれた時から大勢の使用人に傅かれて生きてきたのだから。

「遠慮するな、笙鈴(ショウリン)のところには侍女が大勢いるからな、一人くらい貸し出してもどうということはない」
「あ、あの……」

 困り果てて哉藍(セイラン)に助けを求める視線を送ってみたものの、彼は小さく首を振ると視線を逸らした。どうやら、彼の助力はもらえないらしい。
 押し切られるようにして、花琳(ファリン)笙鈴(ショウリン)から侍女を一人借り受けることにきまってしまったのだった。