ガタガタと強風に揺らされる窓に触れると、室内にいるのに凍えるような冷たさが伝わってくる。
まるで指先の体温を窓に吸収されているようだった。
外をのぞいてみても、暗くて何も見えない。
ただ白銀の世界が一面に広がっている。
どこを見ても同じ世界だった。
「ほら、お別れの挨拶をしなさい」
僕の耳を貫くお母さんの淡々とした声。
そのときの僕は、小学校低学年であるけれども、幼心にも当時の状況は理解できていた。
白い長方形の箱いっぱいに詰められたお花。
その中心には、まるで全てに満足しているかのように囲われているおじいちゃんがいた。
夢翔(ゆいと)、ほら」
僕はお母さんに言われるがままおじいちゃんの元に寄り添った。
その頭の上には黒く機械的な文字でゼロと表示されている。
これは誰にも見えない。
誰にも理解してもらえない。
僕にしか見えない。
そもそも僕自身すら理解していなかった。
ただ漠然と、数字が見えている、くらいにしか考えていなかった。
その数字の役割が人生のカウンターだってことを、僕は知らなかった。
知ったときにはすでに遅くて、おじいちゃんと話すことは二度と叶わなかった。
僕はその当時、友達との遊びや、マンガやアニメといった娯楽に心を奪われていた。
宿題を終えたら夜までずっと好きなことをしていた。
だから親からおじいちゃんに会いに行ってあげようという提案をされても、聞いていなかった。
まだ会える。まだ大丈夫。
今じゃなくて大丈夫。今である必要は無い。
先延ばしにし続けた結果、お別れを迎えた。
最後に話した言葉はなんだったかも覚えていない。
無意識に大丈夫と思っていた中での突然の別れ。
僕に見えているライフカウンターは、相手と直接会わなければ、確認できない。
ビデオ通話でも、メッセージアプリでもダメだった。
会いに行かなかったばっかりに、帰らぬ人となった。
ライフカウンターは昔から使えていたわけではない。
僕はその少し前に、自転車事故に巻き込まれた。
頭を少し打って、ふた針ほど()った。
そしてその暗くて深い夜を明かしたときに気づいた。
出会う人全ての頭の上に文字が浮かんでいた。
一万と書かれた人もいれば、二万の人、五千の人もいた。
お母さんに聞いても、返ってくる反応はイマイチ。
むしろ、頭をぶつけておかしくなったのでは無いかと心配された。
僕には周りの人から向けられる、答えを見つけることのできない問いかけに、もどかしさを覚えた。
だからこそおじいちゃんの頭にゼロと書かれた文字を見て、やっと理解できた。
この文字はその人の残りの人生なんだと。
だから余計に、悔しい思いをした。
他の人では願っても手に入らないような力を持ちながら、その力を理解していなかったせいで無駄にした。
おじいちゃんとの永遠の別れとなった。
おじいちゃんは僕に対して、すごく優しい人だった。
一緒に遊んで、出かけて、たくさんお出かけをした。
欲しいという物は買ってもらい、やりたいことには挑戦させて貰えた。
一番身近で僕のことを応援し続けてくれた。
毎日のように遊び回った。
家族が仕事で忙しい時も多く、ほとんどをおじいちゃんと過ごした。
幼稚園の時期は、両親よりもおじいちゃんの顔を見ていた気がする。
おじいちゃんが大好きだった。
そんなおじいちゃんとの別れだった。
僕には自分のしたいことを優先して、逢いに行くことを先延ばしにしたことに、後悔しか残らなかった。
皮肉にも、ライフカウンターの存在を、おじいちゃんの死によって理解してしまった。